終章・来訪

「そうですか、彼が目覚めましたか」

「はい」

 王城、その上層階にある王の私室。小畑おばた 小鳥ことりは真の主の前で頭を垂れる。

 剣照けんしょうの死後、彼女は忙しかった。捕らえた兵士達と反体制派から情報を引き出し、王の御旗の下、彼等の残党を一掃した。アサヒが長らく眠っていてくれたことは、彼女にしてみればむしろ幸いだったと言える。

「今後も私はあの方の監視を?」

 剣照一派の掃討という任務を終えた今、余力はある。本来の職務をこなしつつ彼の侍女を続けることも難しくはない。

 しかし女王は頭を振った。

「そろそろ貴女の淹れてくれるお茶が恋しくなってきました。それに彼は朱璃あかり以外を抱くことはないでしょう」

「そうですね」

 初代王あさひの血を再び王国に取り戻す。そのために女王がアサヒに対し宛てがった花嫁候補は実は朱璃だけではない。彼女は小畑や大谷にも同じ役割を期待した。他にも数名、いつ消えてしまうかもしれない彼に少しでも多く子を生してもらおうと若くて有能な女性達をさりげなく近い場所へ配置した。

 とはいえ、最初の頃はともかく、今の彼に対しては無意味な策略だろう。

「まさか、あれほどまでに王太女殿下を愛してしまわれるとは」

 意識を失う直前まで必死に朱璃に呼びかけていた彼の姿を思い出す。あれを見ていたら否が応にも理解できた。彼の愛情の行き先は、もうたった一人に決まってしまったのだと。もし朱璃以外に同等以上の愛を注がれる人間がいるとしたなら、それはきっと二人の子供だけだ。

「私も予想できませんでした。彼の中でどんな変化があったのでしょうね」

 窓の外の景色を眺めつつ微笑む女王。人の心とは複雑怪奇で、この歳になっても未だにわからない部分が多い。甥の野心には察しがついていたが、開明があれほどの胆力を発揮することは予想していなかった。

 なにはともあれ、これで初代王の遺伝子を取り戻すという企みは成功しそうだ。本物の彼が姿を消してから二〇〇年、自分達一族の中に流れる英雄の血はすっかり薄れ、唯一の証だった魔素吸収能力も次第に弱まりつつある。このままでは早晩、王族は民からの信頼を失ってしまうだろう。

(いや、すでにそうなっているのかもしれませんね……)

 剣照の計画は失敗に終わったが、彼が遺した傷痕は大きく根が深い。彼の息がかかった者達を一掃しても、恐らく似たような思想の持ち主はまた現れてしまうだろう。

 急がなければならない。その一点では自分も亡き甥と同じ想い。ただし彼女は彼以上に慎重に、ギリギリまで時機を見極めたいと思っている。

 そのためには……もう一つ、どうしても至急片付けなければならない問題があった。

 高みから地下都市・秋田を眺めた彼女は、意を決して小畑へ命じる。

「隊長、あの子達を集めなさい。大切な話をしなければなりません」

「御意」

 王室護衛隊隊長・小畑 小鳥は再び恭しく頭を下げた。




 三週間ぶりに目を覚ました直後、いきなりアサヒは女王に呼ばれ、朱璃と共に見覚えのある部屋の前に立った。

「ここは……」

「ん? アンタ、ここに来たことあるの?」

「うん……前に、一回ね」

 あの時、秋田へ来たその日、剣照、開明かいめい神木かみきの三人から自分と朱璃が婚約しなければならない理由を説明された部屋だ。

 何故か部屋の前に見張りはいない。あの時は兵士が立っていたはずだが。

「まあ、とにかく中に入りましょ」

「そうだね」

 そう言ってドアをノックしようとすると、先に中から開かれた。

「ようこそおいでくださいました、王太女殿下、アサヒ様」

「小畑さん」

「アンタ、なんでここにいるのよ」

「本日より女王陛下付きの侍女に復帰しました。アサヒ様のお世話は、今日から別の者に引き継ぐことになっております」

「え……そうなんですか……」

 アサヒが残念そうな顔をすると、すかさず朱璃が肘鉄を入れる。

「ぐほっ!? な、何……?」

「肘が滑った。それよりほら、入るわよ」

「肘って滑るの……?」

 朱璃の肩を借りて進むアサヒ。彼のもう一方の手は松葉杖をついていた。暴走しかけた魔素の影響がまだ少し残っていて足を上手く動かせないのだ。

 室内には複数の見知った顔。その中の一つを見た途端、アサヒは息を呑む。

「開明……?」

「やあ、アサヒ君。君もやっと目覚めたか。どうだい、男前になっただろ?」

 朱璃に良く似ていた彼の顔には斜めに刀傷が走り、左目は眼帯で隠されていた。そして右腕の肘から先は無くなっている。

 それを見た瞬間、あの時、朧気な意識の中で見た光景を思い出した。

 彼は自分の父親に斬られ、そして自分の父親を……。

「おいおい、そう暗い顔をしないでくれ。僕はもう吹っ切れたんだよ。母の仇は取れたし、父の凶行も止められた。僕みたいな半端者にしちゃ上々の成果じゃないか」

「ええ、あなたはよくやりましたよ開明。とりあえず、朱璃、アサヒ殿、二人とも椅子に座りなさい。話したいことがあります」

 女王に促され、二人は開明と同じソファに腰かける。

 向かい側のソファには神木とマーカスが座っていた。神木はともかくマーカスまでが何故ここに?

