Episode3:初仕事

 RHにいくつかあるブリーフィングルームの1つ。そこには現在ビアンカとアダム、そしてもう1人の人物がいた。


「ボルチモア、ですか?」


 ビアンカがその男性に問い掛ける。男性は頷いた。


「そうだ。フィラデルフィアで暮らしていたなら当然その地理は解っているな。このDCからは最寄りの大都市であり、メリーランド州屈指の都市でもある。そこで仕事・・だ」


 彼の名はビル・レイナー。合衆国大統領……つまりダイアンの首席補佐官・・・・・を務める男性だ。40歳前後の神経質そうなビジネスマンという印象であった。


 実際見た目通りの性格のようで、自己紹介も極めて事務的であった。



『当然だが大統領は表の仕事・・・・で多忙だ。なので基本的にお前達の仕事に関しては私が窓口になる。以後私からの通達や指令は全て大統領からの物だと認識しろ』



 名前と役職、そしてそれだけを告げて即、仕事・・の話に入ってきた。その淡々とした態度から、どうやらこちらの事情も全て知っているようだ。


 そして彼からビアンカの初仕事・・・として、ボルチモアへ赴くように告げられたのだ。


「ここ最近になってボルチモアで奇妙な変死事件が相次いでいる」


「変死事件?」


「そうだ。既に10人以上が死んでいるが、これがその被害者達の写真だ」


 レイナーがそう言ってリモコンを操作すると部屋に備え付けのプロジェクターが作動し、ホワイトボードに大きな映像が映し出された。


「……!」


 そこにはいくつかの写真が並んで映し出されており、いずれも髪型や服装などは違うものの複数の老人・・の死体が映っていた。ビアンカもフィラデルフィアでの体験を経て、写真で人の死体を見ただけで動揺するような事はなくなっていた。


「これらはいずれもボルチモア市警から入手した現場写真だ。どうだ? これらの写真を見て何が奇妙か解るか?」


 レイナーはまるでビアンカを試すかのようにそんな質問をしてくる。ビアンカは勿論素人であり捜査のプロでもなんでもない事は彼も知っている。つまりそんな彼女でも見ただけで奇妙だと解る点がこの写真にはあるという事だ。 



「…………」


 ビアンカは映像を注視する。老人達にはいずれも目立った外傷はないように見える。少なくともこの写真からでは死因などは判別できないだろう。となると死因以外の要素か。


(ん……? この人達……?)


 再び写真を注視したビアンカは、何となくこの老人達に違和感を覚えた。だが本当にその違和感がレイナーの言う奇妙な点なのかの自信が無かった。


「何か気付いたか? 構わん。言ってみろ」


 そんな彼女の逡巡を見抜いたのかレイナーがそう促してきたので、彼女は少し自信なさげに発言する。


「ええと……この人達、見た目の年齢の割には何だか服装や髪型が若者みたいな人ばかり、な気がしますけど……」


 そう。一般的に人というのは年相応の装いになるのが普通だ。勿論気が若くて派手な色合いの服を好む老人もいるだろうが、その着こなし自体は若者のそれとは異なるはずだ。しかしこの写真の老人達はいずれも90は越えていそうな年齢でありながら、ファッションやその着こなしに至るまで完全に若者と同じに見えた。それに強い違和感を感じたのだ。


 加えて髪型も今風の若者や若い女性が好む髪型が多く、皺や白髪だらけの顔とかなりミスマッチに感じた。


 レイナーが頷いた。



「それで正解だ。といっても別にこの被害者達がファンキーな老人達だった訳ではない。彼等は全員……本来は10代から20代の若者・・なのだ」



「な……」


 ビアンカは耳を疑った。しかしレイナーが冗談を言っているような気配はない。


「そして検視によって彼等の死因はいずれも老衰・・によるものだと断定されている。お前と同年代の若者達が老衰で死んでいるのだ。それも既に10人以上な」


「……!!」 


 明らかな異常現象にビアンカは息を呑んだ。当然ながら普通ではありえない現象だ。そしてそれが連続で続いているとなると明らかに偶然ではない。そうなると……


「お前は既にフィラデルフィアであちら側・・・・の世界に触れた。となればこのような超常犯罪・・・・を引き起こす存在について心当たりがあるはずだな?」


「……カバールの悪魔達、ですね」


 他に考えられない。あのフィラデルフィア美術館で見たヴァプラという悪魔の力を鑑みると、奴等に常識という物は通用せず、ほぼ何でもあり・・・・・と考えた方が良い。



「メリーランド州の州知事は国民党……つまりこちら側・・・・だ。その州知事がこの事件に悪魔が絡んでいるのではと不安を感じて、大統領府に直接この事件を調査して貰えないかという要請があったのだ。その判断は正しい。カバールの仕業となればこの事件はボルチモア市警の手に負える物ではないからな」


