八章・約束(1)
『馬鹿な……なら、あの崩落事故は君が!?』
気が付いたのは、彼女自身が残したメッセージを見つけた時。夫婦の寝室。いつも寝る前に彼女が書いていた日記。その最後のページに、彼にしかわからない暗号があった。昔、二人だけでしていたゲーム。その中で作った暗号。だから他の誰にも読み解けない。
解読して辿り着いた場所に伝言が残されていた。そしてようやく知った。
母はまだ生きている。いや、そう言える状態かわからないが、あの時のドラゴンの体内に今も囚われていると。
そして妻は、ドロシーは、その巨竜から接触されたらしい。奴には高度な知性があって、彼女に提案を投げかけた。夫を差し出せと。自分の望みは故郷への帰還。そのために必要な生贄を差し出してくれ。そう頼まれ、彼女は飲んだ。
何故、そんな提案を受け入れたのか、その理由も、行動に移した場合の計画も、全てが赤裸々に書かれていた。
『ドロ……シー……!!』
涙を流し、告白の綴られた紙を握り潰す。信じていたのに、愛していたのに、どうしてこんな裏切りを?
『宇宙の星々を巡りたい……? そんな、そんな理由のために殺したのか! あれだけの数を!』
少し前にここ仙台の地下都市で発生した崩落事故も、彼女の仕業だった。彼女が巨竜と結託して引き起こしたこと。そのせいで三〇〇〇人が命を落とした。彼女自身も犠牲者の一人だと思われていた。
こんな真実、誰にも言えやしない。仲間達にも、娘にも、絶対に教えられない。
そうか、だからか……
他の人間に説明できるよう言い訳を与えてくれたわけだ。
『ふざけるな……! 絶対に、絶対に止めてみせるぞ……!』
宇宙へ旅立ちたいなら行けばいい。けれど、したことの責任だけは絶対に取らせてやる。そして本当に奴の中に母がいるなら、一緒に連れて行かせはしない。
『俺がお前を止めてやる! それが望みなんだろう!?』
彼は証拠を、ドロシーの告白が書かれていた文書を全て焼却してから仲間達に母を救うという口実で相談を持ちかけた。
でも誰も話に乗ってくれなかった。そもそも本当に母が生きているのかどうか、彼自身ですら疑ってしまっている。それで説得できるはずがない。今はもう若かった頃と立場が違うのだ。全員が王国を支える柱として重責を担っている。
だが、どうしても諦められない。
『……そうだ』
彼女なら、ひょっとしたら力を貸してくれるかもしれない。さほど深く知っている相手ではないが、しかしまだ未熟だった頃の自分に指導と教訓を与え、導いてくれたあの女性なら実力は十分。
密偵からの情報では今もまだ南日本にいるということだ。しかも自身と同じような才能の持ち主を集め、術士隊なる組織を結成したと聞く。
今後の方針は決まった。助力を仰ぐために南日本へ渡る。もし協力を取り付けられたら、東京で巨竜とドロシーを探し出し、必ずその計画を止める。
ただ、やはり不安もある。自分が去ってしまって、本当にこの国の人々は生きていけるだろうか? 魔素が記憶災害を引き起こす仕組みについてはおおむね解明できたが、対処法となると、まだまだ不確実な方法しか見つかっていない状態なのに。
『いや』
──そういう風に言い訳を探して、自分を誤魔化して、伊東 旭という男は北日本王国を離れてしまった。
そして結局、その後の選択も誤った。我が子に重責を押し付け、自分は怒りのまま勝手な行動へ走ったくせに、最も大事な場面で間違えてしまった。
『アハハ……やっぱり、アナタにワタシは殺せナイ……』
ドロシーが笑う。自分の夫を見上げ、血塗れの顔を歪めて笑う。
彼女の剣が旭の心臓を貫いた。力を失った彼は、茫洋とした表情で彼女の上に崩れ落ち、囚われる。
