八章・欺瞞(1)

「アサヒ! マーカス! 今は手を出さないで!」

 朱璃もまたスカートの中から隠し持っていた短機関銃型のMW三一六を二挺取り出し、両手で構える。そのまま躊躇せず足を止めた人斬り燕に向かって発砲。無数の弾丸が敵の障壁に当たり、その耐久力を削る。期せずして敵はその場で釘付けになっていた。霊術で展開した障壁にもヒビが入り始めている。なら、このまま押し切るまで。

 だが人斬り燕は素早く何かを投げ放った。敵の障壁を貫通して飛来したそれは紙を切り抜いて作った人型。一枚は朱璃の目の前に舞い込む。

「朱璃!」

 咄嗟にマーカスが彼女の前に魔素障壁シールドを展開した。同時に紙人形がバラバラになり、いくつもの紙片と化してから捻じれ、空中でこよりを形成する。その形を見た朱璃は銃口を床に向けた。

「防御!」

 剣照の言葉に反応してやはり障壁を発生させる調査官と兵士達。だがそんな彼等の足下にこよりは尖った先端を下に向けて落下する。そして床石の隙間に突き刺さった。

「うっ!?」

「これ、は──」

 一瞬、動きを止められてしまう彼等。影縫いだ。

 けれど朱璃は一瞬早く疑似魔法で水を生み出し、床に叩き付けていた。それは周囲に広がり紙のこよりを濡らして変形させる。途端に術の効果が消えて全員が体の自由を取り戻す。

 だが人斬り燕にとってもその一瞬で十分だった。意識が自分から逸れた隙をついて再び姿を消してしまう。

「奴はどこだ!?」

「閣下、あそこの窓が割れています!」

「外へ逃げたな、追え!」

 剣照が兵士達に追跡を命じる。

 しかし──

「いいえ! まだです!」

 女王がそれを止めた。

「まだ中にいます、迂闊に動いてはなりません!」

 そう言った彼女に小畑が近付いて行く。

「陛下、これを」

「ありがとう」

 受け取ったのはサーベルだ。いったいどこにあったのか、美しい装飾の施された一本の細身の剣。

 小畑はさらに女王のドレスのスカート状のパーツを外した。すると下からスキンスーツが姿を現す。

「ゲホッゲホッ!! お、おばあさん、もしかして戦う気?」

 自分の周囲に集まってしまった煙をようやく散らしたアサヒは、隣の朱璃に問いかけた。すると彼女はニヤリと笑って頷く。

「陛下のことなら心配しなくてもいいわ。うちの国は実力至上主義だからね。王様は代々武闘派なの」

「そういうことです。私の心配はしなくてよろしい。アサヒ殿、あなたはそこの未熟な孫を守ってください」

「は、はい」

「言ってくれるわ」

 銃を構え、アサヒと背中合わせになる朱璃。

「さあ、式を邪魔してくれたアンニャロウを退治するわよ。これがアタシら夫婦の初共同作業ってやつだわ」

「普通はケーキ入刀じゃなかったっけ!?」

「普通が良ければ普通の嫁を探して。アタシがそんなもんで満足するわけないでしょ」

「それもそうか」

「おい、オレの前で朱璃とイチャつくんじゃねえ! 先にテメエを殺したくなる!」

 マーカスが強引に二人の間に割り込んで来た。そのパワーはいつもより強い。彼が装着しているもののせいだ。朱璃が開発した一種のアシストスーツで装着者は人間離れした膂力と機動力を得られる。試作品のため装甲の取り付けはまだだが、フレーム自体が強靭なので防具としてもそれなりに有用。

 そして、これはまだ公に出来ない情報だが──動力源は人為的に生成された高密度魔素結晶体。つまり人工の“竜の心臓”である。アサヒが力を使う際の魔素の流れ方を調べていたのは、この動力源の制御を万全なものとするためだったのだ。

