第3話 7月14日(土) 伊佐高校文化祭

 七月二週目の土曜日。文化祭は今日一日だけだ。

 生徒だけでなく、外部の人も朝からたくさんやってくる。市内の農林高校に行った連中と会うのも久しぶりだ。家は近所なのに高校が違うだけで会わなくなる。環境の変化とは恐ろしいものだ。

 僕と猪原は喫茶店のビラ配り担当だ。

 校門の横に立って来客に案内図と割引券のチラシを渡していると、農林高校へ行ったなじみの連中がやってきた。中学卒業以来数ヶ月ぶりだ。

 彼らは一応制服姿だけど、だらしなく下げたパンツスタイルで、シャツのボタンも留めていない。髪も色とりどりに染めている。テレビで見た原宿のレインボー綿あめみたいだ。うちのクラスの喫茶店で出したら繁盛しそうだなと思った。沙紀ならマズそうと吐き捨てるか。

「よう、今村。久しぶり。皆川もいるのか?」

 いきなり沙紀のことを尋ねる。

 あいつ、そんなに人気があったのか。

「うん。接客してるから行ってみてよ」

「おまえら、まだつきあってないのか」

「ないよ」

 僕は即座に否定した。こいつらも僕と沙紀の関係をかんちがいしてたのか。

「もったいねえぞ。早くやっちまえよ。そんで、俺たちに回してくれ」

 横で猪原がうつむいている。

 みんなが校舎の中に消えていくと、大知がつぶやいた。

「やっぱ、皆川って人気あるんだな」

「でもまあ、あいつらは沙紀に嫌われてたよ」

「そうなのか」

「うん。やたらとからかってたからね。うんざりしてたよ」

 猪原は少し安心したような顔で、通りがかりの保護者達にビラを差し出していた。

「あ、ダイちゃんじゃん」

 今度は農林高校の女子二人組だ。二人とも髪は茶色で、昭和の洗濯機みたいにやたらと渦を巻いている。化粧が派手で、目の上にムカデみたいなまつげが乗っている。そんなに近くにいないのにやたらと匂いが漂ってくる。

「お、おう」

 大知はどの女子に対しても同じ返事をするらしい。久しぶりに倉庫から出されて起動スイッチを押された熊のロボットみたいにぎこちない動きでビラを差し出す。

「ダイちゃん、おごってよ」

 女子二人に下から顔をのぞき込まれて大知がのけぞる。

「知り合い?」と僕は尋ねた。

「おう、中学んときの同級生」

 猪原は自転車で二十分かかる菱刈という地域に住んでいるから、僕らとは出身中学が違う。彼女たちが大知と同じ学年だったということは僕より一つ年上ということになる。見た目は十歳くらい上だけど。