「州知事が、ですか? ボルチモアの市長は何て言ってるんですか?」


 勿論ボルチモアはメリーランド州最大都市なので知事としても看過できない問題ではあるだろうが。だがレイナーはかぶりを振った。


「ボルチモアの市長は自由党だ。お前がフィラデルフィアで経験した出来事を考えれば、これ以上の説明はいらんな?」


「……!」


 確かに必要ない。実際に自由党所属のフィラデルフィア市長に襲われた身としては。


「勿論ボルチモア市長がカバールの構成員かどうかは現状解らん。だからこそ・・・・・お前の出番という訳だ。奴等垂涎の『天使の心臓』を持つお前の、な」


「……ッ!」


 『天使の心臓』はカバールの悪魔達にとっては無視できない物であるらしく、実際にフィラデルフィアでは通常中々尻尾を出さずに巧妙に正体を隠しているはずの構成員達を2人も釣り上げる・・・・・事が出来た。


 ユリシーズによるとこれは、それまでの戦況から考えると初の快挙であったらしい。それを根拠としてビアンカはカバールとの戦いに加わる事を許された経緯があるので、お前を囮に使うと堂々と宣言されても文句は言えない立場だ。


「市長だけが容疑者とは限らん。ボルチモアは大きい。他にも容疑者が潜んでいる可能性はある。実際にボルチモアへ赴いてお前が自分で調べるんだ。怪しいと思った者は残らず炙り出せ。そうすればフィラデルフィアの時のように向こうから食いついてくるだろう」


「…………」


 実際に現地へと赴く。それは言い換えるなら遂にこの穴蔵・・から外に出て、カバールとの戦いに踏み出せるという事でもある。ビアンカは小さく身体を震わせた。それが緊張によるものなのか、それとも武者震いなのかは本人にも判然としなかった。



「そして当然社会に戻る・・・・・に当たっては、新しい身分証が必要になる。コールマンの名はお前の中だけに留めておけ。今日からこれがお前の名だ」



 レイナーはそう言って懐から一枚のカードを取り出した。どうやら運転免許証のようだ。それをビアンカに手渡す。


 免許内容自体は彼女が以前に取得した物と同じだが、(恐らく)IDナンバーとそして何よりも苗字・・が変わっていた。


【ビアンカ・カッサーニ】


 これが彼女の新しい苗字のようだ。一見してイタリア系の姓だ。


「……お前の実の父親・・・・旧姓・・だ。ダンテ・ロメオ・カッサーニ。それが教皇・・になる前の『彼』の名前だ」


「……!!」


 現ローマ教皇マクシミリアン4世。会った事も無いビアンカの実の父親。その旧姓を借りる事になろうとは。彼女は何とも言い難い複雑な感情を覚えた。



「尚当然だが囮となるお前を単独で行かせるような事はしない。今回はペンタゴンから出向・・のそのアダムがお前の警護に当たる事になる。大人数で物々しく動いては囮の役目は果たせんが、幸い彼は1人で兵士百人分の戦力は優にあるだろうから問題ない」


 レイナーがビアンカの後ろで彫像のように控えているアダムに顎をしゃくって示す。軍の機密実験で作られたサイボーグ・・・・・であるらしい彼なら確かにそれくらいの戦力はあるだろう。ビアンカもその力の一端は目にしているので、それについて疑いは持っていない。だが……


「……ユリシーズは?」


「彼なら大統領の指示で少し別件に当たってもらっているので、今回は同行しない。だが正直今のお前にはその方が都合がいいのではないか?」


「……っ」


 どうやら些細な行き違いで彼と喧嘩になって、現在ちょっと気まずい状態である事は既に知られているらしい。


「だが……もしどうしてもお前が、彼がいないと不安・・だと言うなら、私から大統領にその旨を伝えて融通を利かせるように――」


「――大丈夫です! 別に彼などいなくたって問題ありません。必ずこの任務を果たして見せます!」


 レイナーの揶揄するような言葉を遮るように発言すると、彼は少しだけ口の端を吊り上げた。


「ふ……ならそういう事にしておこう。メリーランド州のビンガム知事は国民党ではあるが、少々優柔不断で何かの拍子に自由党に傾かんとも限らん人物だ。ここで事件を解決すれば、貸しを作って大統領への忠誠・・を高められるだろう。そういう役割もあると肝に銘じて赴く事だ」


「…………」


 ビアンカは若干の内憂を抱えながらも、ようやく始まるカバールとの戦い、そして新しい生活への緊張と期待と興奮に胸を昂らせるのであった。

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