第12話 情けは人のためならず 人のためは情けならず

 放課後、いつも通り静まり返った教室に外からは下校する生徒と運動部の声が男女ともに聞こえてくる。

 外は快晴。まだ春先からまもない頃であるため日が落ちていくのは早い。

 夕日に照らされた校舎が下校していく生徒を見送るさまは、青春のひとつと言っても過言ではないだろう。

 外では、そんな群像劇ぐんぞうげきが繰り広げられる中、ここ二年三組の教室では、もう一つの群像劇が繰り広げられていた。

 夕暮れどきの放課後の教室で男女が二人っきりという絶好のシチュエーションでーー

「嘘つき」

 一瞬、時間が止まった。

 彼女は、真剣な顔で少しうつむいてはいるが、間違いなく鋭い眼差しでこちらを見ている。俺が知っている上目遣いとは全く違うものであったため、その眼光は止まった時間を動かすには容易であった。

 ふと我に返り、冷静に思い返してみる。

 ーーが、我に返った所で事態を把握できずにいた。

「へっ?」

 この言葉以外の日本語を忘れてしまったかのような感覚になった。自然とその言葉が一つも抵抗することなく出てきた。

 実際、何故『嘘つき』等と言われたのかが、さっぱり分からない。

 正直、咄嗟とっさに思い付いた言葉で弁明をしてはいたが、自分で言うのもなんだが疑われる筋合いが見つからない。何の根拠を持って『嘘つき』と言っているのかーー

「見たでしょ」

 彼女は見られたという意識を全面に押し出しながら、そう問いかける。

 わかった。これは誘導尋問だ。彼女は心配性だから、『見ていない』、『本当』という言葉以外に見られていない確証が欲しいのだろう。

 この手の誘いには乗らない自信がある。

「いや、見てないよ!ほんとだって!」

 動揺していると思われたら、その時点で悟られる。かといって、全く動揺していないのもおかしい。

 自分の意見を信じてもらえなかったら、あまつさえ疑われていたりしたら、少しは動揺するのが普通だろう。

 こういう場合は、表情を一定にして声色こわいろだけを変えて訴えるのが得策だろう。

 俺は昔から人と自分との間に感情の差異があることを知っていた。気付いたのは、幼稚園の頃に友達とかけっこをしていて友達に後ろから足を踏まれて同時に転けた時。

 前に転けたので俺の方が友達の体重分が加わり痛かったはずだが、泣いたのは友達の方で俺は泣かなかった。

 それから、人の感情に出来るだけ近づくように人と自分との間で、感情に開きが出ないように考え、過ごしてきた。

 そのせいか、小学校の時は男女共に友達は多かった。それは共感とはまた違ったものだった。今では、人が何を考えているのか理解出来ない。ただ、考えようとすると自然に人と近づかないという結果になる。

 それは、恐らく皆は俺と話したくないという心情なのだろうと結論づけてきたからだーー

 自分から距離を取っているというつもりはそこまでなく、あくまで他人のことを考えて距離を取ってきたのだ。

 伊達に人との距離を取ってきたわけではない。

 それどころか、人との距離の取り方が上手いと誉められても良いくらいだ。

 また余裕を取り戻した俺は、そんな自負がある事に気付く。

「なんで嘘つくの?」

 俺は『なんで嘘つくの?』となんで言われるの?と思い、疑問を抱いた表情を浮かべる。

 すると、続けざまに彼女は言うーー

「いいから正直に答えて!」

 先ほどとは、うってかわって強気で狂気に満ちたかのような怒声が教室内に響く。

 突然の大きな声にビクッとなり、動揺する。

 何か応えなくてはならない。

「あ、いや、えーと」

 しどろもどろしている俺を今にも泣き出しそうな表情で怒っている様子の彼女がまるで返答を急かしているかのようにこちらを見ている。

 どう言えば良いのか、皆目検討もつかずにいるとーー

 (ガララ)

 ドアを開く音がした。

「おっ、まだ居たのか。二人ともごくろうさん!掃除はもう終わったか?......ん?」

 正直、ホッとした。

 振り返るとそこにはーー

 担任の鑑野鈴が教室のドアを開き、入ってきていた。

 廊下の足音すら気付かない程に緊迫していたことに気付く。

 先生も違和感に気付いたのだろう。

 少し心配そうに俺たち二人を見つめる。

 ここで先生にバレると余計面倒になる。

 その点に至っては、天道桜も同じだろう。

 ここは俺が一肌脱いで彼女を恩に着せる事が一石二鳥だと考え、俺は先生の手伝いをするふりをして、先生と共に教室から出ようと考えた。

 そうして俺は先生に向かって、ひとまず掃除が無事に終わったことを告げようとする。

 するとーー

「はい!掃除は今終わったところです」

 と、隣から聞こえた声は少し震えているようにも聞こえたが、普段と変わらない天道桜の声だった。

 先生も少しあっけにとられていたが、

「そうか。お疲れさま」

 と、普通に返す。

「それでは、私は帰ります。お疲れさまでした」

 天道桜もそう言って何事もなかったかのように帰っていく。

 と、思いきやーー

 俺の隣を通った時だった。

 ほのかに香るシャンプーの香りがとても良い匂いで、よりいっそその言葉が脳裏に焼き付いた。

「最低」

 小さな声であるが、芯のある声で確かにそう言ったのが聞こえた。

「さよなら」

「おう、気をつけてな」

 先生は聞こえなかったのか、彼女のさよならに身を案じた言葉をかけて別れを告げた。

 彼女が教室を去っていく時の廊下の足音は鮮明に聞こえた。

 俺はしばらく呆けていた。

 すると先生が、

「お前も用が終わったらすぐに帰れよ」

 とだけ言って再び教室を後にした。

 あくまでも俺らだけの問題で自分は首を突っ込む気はないってかーー

 そこは少し見直したかもしれない。

 ちょうど良い。今日は無理だったが、明日こそ誰にもバレずに二人で解決しよう。

 俺が天道桜を怒らせたなんて知られた日には、それこそもう学校に行く勇気なんて出ないだろう。それほどにまで天道桜という女子は学校中の信頼を集めているのだ。

 だが今日は流石にビックリした。

 女の子が、ましてやあの天道桜があんな大声で怒鳴るとはーー

 まだ心臓の鼓動が早い事から動揺が隠しきれていなかった事に気付く。

 それにしても最後の彼女の『最低』という言葉が引っ掛かる。

 あの状況で第三者が来たことに対してか、はたまた俺に対してか。

 俺に対してだったら、何故そのように言われたのか。

 やはり見たと思われているのかーー

 もしや、彼女は何か俺がノートを見たという証拠か根拠があるのだろうか。

 そうなるとまずい。非常にまずい。

 とにかく今日はもう家に帰って、ゆっくり考えよう。そうしよう。

 俺も教室を後にした。そして、誰も居なくなったーー

 翌日、彼女は学校を休んだ。

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