第33話 私は、彼の行いに困惑し、彼女のお願いに笑みをこぼす。 ①
一限目も終わったというのに、一体どこで油を売っているのでしょう。
先生が退室し、ざわつく教室の片隅で、教科書やノートを机に収めながら、私は誰も居ない彼の席を横目に溜息をひとつ。
昨日も遅刻したというのに、今日も遅刻とは本当に困ったヒトです。来年は最上級生だというのに自覚が足りません。それに、こんなに遅刻が目立っては、進級さえもいささか不安に思えてきます。
確かに学歴が人生の全てではありません。さらには一度や二度の留年が、その後の人生にどういったリスクを及ぼすのかなんて、まだ高校生の私には到底わかりません。それに、誤解を恐れず言えば、高校を出ずとも立派に社会貢献している方々はたくさんいらっしゃいます。
ですが、そうは言っても彼は在学中の身です。学徒であるのならば、やはり学校生活を真摯にこなすことこそ本分と言えるのではないかと、そう私は考える次第でして。
でも、この手の話をすると、決まって彼はイヤな顔をします。
そして、『マジメちゃんめ』とはぐらかしてきます。
そもそも彼は、卒業後どうするつもりなのでしょう。進学する、しないにかかわらず、将来に向けて考える、そういった時期に私たちの年代はさしかかっています。
彼のことですから、持ち前の負けん気でいかような困難にも正々堂々、真っ正面から立ち向かって行くでしょう。ですが、私個人として、彼が己の将来をどう考えているのか、詳しい腹積もりなどなど、その辺りの事が気にならないわけではありません。
まぁ、そんな出歯亀のような私の思惑など、とうに見透かされているのでしょうね。
つい昨日、下校時に近場の公園にて尋ねたときも、
『将来か? 将来はそうだな……スナフキンとか憧れるよな』
などと二人掛けのベンチの隣、並んで座る私へと、意味不明な回答をしてくる始末で。この時もきっとはぐらかそうとしたのでしょう。そして、同時にイタズラも思いついたのでしょうね。
『砂布巾? 』
そんな用具は初めて知りました、いったいどういった用途で用いるのか、そもそもどういう形状の布巾なのか、頭の中を疑問符だらけにしていた所を、
“パシャリ”
それがスマートフォンのシャッター音であることに気がついて、私は彼を睨みつけました。
『……盗撮ですか』
本当に趣味が悪い。油断しきった眼鏡女子の顔を、しかもこんな近距離でカメラに収めるとは、いささか常識外れが過ぎる。
『消してください』
もしくはそのスマートフォンを破壊してください。そんな画像、データの無駄です。世の中が必要としていません。無駄は排除すべき。世界はエコで出来ております。
しかし、彼は一体どういうつもりなのか。高く携帯を掲げるものだから、取り上げようと、目一杯伸ばした私の手は空を切ります。当然彼は、してやったりとニヤけ顔。
意地になり、数度となく取り上げようと手を伸ばしますが、巧みに逃げる彼は、やはりニヤけ顔のままで。
そのまま、彼の胸へとバランスを崩した私を抱きしめるように受け止めて、
『心配すんな、美人に撮れてるって』
またもや、にやり。
ですが、それはウソです。いよいよこの手の冗談は聞き飽きました。なんせこの公園には今、彼と私のふたりだけ。なにかあれば美人美人と馬鹿のひとつ覚えみたいに、あのですね、この空間のどこに美人と言われるヒトがおりましょうか。えぇ、そうですとも。きっとその写真にもマヌケ面の冴えないおぼこが映っているだけのはずです。
そもそもですね、撮るなら撮ると言ってください。
『じゃぁ、撮るぞ~』
『え? え? ちょ、ちょっと待ってくだ――』
ちょうど彼の腕の中、見下ろすようなカメラレンズに向かい、はいチーズ。かけ声に合わせ、反射的にピースサインをした私。
そして、あのシャッター音が聞こえ、
『……あ! 』
『……よっしゃ! 』
彼のどこか達観した満足げな顔と、見せられた画面に映った、少しだけ眼鏡のズレた少女。
ピースなんていつ以来でしょうか。ここ数年こんな姿を写真に撮られた記憶がありません。それなのに、さっきより接写され、なんですかあの妙なはにかみ顔は。自分自身の油断しきった品のない顔に、あぁ、とんだ失態です。我ながら、もう馬鹿かと。
彼に買ってもらったホットの紅茶が、膝の上で妙に熱く感じます。きっと、それ以上に私の顔は熱を発していることでしょうね。
どうせなら、もうちょっと可愛く映りたかった。なんて、思っていません。えぇ、思っていませんとも。
こんな背の高い能面女が、何が可愛くだ。そんな声はごもっともです。私も今以上のパフォーマンスが出来るとは思っていません。ですが、その画像の保存先が、彼の携帯というのが問題で。
もしこんな私の生意気な発言を許していただけるのならば、こう見えて私も女子の端くれです。どうせ撮られるのであれば、まだいかようか改善する余地があったのではと思う次第でして。
もちろん、先ほども言いましたが、自分の身の丈はよくわかっております。わかっておりますが、なんと言いますか、彼にだけは、少しだけでも良く想って頂きたいものでして。
……まぁ、それはそれ。これはこれ。無駄なおしゃべりが過ぎました。
とにもかくにも、あの画像データをどうにか抹消せねばなりません。彼から身を離し構えます。ですが、彼も流石というかずる賢いというか。
どうにかせねばと画策する私の眼前で、あっという間にズボンのポケットへと、スマートフォンを滑り込ませたのです。
『卑怯者! 』
思わず声が出ました。ですが、出て当然です。だって、まさか彼のポケットをまさぐるだなんて、私には到底出来そうもないのですから。
でも、そうはいっても譲れないラインが私にもあります。
確かに今までは、押しに弱い流されやすい人種ではありました。ですが、そういつまでも昔の私ではありません。
ここまでの狼藉をうけたのですから、いよいよ私も覚悟を決めました。目には目を歯には歯を、です。
もはや実力行使です。良いように、やられてばかりの私じゃないのです。
私は、自分の携帯電話を取り出して、彼を威嚇します。
『アナタの写真を撮りますよ! 』
良いんですか!? と、おまけ付き。
流石に彼も自分の顔が他人の携帯端末に記録されることを良しとはしないでしょう。もし私が報復にと、SNSなどを使いその画像を悪用すれば、彼としても困るでしょうからね。まぁ、そんな事は間違ってもしませんが。
ですが、ここまでやれば彼も渋々私の画像データを消すはずです。自分の顔を電子の海に流されるか、もしくは能面女の画像を消すか。そんなもの天秤にかける必要すらないのですから。
――なんて、その時はそれが最善手だと考えたのですが。まだまだ脇が甘いというか詰めが甘いというか。
次の瞬間、私は、まさに度肝をぬかれました。
だって彼が、
『貸せ』
おもむろに私の携帯電話を取り上げると、もう一度私を抱き寄せてきまして。
ほんのわずかな煙草の匂いと、息を呑む、そんな自分の声。
そして、私を胸に抱いたまま、“パシャリ”。シャッターを切ってしまうのだから。
あれよあれよという間に全てが起こり、あっというまに全てが終わりました。何が何やらちんぷんかんぷん、てんやわんやの意味不明。
……一体なにがどうなったのか。
残ったのは、どこか緊張顔の彼と、その胸に抱かれたまま、振り向いた姿勢で映る真っ赤な焦り顔の少女の画像。
そして、つづけて画面に映る、保存しますかの文字。
保存しますかなんて、私の携帯は何を問いかけてきているのだろう。沸騰しかけた頭のまま、彼に手渡された我がスマートフォンを握りしめ、
『……これでおあいこだろ』
保存するなら、しろ。彼がどういう意図でそう言っているかはわかりません。なんせ、そうまでして、冴えない女の写真を欲しがる理由が見えなくて。
今考えると、ちょうど周りには誰も居ませんし、淡々と問い詰めるのもひとつの手だったかも知れません。
ですが、彼のその言葉に、私は心の中で『ひ、卑怯者……』恨めしそうに睨みつけ、そして唸ることしか出来ませんでした。
その後、例のデータがどうなったかは、彼もその画像のことを聞いてこないので内緒です。
言うなれば互いに人質を取り合って牽制している、まさにそんな状態だと私としても考えますし、そもそもそれが私と彼の関係性でもあります。なによりも、いまさら改まってお話しする事でもないですしね。
……そうですとも、なにも面白い事なんてないのです。
ただ、その日の晩、私の机の上に、写真立てがひとつ。
そう、とても大切な宝物が、たったひとつ増えただけの、そんな些細なことなのですから。
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