「マーカス、それ、まだいけそう?」

「ああ、快調だ」

「なら、良かったわ!」

 朱璃は突然銃口を振り上げる。

 その指が引き金を引くより速く天井の片隅にある暗がりに潜んでいた人斬り燕が肉薄し、朱璃の心臓を左手の手刀で貫こうとした。指先には鋭く尖った金属の爪。

 そして、そんな人斬り燕よりさらに速く動いたアサヒの腕が代わりに爪を受け止め攻撃を防ぐ。肉に深く食い込んだそれは簡単には外れそうにない。アサヒが全力で締め付けているからだ。

 人斬り燕は動じなかった。今度はそう来ることを予想していたのだろう。すかさず右足でアサヒの腹を蹴り、彼が体勢を崩した隙を狙ってマーカスの足下にナイフを放つ。

「グッ!?」

 一瞬遅れて反応し、殴り掛かろうとしていた彼の動きもまた止まった。今度は金属製のナイフ。さっきと同じ手では解除できない。

 朱璃は護衛の二人がやられるのと同時、左手の短機関銃で人斬り燕の胴を狙う。金属の爪から指を抜き、異様な反応速度で回避する人斬り燕ことカトリーヌ。


(無駄だ)


 彼女は南日本で育てられた精兵。幼少期から投薬で反応速度を上げ、さらには心を削る過酷な荒行を繰り返すことにより常人のそれを凌駕する五感まで身に着けた。目で相手の筋肉の動きを見極め、耳で銃の動作音を聴き取り、肌に感じる殺気で射線を予測することが可能。この近距離だろうと一対一なら当たらない。

「殿下!」

 この位置関係で撃てば朱璃達にも当たる。そう判断した兵士と調査官達が間合いを詰めようとするが、鈍足の彼等が接近して来る頃には全て終わっている。

 朱璃はもう一方の銃でマーカスの足下のナイフを破壊していた。そうくることもやはり予測済み。

「ヤロウ!」

 動けるようになった途端、攻撃を繰り出すマーカス。しかしスピードを重視したために中断されたモーションの続きをそのまま行っただけだ。当然、攻撃の軌道は見え見えだし体重も乗っていない。あっさり回避して朱璃の背後へ回り、右手の爪を首筋に当てる。


 完全に捉えた。

 後はこの細い首を斬り裂くだけ。


 だが光が走る。自分を包む青白い輝きとは別の銀色の軌跡。

(なんだと!?)

 アサヒの拳が迫って来た。朱璃の首を切り裂くより速く、人の限界を超えたはずの反応速度をも上回る速さで。

(くっ!?)

 どうにか躱す。ところがアサヒはさらに彼女の前へと回り込み、朱璃を背後に庇いつつ攻撃を繰り出す。

(これ、は──)

 動きそのものは素人。おかげで続く一撃もどうにか避けた。同時に振り返りかけていたマーカスの脇腹に蹴りを叩き込み、邪魔な彼を遠ざける。

「グホッ!?」

「このっ!」

 さらに肉薄してくるアサヒ。たまらずカトリーヌは空中に逃げたが、全く引き離せない。前回と同じく緩急をつけ、急激な切り返しで反射を欺こうとしているのにぴったり喰らいついてくる。

 フェイントには引っかかっている。だが、リカバーが異常に速い。おまけにこの狭所でしっかりと障害物を避けながらこちらの動きについて来る。

(私以上の速さで動く人間を、初めて見た!)


 否、そうだった。

 目の前にいるのは人間ではない。

 人を超越した“渦巻く者ボルテックス”の、その能力を再現した記憶災害ドラゴン


(なるほど、流石だアサヒ! だがな!!)

 カトリーヌは再び着地した。その瞬間、一気に身を沈めたかと思うと長椅子の下の僅かな隙間に滑り込む。

「なっ!?」

 驚くアサヒを置き去りに、今度は参列者達の間を流れるような動きですり抜けて走った。流石にまだここまで繊細な動きはできまい。

「フッ!」

 唯一その動きを見極めることができた女王の鋭い突き。こちらもなかなかの腕前だ。全盛期ならやられていたかもしれない。けれどカトリーヌはその一撃を避けてさらに疾走し、再び朱璃に狙いを定める。