『坊や!?』
記憶災害に足止めされ、凶行を阻止できなかった
シルバーホーンという名の、赤い闇の体内に。
『くっ……撤退! 一時撤退なさい!』
弟子達に指示を出す月華。彼女もまたここで選択を誤った。彼女の力ならここで巨竜を、蛇のドロシーが同化している怪物を、取り込まれた二人ごと消滅させることだってできたのだ。
でも、そうしなかった。四八年前、新宿駅の前でビニール傘をくれた娘──伊東 陽に対する情が、その息子を救い出せる可能性に賭けさせた。
そして、それから二二〇年後──彼女と彼女の娘の一人は、まだ巨竜の体内で生存していた旭と結託し、一つの特別な存在を生み出す。
ドロシーと出会う前の彼を再現し、彼が生まれ持った能力と強力な仲間を与えた。もうそこから動くことのできなくなった自分に代わり、巨竜の体内に潜んでいる真の敵を打倒してくれると信じて。
もしも、それが成されなかった場合の保険も残しておきながら。
【の、飲み込まれる!】
目の前で開いた巨大なゲートが自分を吸い込もうとしている。ドロシーは必死にそれに抗った。だが、よく見ると彼女だけだ。引き寄せられているのは彼女だけ。人間達は動揺しているものの、自分のように引っ張られたりはしていない。
【旭ッ!】
やはりだ、これほど精密な魔素の制御。特定の対象だけゲートに引き込もうとするなど彼以外の誰にもできない。これは夫が最悪の事態に備えて仕込んでおいたトラップ。自身の模倣体アサヒが怨敵を倒せなかった時にだけ発動するようになっていた最終手段。
【嫌よ! 私は、あの星々を! 父さんが見つめ続けた宇宙を──】
すでに背中から、上半身の半分が飲み込まれている。このままではどこか別の宇宙へと飛ばされてしまう。
ところが、そんな彼女を救う者があった。意外な展開に思わず笑いが込み上げて来る。
【アハ、アハハ! そうよね、あなたはそうするわよねアサヒ!】
「
握り締めていたアサヒがなんとか腕だけを抜き出して、一方の腕をゲートに向け、もう一方の腕をドロシーの右手に捕えられている朱璃に向かって伸ばす。ゲートに向けた左手からは全力で魔素を噴射していた。その推進力で、彼を掴んでいるドロシーも徐々に引き戻される。
「待ってろ、朱璃!」
マーカスもドロシーの右手を攻撃する。指を破壊して朱璃を救い出そうとした。しかしその衝撃で体勢がぐらつき、アサヒが魔素を噴射する方向にもズレが生じてしまう。
「あっ、クソッ!?」
デタラメな方向に噴射してしまい、修正を試みてドロシーの左手ごと蛇行する彼。その間にも彼女はさらに深くゲートへ沈み込んで行く。掴んでいる朱璃とアサヒ諸共に。
「ま、まずいッスよマーカスさん! 今は攻撃しないで!」
「じゃあ、どうしろってんだ!? このままじゃ朱璃まで連れてかれちまう!」
「アサヒ! 班長!」
「殿下!」
「あっ!」
目を見開く
当然、飛行能力も失われる。
「う、うわあああああああああああああああああああああああああああああああっ!?」
「皆さん!」
助けようとした
そこへ──
「斬花! 霊力は残っているか!?」
飛翔術で飛んで来たカトリーヌが彼女を抱え、上昇をかけた。
「は、はい!」
「なら、お前が頼りだ!」
急上昇する彼女達と、落下しながらすれ違うマーカス。
「頼む!」
「任せろ!」
「斬れ!」
「斬ります!」
姉が展開してくれた魔素障壁を足場に刀を振り抜き、刃状障壁を伸ばす斬花。残された霊力の全てを込めてドロシーの両手の指と手首を切断する。
「やった!」
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