四章・覚悟(1)

 翌日早朝、地下都市ふくしまから出た一行は駐留兵達に見送られつつ、まずは西に針路を取った。馬上の朱璃あかりが空を見上げ、雲の位置を確かめる。

「さーて、ここからが本番よ」

 天気は快晴。一番近い雲からもかなりの距離がある。この分なら、当面空からの襲撃は無さそうだ。

「前回のことを考えると、大変な旅になりそうですね」

 四ヶ月前、まさにこの近辺で負傷した小波こなみは苦笑いする。自分達を救い、命を落とした老兵の姿も思い出し、少しばかり切なくなった。

 面影を追って振り返り、敬礼を送る友之ともゆき

「ジロさん、いってきます」

「長旅だが、今回は味方も多い。心配しなくていいぜ」

 マーカス、朱璃、アサヒ、門司もんじとウォール。そしてカトリーヌもやはり同様に敬礼して祈りを捧げる。それを見た護衛隊士達も後に続いた。風花ふうかだけは首を傾げる。

「姉様、ジロさんて誰です?」

「立派な調査官だ」

 妹の質問に答え、視線を西に戻すカトリーヌ。真司郎しんじろうのことは尊敬していたが、長々と感傷に浸っているわけにはいかない。朱璃の言う通り、ここからが旅の本番なのだ。

 計画では日本海が見えるまで西進し、そこから海岸沿いを移動。最も危険な関東地方を迂回しつつ新潟から富山、富山から名古屋、そして最後は都市間連絡通路を使って大阪へ到る予定になっている。

 アサヒが変異種や“竜”を引き寄せるという事実は、すでにその“原因”と共に今回の旅のメンバー全員に説明済み。なので全員が厳しい旅路を覚悟してあった。

 門司は、そのアサヒを見つめる。

「いざとなったら頼りにしてるよ、ボウヤ」

「はい、頑張ります」

 頷き、拳で胸を叩く少年。たしかに今の彼は頼もしい。あの力なら“竜”ですら大半は相手にならない。

 しかし──


「油断するな、アサヒ」


 カトリーヌは釘を刺す。いくら強くても慢心されてしまっては困る。

「お前の、いや、シルバーホーンの語ったことが本当なら敵は狡猾だ。どんな手段で攻撃してくるかわからんぞ」

「……はい」

 再び頷いて表情を引き締めるアサヒ。二人の会話を聞いていた朱璃も、最後方をついて来る二頭の馬の背を見た。

(アレの出番もあるかもね……)

 その二頭に人は乗っていない。直接御さずとも他の馬や人についていくよう訓練された荷運び専用馬だからだ。背中の荷は、これだけ戦力が揃っていれば必要無いかもしれない。だが、必要な状況が訪れないとも限らない。

 そう考える彼女の脳裏には、四ヶ月前、アサヒを保護して福島へ辿り着いたあの時から数日後の記憶が蘇ってきた。




 ──時は遡り、四ヶ月前の福島。アサヒが“渦巻く者ボルテックス”として覚醒し、巨竜を撃退した戦いの数日後のことである。


「何が訊きたい?」


 問いかけて来たのは、アサヒの顔で彼の声を発する別の存在だった。椅子に座り、鎖で縛りつけられ、その鉄鎖の先端は太いボルトで床に固定されている。胸にはいつでも起爆可能な爆弾が括りつけられていた。

 さらにここは地下都市内で最も頑強な部屋。彗星の衝突が予想を超える被害をもたらし、地下都市全体が崩壊の危機に陥った場合にのみ使われる予定だったセーフルーム。旧時代には存在が秘匿され、ごく一部の人間だけが知っていた場所。分厚く重い三枚の扉を完全に閉ざしてしまえば、すぐ外で核爆弾が爆発しても被害が及ばない設計になっている。

 また、空気や水、食料といった生存に必要なあらゆる資源を半自動的にリサイクルする設備が整っており、旧時代ならこの中だけで数年間生存できたそうだ。

 もちろん電力が使えなくなった今、それらの機械は稼働していない。だがこの頑強さは彼という“爆弾”を封じ込めておくのに最適だ。


(まったく安心はできないが……)

 聴取に立ち会うことになった福島駐留軍の司令官は、努めて平静を装いつつ固唾を飲み込んだ。

 こんな場所に封じてなお、彼も、そして秋田から派遣されて来た二名の調査官も怯えを隠し切れずにいる。

 当然だ。目の前の少年は“竜”なのだから。人の姿形こそ取っているが、正体は伝説の怪物シルバーホーン。相対して緊張せずにいられる方がおかしい。

(いや……)

 この場でそんなことを考えては失礼か。王室護衛隊にも負けない忠誠心を持っていると自負する彼は、律儀に自分の思考を撤回した。

「まずは、アンタの目的」


 恐怖心を失っている──噂に聞いたことはあったが、本当らしい。怪物の正面に座った王太女・星海ほしみ 朱璃は、ただ一人、なんら臆することなく問い返す。

 彼女の質問を受け、瞳を金色に変えた少年は値踏みするように見下ろした。やはり全く別人格。初代王“伊東いとう あさひ”を再現した記憶災害だという本来の彼は、こんな態度を取る人間ではなかった。

 やがて、対話のため少年の口を借りた巨竜は回答する。


「奴を倒す、それだけだ」

「あの白い蛇?」

「そうだ」

「どういう関係?」

「この世界で“再現”された直後より、奴に操られ続けていた。それが気に食わん。我は我以外の意思で動くをよしとせぬ」

「いいように使われたからやり返したい。ようは、そういうこと?」

「その認識で構わん。ずいぶん長いこと支配下にあったのでな。先日のあの一撃程度では物足りんよ。もっと徹底的にやり返さねば」

「なるほど……」

(納得なさるのですか、殿下?)