「悪いな。ビラ配りあるからよ」

 背を向けようとする大知の腕を二人がつかんでゆする。

「ちぇー。じゃあ、また後でおごってよ」

「お、おう。後でな」

 女子二人が靴底をこするような歩き方で去っていくと猪原が汗をぬぐった。

「昔からあいつら苦手なんだ」

「ふうん。何かあったの」

「バレンタインにチョコもらった」

「すごいじゃん」

「いろんなやつに配ってるんだ」

 ああ、そういうやつか。

「いろんな奴らとつきあってて、すぐに相手が変わるし」

 僕らの中学にもそういう女子はいたな。

「中学の時に同じバレーボール部でさ。なんか、よく俺のことバカにしててさ。わざとくっついてきたりして、俺の反応を見てからかったりしててさ」

 僕はそういう男女間のイタズラの対象になったことがない。

 モテるモテない以前に、女子から異性として意識されたことがない人間なんだろう。

 なんだか悲しくなってきた。

 大知が吐き捨てるように言った。

「試合に負けた時に、罰ゲームで、あいつらと無理矢理キスさせられてさ。なんか嫌だった」

 中学生ってけっこう残酷だ。無邪気に大切な物を奪い去る。

『べつにいいじゃんそれくらい』

 魔法の呪文ですべて受け流すように強要される。ぐだぐだ言う奴は空気の読めない奴というラベルを貼って、いないことにされる。

 眼中にないことと、いないことにされるのと、どちらもみんなのいる場から消される点では同じことだ。どちらもやられた方はたまったものではない。

「女子とキスしたことあるんだね。しかも二人も」

 いきさつはどうであれ、猪原が大人に見えた。

「カウントするなよ。事故だよ」

 なかったことにしたい気持ちは理解できる。好きな人ができたなら、なおさらだろう。

 大知のようなつらさもあれば、僕みたいな哀しみもある。

 どちらにしろ、思春期男子なんて、良いところなんてないんだ。

 好きな女の子とチューしてる男子中高生なんて、おそらく地球外生物なんだろう。

 ビラ配りを終えて僕らは自分たちの教室に戻ってきた。

 喫茶店は意外と繁盛しているようだった。他のクラスや部活の出し物はお化け屋敷とか舞台発表などで、飲食関係の出店があまりないからだろうか。

 沙紀は小学生男子グループの相手をしていた。

「キョニューのおねーちゃん」

「あんたら飲み屋のオッサンかよ。ガキのくせにそんなこと言ってんじゃないよ」

 そういっているわりには見せつけるように胸を張っている。年上らしさを誇示しようとしているのかもしれないけど、逆効果だ。

「うわこえー。キョニューオカンだ」

 まわりのお客さんも苦笑しながら沙紀達の様子を見ている。中高生に比べると小学生の方がまだ何も知らない分、直接的な言葉を遠慮無く使うようだ。

「おとなしくしてないと作ってやらないよ」

「カーチャンこえーよ」

「タコヤキに紅ショウガたっぷり入れてやるからね」

 急に静かになった。紅ショウガは効くらしい。

 僕らが教室の隅に立っていると、伝票をヒラヒラさせながら沙紀が近づいてきた。

「ちょっと、カズアキ」

「なに」

「パシリに行ってよ」

「何買うんだよ」

「材料足りなくなってきたから、追加ね」

 せっかく外から帰ってきたのに、また追い出されるとは。繁盛するのも困りものだ。

「俺も行こうか」

 大知が横から口を挟む。

「うん、ヤマト君、力ありそうだもんね」

「何を買えばいいんだ?」

 大知がスマホを取り出してメモの用意をした。

「小麦粉、あ、強力粉じゃなくて薄力粉ね」

「何か違うのか?」

「うどん作る時の粉とタコヤキの粉の違い。なんかのレベルの違い?」

 何が違うかの説明じゃないな。沙紀もよく分からないらしい。肩をすくめて口を尖らせる。

「とりあえず、袋に書いてあるはずだからよく見てよ」

「おう」

「あと、ホットケーキミックス。飲み物もね。コーラ、サイダー、オレンジジュース。緑茶、麦茶、ウーロン茶」

「そんなに持てるかよ」と僕が文句を言うと、沙紀がにやりと笑みを浮かべた。

「だからあんた達に頼むんでしょうよ」

 大知は言われた品物を太い指でスマホにメモ入力している。沙紀の注文に耳を傾けているうちに、身長差のせいでだんだん猫背になっていく。金太郎に命令されている熊みたいだ。

