第9話 忘れられていた特別な日

 いつでも清潔な香りがする、しわのないシーツ。そこに身体を投げ出して、天希は小さく息をつく。

 玄関先でたっぷりともつれ合ったあと、そのまま風呂場へ流れて、そこでも三回くらいイかされた。


 伊上とのセックスは気持ちが良すぎて、天希はすっかり癖になっている。

 会えば必ず一回はする。否、一回で済んだことはほとんどない。しかしさすがに何度もすると、身体の疲労が尋常ではない。


 ベッドに転がってゴロゴロと寝返り打つのが精一杯だ。

 おかげで身体を洗うのも、着替えも、髪を乾かすのも、伊上にすべてしてもらった。しかし至れり尽くせりなのも毎回のこと。


「あまちゃん、大丈夫?」


「平気」


「そう、それなら良かった。今日も、すごく可愛かったよ」


「ぁっ、あんまり痕つけんなよ」


 ベッドの端に腰かけた恋人は、寝そべる天希の首筋にキスをする。きつく吸い付かれて、おそらくまた痕を残された。

 今日だけで相当数つけられている。いつもはそこまでではないのだけれど、天希は風呂場で自分の身体を見て驚いた。


 首筋や胸元、太ももまでかなりうっ血の痕が散っている。服を着たら見えない、ギリギリのラインなのが確信犯だ。

 とはいえ怒る気にもならず、許してしまっている。少しばかり甘えられている気がして、気分がいいのだ。


「やっ、ばか……あんまりそんな風に触るなよ」


「もう一回してもいいよ」


 じゃれつくように髪や頬にキスをしながら、伊上は大きな手を天希の身体に滑らせてくる。Tシャツの隙間に滑り込もうとするので、それは慌てて押し止めた。


「もう無理だって、すげぇ腰だるいし」


「ドライでイキまくったからね」


「そういうこと言うな! ……んっ」


 わざとらしく腰を撫でてくる伊上の手を叩くと、ふっと笑った彼は天希の唇をさらう。

 触れる唇のぬくもりに天希はうっとりとした。ゆっくりと、口の中を味わうように舌が這わされる。その感触にゾクゾクとして、腹の奥がキュンとした。


「えっ、や、マジで、無理だって」


「身体のほうはまだ足りないみたいだよ?」


 身体の上にのし掛かられ、首元に顔を埋められるだけで、少し前の感覚が戻ってくる。口は抗うのに、天希の身体はまったく抵抗できていない。

 すぐに吐き出す息が熱くなり、鼻先からは甘えた声が漏れた。


「も、もう出ないっ」


「出なくてもイケるよ」


「なん、で、今日はそんな、……しつこいんだよ!」


「あまちゃんが可愛くて仕方がないから、かな」


「あっ、んっ……や、触んな」


 逃げるように身体を丸めた天希だが、後ろから手を伸ばされて抱き寄せられる。首筋を甘噛みする伊上は、閉じようとする脚を割り開いて、股間を撫で上げた。

 もう張り詰めるほどにはならないが、天希のそこはわずかばかり反応している。


「あまちゃんの身体は本人に似ず、素直だね」


「無理、むり、だって。ぁっ、あっ」


「はあ、ほんと可愛いな」


「やっだ、も、イクっ」


 指先で撫でられているだけなのに、快感が込み上がってきて、天希は身体を震わせた。指を噛むとすぐに手を取られ、こぼれる声が止まらなくなる。

 さらには忍び込んだ手に、胸の尖りを引っかかれて、ますます甘い声が上がった。


「ぁっ、いまイったのに、……気持ちいいの、も、やだ」


「可愛い、泣いちゃった」


 繰り返し押し寄せてくる快感の波に、天希は足をばたつかせる。シーツを蹴り、時折背後の伊上を蹴りつけてしまうが、恋人はまったく行為を止めようとしない。


「伊上っ、や、変、身体、変っ」


 中にいれられているわけでもないのに、腹の奥がじんじんとして、されている時のように気持ちが良かった。

 何度も身体をヒクつかせる天希は、自分を抱き寄せる恋人にしがみつく。


「あまちゃん、もうエッチなこと思い出すだけでイケるよ」


「ぁ、あぅっ、……またイクっ、やだ、やだ、いが、みっ」


「ああ、もう一晩中、啼かせてたいな」