「どうぞ」

「あ、ありがとうございます」

 あの時と同じように小畑の淹れてくれたお茶を飲む。

 上座の一人がけソファに座った女王もカップを手に持ち、じっくりとその味を楽しんだ。話があると言っていたのに、なかなかそれを切り出さない。

 朱璃が次第に苛立ち、痺れを切らしそうになったタイミングで、それを待っていたかのように口を開く。

「ふふ、もう少し待ってね。まだ大切なお客様がみえていないの」

「お客様?」

 開明も知らないらしい。彼が眉をひそめた途端、ドアがノックされた。

「小畑」

「はい」

 女王の指示で小畑が駆け寄り、さっきと同じように中からドアを開ける。すると、その向こうに立っていたのは──


 カトリーヌと、見知らぬ少女。


「ああ、帰って来てたのね、アンタ」

「久しぶりに会ったのに第一声がそれか。私は京都まで行って来たんだぞ、少しは労え」

「カトリーヌさん?」

「起きたようだなアサヒ。なによりだ」

 たしかにそこにいるのはカトリーヌのはずだ。しかし一瞬そうだとわからなかったほどに雰囲気が異なる。

「あ……そうか、関西弁じゃない……それに今、京都って……」

 まさか彼女の正体は──察しの付いたアサヒが周囲を見回すと、驚いているのは何故か彼一人だけだった。

 困惑する彼を見つめ、少しばかり色素が薄く紫がかって見える黒髪をボブカットにした少女が口を開く。

「教えてあげたら?」

「……アサヒ、今から話すことは、今この場にいる面々以外には他言無用で頼む」


 そう前置きしてからカトリーヌが語ったのは、彼女が南日本から送り込まれた工作員で、なおかつそのことが露見して以来、対策局に協力しているという事実だった。


「カトリーヌさんが、南日本の人……」

「混乱させてしまったら申し訳ないんだが、今からもっとわけのわからなくなる話が出る。私のことは早目に飲み込んでおけ」

「は、はあ……」

 彼にとっては十分に衝撃的な出来事だったのだが、やはり他の面々は全く驚いていない。カトリーヌの友人である朱璃や対策局長の神木はともかく、他も全員知っていたようだ。

「開明とマーカスさんはどうして……」

「マーカスはそもそも、三年前にアタシと一緒にカトリーヌに接触したのよ。人斬り燕に調査官が殺された時、アタシ達もその捜査に加わったの。その過程で偶然アイツが南日本の工作員スパイだってわかったのよね。結局人斬り燕とは無関係だったけれど」

「僕は父さんの隠し持っていた資料でそれを知った」

 開明はカトリーヌが二代目・人斬り燕だったことも知っている。だが、あえてその情報は伏せた。この場で言っても余計な不和と混乱を生み出すだけだと思ったからだ。

(回収された死体は男のものだった……多分、どこかのタイミングで入れ替わったんだろうな。一人でそんな真似ができるとは思えないし、この中にも協力者がいそうだ)

 いや、そういえばあの時、いつの間にか王室護衛隊の一人が消えていた。たしか名前は大谷おおたに 大河たいがだったか?

 彼が一人で推理を楽しんでいるうちに、女王は来客へ席を勧める。

「どうぞ、お座りになってください」

「ありがとうございます」

 ニコニコ微笑みながら迷わず女王の対面の一人がけソファに陣取る少女。カトリーヌはマーカスと彼女の間の位置に腰かける。

 その二人の前にも小畑がお茶を出した。すると、少女は小畑の手を取り、語りかける。

「この間はありがとう、護衛隊長のお姉ちゃん」

「!」

「……なるほど、そういうこと」

 驚く小畑と他の面々。朱璃だけが納得顔で腕を組む。

 女王はいたずらっ子に困るような表情を向けた。

「王室護衛隊の隊長が何者かは、代々の王だけが知る秘密なのですよ」

「あら、そうだったの? ごめんなさい」

「……私は兜で顔を隠してありましたが」

「そうね。でも、私は霊力波形で人を識別できるの」

「霊力?」

 聞き慣れない言葉が出て来た。疑問符を浮かべたアサヒに朱璃が答える。

「霊術を使うために必要なエネルギーよ。誰の体にも流れてるらしいわ。アタシ達はまだ使い方を知らないけれど」

「そう難しい話でもないのよ、お嬢さん。あなたが望むのなら教えてあげる」

「お嬢さん?」

 今度は朱璃が片眉を上げた。目の前の少女は、どう見ても一〇歳前後。自分より年下のはず。

 少女は次に女王を見つめた。北日本の君主に驚いた様子は無い。この場に現れた時点でこちらの正体は察していたのだろう。流石ですこと、そう呟いて立ち上がる。

「失礼、名乗るのが遅れました」

 彼女は芝居がかった仕種で会釈すると、顔だけを持ち上げ、そこはかとなく気味の悪い笑みを浮かべた。

「改めて、お初にお目にかかります女王陛下。ならびに北日本の皆様。

 私の名は天王寺てんのうじ 月華げっか。南日本の防衛組織“術士隊”を率いる長で、そこの、皆様から“カトリーヌ”と呼ばれている女の育ての母です」






                           (第三部へ続く)

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