「分かった? じゃあ、よろしくね。スーパータイヘイヨーなら、うちの親がいるから、分からないことがあったら聞いてみて」

 沙紀の母親は地元唯一の食品スーパーでパートをしている。

「あと、領収書もらってきてよ。ヤマト君の名前じゃなくて、伊佐高校一年A組でね」

 大知がメモを入力し終わって沙紀に見せた。内容を確認すると、沙紀もエプロンのポケットからスマホを取り出した。

「そういえばさ、ヤマト君、連絡先交換しようよ」

 大知はスマホを持ったまま硬直していた。

 チャンスじゃないかと僕は大知を見た。努めて顔が赤くならないようにしているけど、耳が真っ赤だ。

 沙紀は大知の手からスマホを受け取って、てきぱきとデータ交信を完了した。

 僕は疑問に思っていたことを沙紀に尋ねた。

「なあ、おまえさ」

「何よ?」

「猪原の名前、何だか知ってるか?」

 沙紀がきょとんとした顔で答えた。

「大きいに和風の和で『ヤマト』って読むくらい、私でも知ってるよ。いくらなんでも『ダイワ』じゃないくらい分かるし」

「そもそも『和』じゃないんだけどな」

 首を傾げながら疑問符の浮かんだ顔をしている沙紀にズバリ指摘してやった。

「知るっていう字だぞ。『ダイチ』だよ」

 喉が詰まったような声を上げて、沙紀の丸いおでこがみるみる赤くなる。

「いいじゃん、大和にしなよ。あたしはヤマト君に変えるから」

 引くに引けなくなって無茶なことを言いだした。

「おまえが変えるってどういうことだよ」

「あたしの中では、猪原君はヤマトなんだよ」

 大知は困惑した表情で僕らのやりとりを黙って眺めている。

 僕はスマホで検索して調べた改名手続きの説明をしてやった。

「市役所じゃなくて裁判所だって。結構面倒らしいよ。ちゃんとした理由がないと却下だって」

「あたしが変えろって言うんだから、正当な理由になるでしょ。今日から『大知』は『大和』に変わります」

 沙紀は完全にムキになっている。

「『知』と『和』が入れ替わったら。僕は『知昭』で『トモアキ』になっちゃうじゃんか」

「じゃあ決まりね。今日からあんたはトモアキ。二人そろって手続きしておいで」

「その理屈だったら、『大知民族』とか『大知魂』になるぞ」

 大知が手を叩く。

「おう、なんか俺すごく偉くなったような気がする」

 大知も沙紀に調子を合わせるなよ。

 調理場の方から同級生が呼んでいる。

「沙紀、話弾んでるけど、早くしてもらってよ」

「あ、ごめんね」

 ようやく興奮が収まったようだ。

「じゃあ、よろしくね。カズアキ」

「僕、トモアキです」

 痛い。膝の裏蹴らないで。

「ヤマト君もよろしくね」

「おう、まかせろ」

 結局大知は改名してしまったのか。

 外へ出ると相変わらず日差しが強い。

 大知と二人でスーパータイヘイヨーに向かって歩く。この辺りでは食品スーパーといえばそこしかない。沙紀の母親はレジに入ったり、フードコーナーで働いたりしている。中学の頃はあまったお好み焼きを食べさせてくれたりしてオヤツがわりによく御馳走になりに行ったものだった。最近はなんとなくご無沙汰している。あまり意識しているわけではないけど、気恥ずかしさを感じるようになった。僕らも少し大人になったのだろうか。

 歩きながら猪原がスマホを取り出した。

「連絡先交換しちまったぞ」

「良かったね」

「おまえ、本当に俺があいつ取っちまってもいいのか」

「取るも何も僕のものじゃないし」

 大知とは少し軽口を楽しめるようになっていた。

「それにさ、取れるもんなら取ってみなよ」

 僕は大知の腕をつついた。

 大知もノッてくる。

「お、言うじゃねえか」

 でも、次の瞬間、ちぎれるんじゃないかという勢いで首と手を振り始めた。

「いや、ムリムリ。告白できるなら、とっくにやってるって」

「大知って案外小心者だよね」

「俺か? 見た目だけだな、でかいのは」

 自分で言っちゃうか。

 大知がため息をつく。

「バレーボールもさ。練習は人一倍頑張ったつもりだったけど、いざ試合でミスすると、もうビビッちまって、しっかりしろとか言われるとますます焦って自滅してたな」

「部活辞めたんだっけ」

「ああ」

 辞めたという事実は聞いていたけど、理由が分からなかったから聞いてみた。

「なんで辞めたの」

「先輩と喧嘩したからだ」

「へえ、どうして?」

「なんで、どうしてって、どうでもいいだろうが」

 大知がうんざりした様子で横を向いた。でも、怒っているようでもなく、どことなく本当は話を聞いてほしいようだった。

「四月頃、顔に痣作ってたけど、それ?」

「そうだ」

 吐き捨てるように言ってから、もう一度息を整えて大知が話してくれた。

「先輩達がよ、新入生だった皆川のことをいやらしい目で見て噂してたんだ」

 ああ、そういうことか。

 中学の頃から何度も繰り返されてきた光景が目に浮かんだ。

 こんな娯楽のない田舎町だと、どうしたって男子の興味、もっとはっきり言えば欲望の対象として、沙紀の巨乳は分かりやすすぎるのだ。

「なんかよ、先輩達がさ、『みんなで襲ってやっちまおうぜ』とか『お前が呼び出せよ』なんてふざけたこと言ってるから、つい、『おれ、あいつに言いますよ』って歯向かっちまってさ」