「朱璃ッ!」

 迂回して先回りするアサヒ。やはりとてつもないスピードである。速さの勝負ではもう勝てそうにない。

 だが、勝敗を決するのは速度だけではない。今からそれを見せてやる。

 次の瞬間、チャペルの中で風が吹き荒れた。物が飛び、埃が吹き付ける。その中で人々は両者の姿を見失った。いや、辛うじて人斬り燕は見えている。しかしそれすら一瞬前の残像でしかない。あまりにも速すぎて人間の動体視力では追いつけない。

 数秒後、どんな激しい攻防があったのか、ガンという音が鳴り響いた直後に両者が姿を現す。人斬り燕は空中に浮かび、壁際に追い詰められていた。その衣装はあちこち千切れ飛び、烏帽子も無くなっている。事前に染めておいた長い髪は乱れに乱れてしまっていた。まだ大きな怪我こそしていないものの劣勢であることは一目で見て取れる。

 アサヒは反対側の壁際で、やはり息を切らしていた。彼の服もボロボロになっているものの当人のダメージは全く無い。あれだけ何度も切り裂いてやったのに。

(まったく、屈辱的だ)

 カトリーヌは内心で呻く。自分の力にはそれなりの誇りを抱いていたのだが、それでもやはりまだ“竜”には届かないらしい。アサヒは単に何度か彼女に接触しただけ。攻撃でなく掠めただけなのだ。それでこのダメージ。相手に殺意があったらと思うとゾッとする。その場合、自分はいくつもの肉片と化していただろう。

 それでも、やはり──

 姿を現した彼女に向かって一斉に銃口を向ける兵士達。残った力を振り絞り、その中心に向かってナイフを投げ放つ。

「あっ!?」

 狙いに気付いたアサヒは反射的に凶刃を追った。

 次の瞬間、彼の姿は女王の前にあった。女王はサーベルでナイフを叩き落とそうとしていたものの、間に合わず顔に突き刺さりそうだったそれを寸前で掴み取り、止めている。

 そんな彼を女王は叱責した。

「アサヒ殿、こっちではない!」

「あ──」

 そうだった、朱璃を優先的に守れと言われていた。でも頭上の人斬り燕はさらにこちらを狙って急降下して来る。彼にはそんな風に見えた。肌に突き刺さりそうな凄まじい殺意を感じる。

 なのに、その人斬り燕の姿が目の前でフッと消えた。

(え?)

(まだ甘いな、少年)

 これは彼女のとっておきだ。強烈な殺気を相手に叩き付け錯覚を引き起こす。実際には彼女はその時、再び朱璃に接近していた。最短最速で正面から攻撃を仕掛ける。

 アサヒの顔がこちらへ向いた。表情が絶望で歪んでいく。その全てが強化された感覚のせいでこの高速機動の最中でも知覚できる。


(──すまん)


 一言謝ってから腕を振り抜く。確かな手応え。今度こそ肉を切り裂き、自らの手で友人を殺めた。そう確信する。

 けれど違った。驚愕で仮面の下の目を見開く。彼女の指先の爪が切り裂いたのは朱璃の首ではなくアサヒの背中だった。

 次の瞬間、またしても突風が発生して彼女もその風圧に煽られる。

「なっ!?」

 攻撃を終えるその瞬間まで、一瞬たりともアサヒからは目を離していなかった。なのにどうして?


 答えは単純だ。助けたい、その一心がアサヒの速度をさらに上げた。あの特訓の時のように超音速の移動を可能にさせた。

 たったそれだけの話。でも、彼女以外の全ての人間は衝撃波から守られている。アサヒの展開した障壁によって。魔素は時に、そんな奇跡すら可能にしてしまう。


 呆気に取られた彼女の視界に黒い拳が飛び込む。

「フンッ!!」

「!」

 仮面を砕かれ吹き飛ぶカトリーヌ。

 マーカスに殴られた彼女は壁にぶち当たり、そのままそれを突き破って向こう側へ転落した。

 背中を切り裂かれたアサヒは、銀色の煙を上げながら腕の中の少女に訊ねる。

「朱璃、大丈夫か!?」

「……うん」

 彼女は赤い顔で頷いた。時間にして一分程度の短くも激しい攻防。けれど実際彼女には傷一つ付いていない。

 アサヒは長く長く吐息を漏らし、

「よかった……本当に、よかった……無事で良かった」

 何度も繰り返し呟きながら、もう一度、強く花嫁を抱きしめた。




 突然響いた銃声に、その後の激闘の気配。いったい中で何が起きているのかと不安な顔で成り行きを見守っていた国民に対し、結婚式の最中にあの“人斬り燕”が現れ、そして倒されたという報が告げられた。長年自分達を苦しめてきた悪夢がついに潰えたと知った人々は歓喜し、チャペルは再び大きな歓声で包み込まれる。

