七章・幻日(3)
「キャアアアアアッ!?」
「ッ!?」
悲鳴を上げた女が、壁に叩きつけられて潰れる。弾けて飛び散った赤い血と肉片は火の海に飲まれ、焦げ臭い異臭を放った。
太い尾がさらに多くの人々を薙ぎ払い、命を奪う。人間がアリを踏み潰すようにいとも簡単に、そして何の感慨も無く蹂躙される。突然現れた怪物は巨大なその手で、まだ多くの人間が中に取り残されている柱状集合住宅を掴み、へし折った。重なる絶叫。親を呼ぶ子の声さえ、それに掻き消されてしまう。
見覚えがある地獄絵図。
自分は、この光景を知っている。
「旭!」
「あっ──」
ドンという衝撃と共に突き飛ばされた。母がこちらに向かって手を伸ばしている。咄嗟に息子を逃がしたのだ。彼女の向こうでは祖父と祖母が炎に包まれていて、それでも娘と孫に対し『逃げろ』と叫び続ける。
次の瞬間、凄まじい衝撃が地面を揺らし、鮮血と共に母の右腕だけが回転しながら宙を舞った。
赤い鱗に覆われた巨大な頭。鋭い牙の並ぶ顎が母を飲み込み、その上にある金色の両目で自分を見据え──笑った、ような気がした。
「うあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」
受け入れがたい現実を前にアサヒは叫ぶ。周囲で魔素が渦を描き、強く抱きしめた母の右腕が強化された力のせいで潰れてしまった。初めての発動。血塗れの慟哭。オリジナルの伊東 旭が初めて“
これは、その夢。
わかっている。夢だとわかっているのに抑え切れなかった。オリジナル同様、アサヒも激情のまま眼前の巨竜へ立ち向かって行く。
「ガアッ!」
殴る。蹴る。浮かび上がった頭部よりさらに上に跳んで叩き落す。
巨竜も黙ってはいない。鼻面から伸びた銀色の角を振り回しアサヒを打ち据えた。至近距離から炎を浴びせて焼き尽くそうとする。
しかし燃えない。
燃えず、倒れず、再び魔素を噴射して殴りかかる。周囲の被害など一切考慮せず都市を破壊しながら衝突を繰り返す。
やがて両者は大地を引き裂き、地下八〇〇mから一気に天高くまで上昇した。東京全体を一望できる高度まで達した直後、時が止まったかのような錯覚に陥りつつ、しばし睨み合う。
【アサヒ】
──誰かに、名前を呼ばれた気がした。しかし、怒りと憎しみで我を失った彼は構わず前に突っ込む。後方に魔素を噴射して超音速で間合いを詰める。
殺してやる!
思考はそれ一色で塗り潰されていた。ドス黒い殺意をありったけ拳に注ぎ込む。膨大な量の魔素と共に。
拳と角が衝突した──途端、爆発が起こり、巨竜は頭からその圧倒的な力によって肉を削がれ、骨も砕けて消滅する。
だが、巨体の中から銀色の球が現れた。それだけは光の奔流の中で微動だにせず浮かび続けている。
いったい何なのか、アサヒには知る由も無かった。彼もまた反動で彼方へ吹き飛ばされ、ビルをいくつも貫き、瓦礫の山の下で気を失ったから。
悲鳴は止まない。都内三ヵ所に建造された地下都市それぞれから人々が逃げ出し、さらなる不運に見舞われた。
新宿を中心に生じた大爆発が彼等の半数以上を飲み込み、その大破壊から逃れた者達もまた、繰り返し発生する“記憶災害”によって地獄を見たのである。
そして東京と世界各国の都市は、たった一夜で壊滅した。
──気が付けばアサヒは、地面を叩き、喉の奥から掠れた声を絞り出して号泣していた。繰り返し何度も謝る。額を地面に打ち付け、自分を責める。瓦礫の下から這い出した彼は、己が行動の結果を知ったのだ。
東京に巨大なクレーターが生まれていた。何千、何万、何十万──もしかしたら何百万という命を奪った。怒りのまま行動して数え切れない人を巻き込んでしまった。
どれだけ謝ったって足りない。
自分には償い切れない。
ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。
ほんの少し背が高くて、人並外れて力が強く、そしてそれ以外は普通だった少年。彼は、ここで幸せを捨てた。それを得る資格を失った。自分自身で剥奪した。
そうする以外、どうしようもなかった。
(あの人達に償わなきゃ。何年、何十年、何百年かけても……絶対)
過去の自分を冷静に見つめる、今の自分。
そんな自己を認識した瞬間、背後から肯定される。
「そうだ、だから、お前も」
「ッ!?」
アサヒが振り返ると、そこにもう一人、自分と同じ顔の男が立っていた。
ただし老けている。見覚えがあった。この姿は秋田の王城で──
(肖像画の……王様になった後の俺だ。たしか四十代の頃だって……)
男はアサヒを指差し、その指先を爆心地の方へ向け、厳しい眼差しで睨みつける。
「お前も戦え。この憎しみを忘れるな。皆の悲しみを直視しろ。これは俺がやったことだ。なら、お前のやったことでもある。戦え! 死ぬまで戦い、償い続けろ!」
「う、ううっ……」
幸せになる権利など無い。安穏とした生活にしがみつくことは許されない。男の気迫に怯んだ瞬間、再び熱気が頬を撫ぜる。
「えっ!?」
「キャアアアアアッ!?」
地上にいたはずなのに、また地下都市の中へ戻っていた。火の海と化したその場所で女が一人、壁に叩きつけられ赤い血の花を咲かせる。
「旭!」
母がこちらへ振り返る。手を伸ばす。突き飛ばされて尻餅をつく。
その目の前で──また、巨大な顎が彼女を喰らった。
「うあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」
そしてまた繰り返す。怒りで我を忘れ、後悔を忘れ、覚醒した力に飲み込まれる。
一瞬だけ脳裏をよぎる疑問。これはいったい何度目だ?
自分は、何回繰り返している?
「八二……また失敗。もうすぐ夜なのに終わらない……王太女殿下には、今夜は別の部屋で寝てもらう必要があるかしらね」
椅子に腰かけ、うなされる彼を見守りつつ嘆く月華。
あるいは、とも考える。
(二度と目覚めないかもしれない)
十分にありうる話だ。これはそういう術。脱出に必要な鍵を見つけ出さない限り、絶対に夢の世界から抜け出せない。
──まあ、そうなったとしても使い道はある。
「いざとなったら、爆弾になってもらうから」
先程の講義では、あえて説明を省いた情報。蒼黒の核は徐々に北上を続けており、ここ大阪へ近付きつつある。
あれの侵攻は、もはや自分の力では食い止められない。次の襲来で倒せなければ確実に大阪は滅びる。
しかし、それは好機でもあるのだ。
大阪に、いや、爆発の範囲に敵の核が到達した時点で、この少年の体内の魔素を刺激し暴走させてやればいい。かつて東京の半分を消し飛ばした力だ。タイミングさえ外さなければ確実に奴も葬れる。
あの怪異を完全に消し去れるなら、死にかけの地下都市一つなぞ安いもの。その後で北日本に契約を履行させ、福島と仙台を譲り受ける。住民はそこへ連れて行けばいい。道中多数の犠牲は出るだろうが、蒼黒に飲み込まれるよりは大分マシだ。
「フフ、そうね……酷い話だわ」
思い出の中の夫に叱られる。でも、しょうがないじゃないか。この子が“鍵”を見つけ出せなければ他に手は無い。自分も万能ではないのだ。例の“彼女”とは違う。
「それに知ってるでしょ? 私は、とっても悪い、魔女なのよ……」
呟き、窓の外を見つめた。蒼黒に削られ深い渓谷と化した大地。その割れ目の向こうに丸い月が見える。
深淵まで届く光に、全てを見透かされているような気がした。
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