 それで集団でやられたらしい。

「そういうことだったのか」

 僕は大知の痣の原因を初めて知った。沙紀の危機を未然に防いで犠牲になったなんて、格好良すぎるじゃないか。

「すごいじゃん。沙紀に言ったら、感謝するんじゃない?」

「バカ、絶対言うな」

「どうして。ヒーローじゃん。教えてやったらホレちゃうんじゃないの?」

「自分がそんな目で見られてるとか、そんな目で見てる奴らと同じ高校に通ってるなんて知ったら、皆川が嫌な気持ちになるだろ」

 中学の時からそうだったから、いまさら気にしないかもしれないけど、高校生だと、襲うとか、けっこうリアルだし、やっぱり怖いか。『この車両には痴漢が乗ってます』なんて電車には誰も乗りたくないもんな。

 結局、その件で大知はバレーボール部を辞めて、顔の痣は練習でボールがぶつかったと言ってごまかしたそうだ。

「ひどい話じゃん。正義の味方が追い出されるなんて」

「いいんだ。どうせ大学のスポーツ推薦のためにやってただけなんだから。本当はバレーボールなんか、飽きてたんだ。体がでかいってだけで、運動神経ないし」

「でも、推薦取れなくなっちゃったじゃん」

「しょうがねえよ。どうせバカなんだから大学行ったって無駄だってお告げなんだろう」

 この流れで大知の口から大学の話が出てくるなんて思いもしなかったから、僕は少し興味が出てきた。

 距離や交通手段の関係でこの街からよその高校に通うのは実質的に不可能なので、伊佐高校には、上から下まで様々な生徒が混ざっている。田舎では都会のように偏差値というもので学力別の高校に分けられるほど生徒がそもそもいないのだ。国立大学に合格する優等生が毎年一名いる一方で、大知や沙紀のような赤点常習で中学レベルの勉強も怪しい連中まで一緒に授業を受けている。

 そんな中で、ちゃんと入試を受けて大学に行くのは片手で足りる人数で、あとは大知のようにスポーツや何かの推薦狙いが十数名だ。その選抜に漏れたらもう望みはない。

 かといって就職先など、この狭い街にあるわけなどなく、農業や自営の家業を継げる者はまだましで、山の向こうに出ない限りはフリーターか無職だ。

「大知は大学を目指してたの?」

「俺んち、農家でよ。でも、親は継ぐなって言うんだ」

「へえそうなの」

「食っていけねえって。米だって買った方が安くてうまいって。サラリーマンが一番だってさ」

 そういう話はよく聞く。うちの親みたいによそから来たサラリーマン家庭は大学進学を当然と考えているし、大知みたいな農家も最近は継がせたくないと考える親が多いらしい。そもそも、農業は祖父母がやっていて、次の世代はすでにサラリーマンというところばかりだ。

「俺は頭じゃ勝負できねえからスポーツで推薦狙えるかと思ってたんだけどな。ダメになっちまったから、大学はあきらめるさ」

「じゃあ、就職?」

「こんな田舎町じゃあ、就職先なんかないだろ。市役所とか警察とか自衛隊とか、公務員なんか難しいし、あとはスーパーとかコンビニのバイトくらいじゃんか。卒業した先輩達なんて、みんなプー太郎だぞ」

 この街には就職先がなく、ここから出るには大学へ行かなければならない。この街を出るためにはお金がいるけど、そんな余裕のある家庭は少ないし、高校生がそれを自分で用意できるとは思えない。お金を稼げるようになるためには大学へ行かなければならない。そのためにはお金がいる。いつの間にか振り出しに戻っている。

「つまり、行き止まりってことだ」

 僕の考えていることを察したかのように大知がつぶやいた。

 成績は悪いのに、結論を出すのは早いんだな。

 逆か。それだけ分かりやすすぎる現実だってことだ。

 この街の誰の前にも突きつけられる厳しい現実なんだ。

 大知のスマホが震える。

 沙紀からの連絡だった。

『紅ショウガ追加ね』

 マジで使い切ったらしい。小学生達は災難だな。

 大知が興奮している。

「おい、ハートーマークがついてるぞ」

「へえ、よかったね」

 僕は知っている。

 沙紀のメッセージには必ずハートマークがついている。

 良い話でも悪い話でも句読点みたいなものだ。

『勉強するなよ(ハートマーク)』

『赤点だったよ(ハートマーク)』

『歯磨きしたか(ハートマーク)』

 大知には内緒にしておこう。

 国道沿いのスーパータイヘーヨーに着いた。土曜日の午前だけど、駐車場はあまり埋まっていない。店内は涼しくて思わずふうっとため息が出る。

 沙紀の母親がお客さんのいないレジに立っていて僕を見つけるなり声をかけてきた。

「あら、カズ君。新しいお友達?」

「同じクラスの猪原君です」

 沙紀のお母さんだよ、と熊のような男に紹介すると、ども、と軽く頭を下げた。

 沙紀の母親は少しメタボ気味だ。沙紀の話によれば、家でお酒を飲んで、夜食やおつまみを食べ過ぎるらしい。『あたしもよく一緒にカップラーメン食べたりするから将来ヤバイかも』なんて言っていた。