「無理、壊れるっ」


 なおも刺激してくる、伊上の手を必死で掴むと、きつく擦り上げられてまた空イキさせられた。それでも涙目の天希が掴んだ手に噛みつけば、諦めたように手を離される。


「あまちゃん、怒った?」


 ぎゅっと手足を縮めて丸まった天希に、伊上は小さく笑う。そして髪を撫でて、機嫌を取るみたいにキスをしてきた。


「ごめんね」


「馬鹿」


「お詫びに明日は好きなもの食べに行こう」


「特上肉を食わせろ」


「いいよ。どこがいいかな」


 優しく頭を撫でる恋人は、天希の腰に腕を回し、ぴったりと寄り添ってくる。しばらく沈黙を貫いていた天希だが、背中に感じる体温に我慢ができなくなった。

 腕の中で身じろいで、後ろを振り向くと、すぐ傍にあるこの上ない好みな顔を見上げる。


「こないだ行ったところ」


「ああ、あそこか。わかった。予約しておくよ」


「うん」


「機嫌、治してくれた?」


「別に、怒ってねぇよ」


 覗き込んでくる伊上の視線から目をそらしながら、天希は口を尖らせる。

 たまにこうして強引なことをしてくるが、本当に嫌なことはしてこない。だから嫌だと言いつつも、怒るポイントが見つからなかった。


「そういえば来月、あまちゃん誕生日だったよね」


「ああ、うん」


「なにか欲しいものは?」


「うーん、いつもしてもらってばっかで、これと言ってないんだよなぁ」


 毎回会うたびに食事だ、買い物だ、と貢がれまくりで、いまさら浮かぶものがない。天希の正直な気持ちからすると、その日に傍にいてくれるだけで充分だった。


「そう、じゃあ、それまでに考えておいて」


「それより、あんたの誕生日はいつ?」


「……いつだったかな?」


「え? それマジで言ってんの?」


 天希の質問に少しばかり眉を寄せた伊上は、考え込むような素振りを見せる。そのまましばし待ってみるが、一向に答えが導き出されない。


「普通、自分の誕生日を忘れるか? え、いつだよ。すげぇ気になる。免許証は?」


「カードケースの中かな。って、あまちゃん。腰がだるいんじゃなかったの?」


 勢いよく起き上がった天希は、伊上をまたぎ越してベッドを飛び降りると、ソファに足を向ける。脱いだ上着を、彼がそこに放ったままだった。

 内ポケットに手を突っ込み、中に入っているものを無造作につかみ出す。


 スマートフォンと薄いカードケース。遠慮なしにケースのほうを開いて、免許証を探した。


「ゴールドだ。誕生日、四月? 今月末じゃねぇか」


「そうだったんだ」


「すげぇ他人事だな」


「そんなのいいから、戻っておいで」


「プレゼントは、なにがいい?」


 促すようにベッドを叩かれて、天希は二つを元の場所にしまう。そして足音を立てながら駆けて戻ると、広い背中に飛びついた。


「もうすぐで四十だな」


「おじさんでごめんね」


「なぁ、なにが欲しい?」


「んー、あまちゃんがお嫁に来てくれるなら、欲しいものは特にないかな」


「嫁って、親父くせぇな」


「結構本気なんだけどなぁ」


「それよりもっとほかにねぇの。あんたが喜ぶもの」


 なにもかも簡単に手に入れられる、そんな男に贈るものが自分だなんて、恥ずかしいにもほどがある。ぐりぐりと背中に額を擦りつけて、天希は小さく唸った。


「あまちゃんがこの先も僕と一緒にいてくれるなら、多くは望まないよ」


「そんなこと?」


「うん。傍にいてくれるなら、君のことはなにがあっても、ちゃんと僕が守ってあげる」


「あんまり格好いいこと言うな」


「惚れ直した?」


 振り向いた恋人に抱き寄せられて、腕の中に閉じ込められる。それだけで胸が高鳴ってやまなくなった。

 二人のあいだに見えない壁があるのだとしても、いまはなにも考えずに抱きしめられていたい。足りない言葉の代わりに、天希はそっと伊上に唇を寄せた。

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