八章・約束(2)
【ああっ!?】
ドロシーが悲痛な叫び声を上げる。その手中から抜け出し、朱璃の救出へと走るアサヒ。化生の巨体は支えを失い、ゲートの中に飲み込まれていく。
朱璃もまた宙に投げ出されていた。しかし彼の伸ばした手が届く寸前、向こう側から蛇が飛び出し、彼女に絡みつく。
「こ、このっ!!」
その蛇を掴んで引き千切ろうとするアサヒ。しかし切れない。殴って、蹴って、魔素を放出してぶつけても切断できない。あの女の執念が篭もっているかのように。
「アサヒさん! 朱璃さん!」
再び剣を振るう斬花。しかし刃状障壁は二人のところまで伸びなかった。とうとう霊力が尽きたからだ。
さらに、
「きゃあっ!?」
「斬花!」
魔素が渦を巻き、彼女を弾き飛ばす。そのまま、誰一人通すまいと結界を張った。疲弊した今の状態では突破する方法が無い。
渦の中心では、ゲートから僅かに顔を出したドロシーがアサヒに対し命じる。
【さあ、私を助けなさい! 朱璃を連れて行かれたくないでしょ!】
「クソッ!」
もうそれしかない。蛇を掴んで全力で魔素を噴射する彼。
ところがその瞬間、ゲートの吸引力が上がった。彼の全開の力でも抵抗できない。空中に障壁を展開して足場を作り、踏ん張ろうとしたら、その障壁が強制分解されてゲートへ飲み込まれた。
「やめてくれ! このままじゃ朱璃まで連れて行かれるんだ!」
ゲートの中心に見える、もう一人の自分に向かって呼びかける。しかしそれはもう自我を喪失した、ただの装置。今も設定されたプログラムに沿って作動しているだけ。
ドロシーを必ず倒すという、その目的に従い。
【早くしなさいよ、アサヒ!!】
「どうしたらいいんだ!?」
【──こうだ】
万策尽きたアサヒが叫んだ、その瞬間、彼の体内から巨大な腕が飛び出す。頭を、胴を、脚を、全てを
「なっ!?」
【こうしたらいい。お前達は、ここで生きろ】
ライオは自らゲートの中に突っ込んだ。すると、まだ外に出ている彼の体に無数の蛇が噛みつく。
【やめろ! やめろ! やめろっ!!】
【喜べ、我が旅の道連れになってやる。未知の世界を巡りたかったのだろう? だったら、素直に旅立て!!】
彼はドロシーを押し込む。アサヒは全力で抵抗する。その結果ついに朱璃に絡み付いていた蛇が千切れた。
【いやあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……】
完全にゲートの向こう側へ消え、遠ざかっていくドロシーの声。蛇に噛みつかれたままライオも道連れになった。
「そ、そんな……」
アサヒは自分の胸に手を当てる。まだ結晶は、つまり“竜の心臓”はここにあった。
ならライオは? あいつは今、どうやってあの巨体を維持している。
「多分、そろそろ拡散が始まる頃……」
「!?」
アサヒの表情を読んで答える朱璃。ライオはアサヒの体内にあった魔素の一部を使って自分の肉体を形作った。けれど、それが維持できるのは、ほんの一時。体内に“心臓”を有していない彼は間も無く消失する。元の漂うだけの魔素に戻ってしまう。
アサヒは大きく口を開け、何かを言おうとして、けれど言えなかった。
迷って、迷って、迷って──その背中を朱璃が引っ叩く。
「行きなさい!」
「で、でも……でも……!」
「行きたいんでしょう? 助けたいんでしょう? なら、ガッカリさせないで!」
自分が好きになった男は、愛する夫はそういう男。普段は気弱なくせに、いざという時、大切な人や仲間を守るためには自分を投げ出してまで助けようとする。
「アンタは……そうじゃなきゃ駄目よ……」
そう言って彼の首に抱き着き、もう一度だけ口付ける朱璃。
そして、すぐに離れてしまう。今までで一番短いキス。
嫌だ。だからアサヒは約束する。いつかのように。
「絶対に帰って来る」
「うん」
「待たせるかもしれない……でも、俺は絶対、君のところへ帰って来る」
「うん……」
「だから、待ってて……辛いかもしれないし、酷い話だってわかってるけど!」
「……」
「絶対……帰るから、帰って来るから!」
「行け!」
叱咤され、アサヒはゲートの中へ飛び込んだ。朱璃はしばらく我慢していたが、やがて耐え切れなくなって泣いた。生まれてから今日までで、一番大きな声を上げて叫んだ。
彼の名前を、後悔しながら呼び続けた。
「バカヤロウ……」
空を見上げ、マーカスもまた涙する。どうしてだ。どうして誰も彼も、あの子を置いて行ってしまう?
絶対に帰って来い。約束を守らなかったら、この手で必ず殺してやる。
彼にできることはもう、祈ってやることだけ。その頭上で、人々が見守る先で、ついに維持限界を迎えた結晶が拡散し、ゲートも消失した。
【よくも、よくもやってくれたわね……!】
【ハハハ、とうとう化けの皮が剥がれたな! それが貴様の本性か! 道化の仮面を被り、己を偽り続けた者の素顔か!】
怒りに燃えるドロシー。その苛烈な攻撃に晒され、どこともわからない虹色の空間の中で傷を負い、残り少ない魔素を消耗したライオは消滅の時を迎えようとしていた。
だが、そこへ──
【えっ?】
【ば、馬鹿者が!!】
高速で接近してくる存在を感知し、両者は同時に同じ方向へ振り返る。直後、彼の肩にアサヒが蹴りを叩き込み、着地した。
「馬鹿はお前だ!」
他に方法は無かったのかもしれない。こうしなければ、自分達だけでなく朱璃まで巻き添えにしてしまっていた可能性が高い。そんなことはアサヒだってわかっている。
けれど、あんな助け方をされて、それでこの先、どんな気持ちで生きて行けばいいって言うんだ?
「お前はもう、そういうやつなんだよ! 俺にとっては、見捨てて平気でいられるような相手じゃないんだ!!」
【……そうか】
見誤っていた。自分達の関係を、自分に向けられる相手の気持ちを完全に誤解していた。素直に非を認めるライオ。同時に気付く。目の前の女を嘲笑ったが、己を偽っていたのは自分もだったのだと理解した。
【我もそうらしい。貴様がここへ現れた瞬間、不覚にも喜んだ】
「だったらいいな? 文句を言うなよ」
【言わぬとも】
「よし」
アサヒは手を伸ばす。その手の平に吸収されていくライオ。完全に拡散して消滅する前に再び同化を果たした。
全身に赤い鱗が浮き上がる。額から角が生える。
その状態で問いかける。
「もう、戦う理由は無いよね?」
【……いいえ】
ドロシーは微笑む。嬉しそうに、妖艶に肢体をくねらせて。
【あなたに無くても、私にはある。してやられた仕返しがしたいわ。それに別のどこかへ辿り着くまで暇潰しも必要でしょう?】
「……いいかげんにしてくれよ」
そんな理由で、どうして平気で他人を踏み躙れる? アサヒには、この女の思考が全く理解できない。そして、こんな怪物に惚れた自分のオリジナルも理解できない。
やっぱりもう、彼と自分は別人なのだ。
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