「イノハラ君。うちの沙紀もよろしくね」

「はい」

 直角にお辞儀するなよ。やりすぎだろ。

「文化祭の買い出しです」

「ウチの子に頼まれたんでしょ」

 何でもお見通しのようだ。

 ちょうど会計のお客さんが来たので僕らは解放された。

 大知のスマホメモを見ながら、カートに品物を入れていく。

「あんまり皆川に似てないんだな」と大知がつぶやく。

「お母さんのこと? さあ、将来の姿かもよ」

「そうか。なるほど」

 とくに話をふくらませるわけでもなく、大知は淡々と品物をピックアップしていく。

「太るのは気になる?」と僕は聞いてみた。

「そうでもないかな。おばさんなんて、みんなあんな感じじゃないか。うちの母親なんか、もっとデブだぞ」

 沙紀は胸のせいで、太っていると勘違いされる時もある。でも、僕によく腹巻きを見せていたけど、けっこうおなかはへっこんでいる。運動しているわけでもないのに、なぜなんだろうか。本人に言わせれば、バランスが悪いだけということらしいけど。

 カートをレジに押していって、会計をしてもらう。

「領収書お願いします」

「あんた達、これ全部持っていくの?」

 おばさんがあきれかえるほどの量の品物を段ボール箱につめて店の外へ出た。冷気に慣れた体に夏の日差しが再び襲いかかる。荷物の重さがよけいにこたえた。僕たちはほとんど会話を交わすことなく帰路についた。

 教室にはさっきの小学生達はいなくて、少し空席も出てきていた。みんなちょっと手持ちぶさたで、場の空気がよどんでいる。

 品物を調理場に運び込むと沙紀が両手を広げて出迎えてくれた。大知が顔を赤くする。分かりやすい男だ。

「あ、帰ってきた。助かるわ。材料切れたからオーダー止めてたのよ」

 なるほど、そういうことか。

「またお客さんが来るまで、あんたたちも食べてていいよ」

 空いている席に僕らを座らせると、沙紀は買ってきたばかりの緑茶のキャップをひねって、コップを三つ並べて注ぎだした。

「はい、乾杯」

 急にそんな流れになって大知もあわててコップを持ち上げる。

「じゃんじゃん稼ぐからね」

 ちょっとぬるいお茶を一気に飲み干すと、沙紀は調理場に戻っていった。

「あいつ、注文聞いていかなかったな」

 僕らが座って待っていると、ニヤニヤしながら沙紀が戻ってきた。手に持ったお盆の上にはホイップクリーム山盛りのホットケーキ三枚重ねとソースの海に溺れそうなタコヤキの皿が載っていた。

「さあ、召し上がれ」と上機嫌にテーブルに並べる。

「味付けが拷問じゃんか」

「贅沢言わないの。あたしの手作りだぞ」

「お、おう」

 猫背の熊が額に汗をにじませながら、さっそくホットケーキにナイフを入れる。小さな蜂蜜のポットが似合わない。

 一口食べて大知がうつむきながらつぶやいた。

「う、うまいぞ」

「でしょ。あたしね、料理は自信あるのよ」

 調理場に戻りかけて、沙紀が肩越しに振り向いた。

「ただの巨乳じゃないんだぞ」

 大知は顔を赤くしたまま背中を丸めてうつむいていた。喉に詰まらせるなよ。

「それとカズアキ、おごったんだから、イトコの世話もよろしくね」

 ああ、そういえばすっかり忘れていた。やっぱり罠だったのか。エサに釣られてしまった。ただほど高い物はない。

「僕、トモアキです」

「しつこいよ。シメるよ」

 捨てぜりふを残して沙紀が去っていく。

 その言葉の末尾にもハートマークが見えた。

 大知が口を押さえながら泣きそうな顔をしている。

「俺、甘い物、苦手なんだ」

 僕はタコヤキと交換して残りを食べてやった。

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