 本当にそれだけが目的とは思えない。そんな子供じみた理由で争うなど。

(いや……)

 人の姿な上、想像だにしていなかった知性まで示されてしまい忘れかけていたが、そもそもこの怪物は獣なのだ。極めて単純な理由で戦っていたとしてもおかしくはない。

(とはいえ、やはり頭は良さそうだしな……)

 司令官には正直、彼の言葉を信じるべきか否か判断できなかった。ならやっぱり、頭の良い人間に任せるべきだろう。


 期待通り、朱璃は質問を重ねる。


「ずいぶん流暢に日本語を話すのね?」

「言語を学ぶ機会と時間はいくらでもあった。奴の体内には我と同じように貴様等人間も数多く囚われていたからな。我と同化したこの少年の記憶も参照できる。それに──」

 ククッと、突然含み笑いを見せる巨竜。

 眉をひそめた人間達を嘲る。

日本語ニホンゴは、およそありとあらゆる世界で使われている。大きく変化してしまい、もはや原型を留めていない場合もあるがな。ここの言葉もかなり基本形を外れていて覚えるのに苦労したぞ」

「は?」

 意味が分からず間の抜けた声を上げる二人の調査官の片割れ。もう一人も困惑している。司令官にもやはり理解出来なかった。何を言ってるんだ、この竜は?

 朱璃だけが目を見開き、椅子から腰を浮かせた。

「世界……まさか並行世界パラレルワールド? アンタ、本当に別の世界の生物だって言うの?」

 理解が早くて助かる。鷹揚に頷くシルバーホーン。

「そう、貴様等の一部が唱えた仮説通り、我々“竜”の中にある高密度魔素結晶体は門の役割を果たしている。異なる宇宙同士を繋いでいるのだ」

「なっ……!?」

 詳しい説明を受け、ようやく司令官達も驚愕した。高密度魔素結晶からは無尽蔵に魔素が放出される。そのためそういう仮説があるということは彼でも知っていた。だがまさか、こんな形で裏付けられるとは。

「魔素は接触した生物の記憶を保存し、結晶化してゲートを開く。そして別の世界へその情報を送り込む。昔から繰り返されて来たことだ。オリジナルの我がいた世界も、ここと同じように“記憶災害”によって滅んでいる」

「なんだと……」

 だとすれば、さっきの言葉の信憑性が増す。記憶災害によって滅んだ世界の住人だったから、彼は自分と同じ記憶災害を憎んでいるのかもしれない。

「あの白い蛇も?」

「いや」


 少年の姿の竜は、人間らしく頭を振って否定した。


「あれは元々この世界にいた生物だ。そもそも記憶災害ですらない」

「えっ?」

「似ているからな、誤解するのは無理もなかろう。膨大な魔素が存在する場所では、稀にああいう生物が産まれる。魔素そのものに自我が芽生えた生命。記憶災害とは似て非なる存在。魔素に取り込まれ、そのルールの中でのみ一時の自由が許されている我々と異なり、あれは魔素を支配して自在に操ることができる。ゆえに我が単独で挑んだとしても奴には絶対に勝てん」

「……」

 ──伝説の怪物が、相手を自身より上位の存在だと認めた。それにより、ようやく朱璃達も“蛇”の危険性を正しく認識する。

 特に司令官が震えた。彼は数日前、シルバーホーンの凄まじい力を目の当たりにしたばかり。あれよりさらに格上の生物など想像もできない。


「だ、だからあなたは……我々に協力すると?」

「そうだ」

 調査官の一人が問いかけた言葉に、今度は首肯するシルバーホーン。

 続けて、人類にとっては屈辱的な言葉を投げつける。


「お前達は弱い」


 人間はあまりに脆弱な種だ。あの“崩界の日”から二五〇年も経っているのに、彼から見れば遥か格下の竜にさえ未だ対抗できずにいる。

「だが、それでも奴を相手にする場合、記憶災害まがいものよりは戦力として期待できる。数も多いからな、人間は」

「偉そうに……」

 宿敵の態度のデカさに苛立ち、舌打ちする朱璃。頼られた理由は推察できる。というか、これしかない。

「アタシらは奴に操られない。そうでしょ?」

「ほう……」

 目の前の少女は、これまでの会話で得た僅かな情報から正解に辿り着いた。彼は口角を持ち上げてほくそ笑む。やはり、この娘は特に使える人材らしい。

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