 そんな大騒ぎの中、座って一息ついていたアサヒに女王が近付き、感謝の意を述べる。

「アサヒ殿、ありがとう。よくぞ我が国の未来を守ってくれました」

「いや、そんな」

 一国の王に頭を下げられ恐縮するアサヒ。むしろ、さっきは彼女の忠告に背いたせいで危うく朱璃を死なせてしまうところだった。申し訳なくてマトモに顔を見られない。

「すいません、その、ちゃんと言われてたのに」

「いえ、守っていただかなければ私も死んでいました。結果論とはいえ朱璃も無事だったことですし、そう落ち込む必要はありません。顔をお上げください、新たな英雄よ」

「英雄……?」

「身を呈して朱璃を庇い、人斬り燕の討伐に大きな貢献を果たしたことはすでに外にいる民にも伝わっています。これであなたは大手を振って外を歩ける存在になりました」

「え? いや、待って下さい。それって……」

 何かが引っかかる。まさか今回の一件は、そのために?

 立ち上がったアサヒの前に、しかし別の人物が割り込んで来る。

「見事だった少年。流石だな」

「あ、えと、どうも」

 剣照だ。さっきまで神木と共に現場検証の指揮を執っていたはずだが、一人離れてここへ来たらしい。

「よくぞ朱璃を守り抜いてくれた。礼を言おう。それと、これからは家族だな」

「あ、そうですね」

 そうか、朱璃と結婚するということは、この人や開明とも親族になるのだ。朱璃のことばかりに悩んでいて、そんな考えは全く頭に浮かんで来なかった。

 初対面の時の印象が嘘のように、にこやかな笑顔で右手を差し出す剣照。アサヒは全くの無警戒でその手を握り返す。


 途端──電流が走った。


「あ、ぐ、あああああああああああああああああああああああっ!?」

 右腕が泡立つ。全身の血管が沸騰して血液中の魔素が──否、血液に擬態していたそれそのものが暴れ出す。

「えっ!?」

「どうしたアサヒ!」

 小波と友之が異変に気付き、走り出そうとした。だが、そんな彼等に周囲の兵士達が銃口を突き付ける。

「大人しくしていてもらおう」

「な、なんだアンタら。いきなりどういうことだよ!?」

「いきなりではない。我々は、この日をずっと待っていた」

「そういうことだ」

 苦しむアサヒを見下ろしながらほくそ笑む剣照。その右の袖から何かが落ちる。

 女王は即座にそれが何かを理解した。

「……スタンガンか」

 高圧電流は魔素に汚染されたこの世界においては容易に人を殺せる猛毒だ。それどころか記憶災害を引き起こし、周囲の人間すら巻き込みかねない禁忌の力。ましてや全身が魔素のアサヒに対して用いるなど狂気の沙汰ですらある。

「ううッ、ぐ、ギィ……!!」

 のたうち回る少年の体内では今、膨大な量の魔素が何かを“再現”しようとして暴れている。それがまだ起こっていないのは、きっと彼が必死で抑えてくれているからだ。周りの人間を巻き込まないために。

 剣照は、この少年の優しさに付け込んで最大の脅威である彼を瞬時に無力化した。

 卑劣なやり口だ。顔をしかめた女王の方へ振り返る彼女の甥。

 その瞳に、今までずっと隠して来た野心の炎が灯る。

「そういうことですよ、叔母上。これでようやく私の悲願が達成される」

「閣下、捕らえました」

「よくやった」

 部下達を労いながら振り返った彼の視線の先には、人斬り燕の遺体を検分するため壁の向こうへ行っていた朱璃とマーカスの拘束された姿があった。

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