第38話 変態、光景を思い浮かべる(椿③)
「つまりなんだ、そのいかがわしい合宿で魔術を習得するために、白羽の矢を立たせる必要がある。そういうことか」
「はい」
鬼のような剣劇を捌きながら事情を話し切った私は目が潤みそうになるのを必死に堪えていた。
やはり姉さんにこの話題は鬼門だっただろうか。いや、だがしかし。
特待生に頼れない以上、私には頼ることができる人が姉さんを以外にいないのだ。
あの
いかがわしい衣装や下着を強要したであろうことは想像に難しくない。いや、想像はしたくないのだが。
少なくともこれまでにも似たようなことはあったはずだ。
「……私は悪夢でも見ているのだろうか。椿、すまないが頬をつねってくれるか」
「恐れ多いですが……失礼して」
剣劇も終えて、いわゆる『頭痛が痛い』状態の姉さんの頬をつねる。
「ははは。現実か。この事実が悪夢だな全く」
額に手を置きながら嘆かわしそうに呟く姉さん。
明らかに弱っているその姿にセツナの言葉がフラッシュバックする。
『紫蘭という一本の刀として完成が近い剣士の唯一の弱点、それは椿。お前だ』
私を大切に想ってくださっているからこそ、妹が姉さんの弱みになるという。だから退学するよう厳しく当たったと。
その事実を痛感したとき、私は誓ったのだ。私という存在は姉さんの弱みではなく強みに転換してみせると。
そのためなら、この程度の恥は喜んで浴びてみせよう。
たとえ現状がどれだけ無様なものだとしてもな!
「事情は理解した。同情もしよう。だが納得はできん。——そもそもお前もお前だぞ椿。己が何を言っているのかわかっているのか?」
「むろんです」
「いいや、わかっていない。やはりお前は甘いな。そもそも貴様はセツナの口にした『チカラを与える』という言葉を無条件に信じているのだぞ」
威圧の眼光。決闘直前の昂りと相まって正直に告白すれば漏らしてしまいそうだった。
だが、セツナの奴隷になってからの私はとっくに底辺だ。これ以上下がることなどない。ならば浮上していくだけのこと。
「姉さん。内容こそ看過できないくだらないものですが、あの男は己の欲望には嘘を吐きません。むしろ私の躰を貪るためならば、無理やりにでもねじ込んでくるでしょう。私の目の前にいる貴女が何よりの証拠です」
私の知っている紫蘭は魔術を——ましてや複合属性である氷などを発動する鬼ではありません。
セツナの言う『魔改造』された傑作が目の前にいるのです。いまさらあいつの言葉を疑う余地はありませんよ。
「……チッ。チカラに関しては既成事実があるのが裏目に出たか。私をいいように使われている。これも全てあの男の掌だと思うと忌々しいな」
論破できないことを恨めしそうに口にする姉さん。ここが畳み掛けどきか。
「お願いします。どうかご教授いただけないでしょうか」
「それは次の返答次第だ。椿、なぜそこまでして私を追いかけようとする。答えろ」
頭を上げると姉さんが真剣な目で見つめていた。誤魔化すことのできない真っ直ぐなそれだ。
どう答えるべきか。一瞬、逡巡してしまった私だが、最初から決まっていた答えを口にすることにした。
「——貴女を守るためです」
現在の姉さんにとって妹の想いなど戯言にしか聞こえないことだろう。なにせ実力は雲泥の差。このままでは刀さえ結ぶことのできぬ決闘を迎えることになる。
タイムリミットは姉さんが卒院するまでの一年。その僅かな期間で遥か高みに君臨する姉さんを降すという。
現実が遠すぎて吐気がするレベルだ。
「寝言は寝て言え——」
一蹴。けんもほろろ。
ダメで元々だったが、やはり現実は甘くない、か……。
姉さんに拒否を示されたことで計画が白紙になる。さて、どうしたものか。
セツナの課題に応えるため、他に何ができる?
次の方針を考え始める。礼と挨拶を済ませて道場を後にしようとした次の瞬間。
「——だが、私を守るため、か……ぷっ、あっはははははははは!」
「ねっ、姉さん……?」
突然、腹を抱えて大笑いし始めた姿に呆気に取られてしまう。
内容がふざけて過ぎていたせいで壊れてしまったのだろうか。しかし、それは私のせいではなくセツナが——!
「いや、赦せ椿。考えてみればおかしくてな。私に頭を下げてまで教えを乞うのが、セツナの好みそうな下着や水着。その上、私を守りたいからなどと宣う。あっはっはっは! ここまで腑が煮えくり返ると、むしろ清々しいな」
「なっ……!」
姉を超えるために姉に頭を垂れ、教えをこう。それも男の好みそうな下着をだ。
言葉にすると想像以上に思うところがある。くっ、いっそ殺せ……!
「いいだろう。さらなる高みを求める本能には私も理解がある。なによりお前の意志は本物だ」
まさかのYESときた! やったぞ! これであの鬼畜講師の課題は合格間違いなし。
「あっ、ありがとうございます……!」
「礼など不要だ。だが、覚悟しておくのだな。私に頭を垂れることなど比ではない屈辱がお前を待っているぞ? ……くっ、鬼をバカにしたようなアレを妹に伝授する日が来ようとはな。思い出すと腹立たしい。いいか椿。一度しか言わんから絶対に聞き漏らすなよ。あいつが再三私に着用させようと躍起になるのは——」
どうやら不快な思い出も一緒に掘り返させてしまったらしく、セツナが性的興奮を覚える下着と水着のデザインを耳元で呟いた姉さんはそそくさと道場を後にした。
取り残された私は打ち明けられたその趣味の悪さにしばらく意識が飛んでしまっていたようだ。
本当にあいつはまともという言葉を知らんのか……! 性癖が歪み過ぎている!
ええい、ままよ! 考えるな! 無心だ! 無心でやつの好みの下着を——。
「————ぷっ」
姉さんから教えてもらった水着と下着を店員の前に差し出したときに漏らされた笑いを私は一生忘れることはないだろう。
くっ、本当に殺せ……!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます