五章・斬燕(1)

 ──北日本王国では三年前、正体不明の辻斬りが王都に出没し巷を騒がせた。仮面で顔を隠した袴姿の怪人が青白く輝く刀を振るい、夜な夜な人を襲って殺していたのだ。被害者は一般市民だけでなく兵士や調査官、果ては王族の一人にまで及んだ。

 当然、軍は大量の人員を投入して対処に当たった。王室護衛隊や対策局も協力し一丸となって追跡した。にもかかわらず、誰一人この怪人を捕えることはできなかった。

 彼はその名の通り自在に宙を舞い、追跡者達を翻弄したのである。さらには魔素障壁シールドを容易く切り裂く刃を持ち、熟練の戦士をも圧倒する剣技で一方的に殺戮を行った。女王の指揮で罠にかけ一時的に追い込むことこそできたものの、一瞬の隙を突かれて包囲網から脱出を許し、そのまま見失ってしまっている。

 結局、怪人“人斬り燕”はどこの誰なのかもわからぬまま姿を消した。服装から南日本の刺客だったのではないかという噂も立ったが真相はわかっていない。以来、いつかまたあの怪人が戻って来るのではないかという恐怖に人々は怯え続けている。

 そして今日、恐怖は再び具現化した。



「ぐっ!?」

 腕を斬られたことで動揺するアサヒ。魔素がすぐに欠損した箇所の復元を始める。だが敵は待ってくれなかった。さらなる追撃が繰り出され、今度は朱璃あかりを抱えたまま大きく跳んで避ける。

(障壁が斬られた!? ドラゴンあいつの攻撃だって止めたんだぞ!?)

 知らず自身の力に驕っていた彼のその動揺に付け込み、間髪入れず再び距離を詰める敵。空中に展開した足場を蹴って直線的に移動するこちらとは異なり、滑らかな軌跡を描いて追いすがって来る。

「ここは狭い! 壁の向こうへ!」

「わ、わかった!」

 朱璃の指示を受け、アサヒは自身と彼女を障壁で保護しつつ旧エレベーターシャフトとこの小シャフトを隔てる壁に体当たりした。幸い大した厚みは無く、簡単に貫通して広い空間に躍り出る。

 当然、敵もその穴を通って追って来た。しかも素早い。十分な距離を空けるためさらに二度、三度と空中でバックステップを繰り返すアサヒ。ところが大きく跳び過ぎたせいですぐに反対側の壁に背中がぶつかってしまう。

「あっ!?」

「馬鹿、早く横に──」

 カッと音を立ててナイフが一本、その壁に突き立った。途端に彼の動きは凍り付く。

(な、なんだこれ!?)

 突然、見えない壁の中に埋め込まれたような感覚。どれだけ力を込めても眉一つ動かせないし声すら上げられない。

「ちょっと、どうしたの!? 早く動きなさい!」

 彼の腕の中で焦る朱璃。アサヒは気付いた。敵の仮面の上部にある細いスリット。そこから覗く黒い目が少女を見つめていることに。やはり狙いは彼女の方。

(逃げろ朱璃!)

 心の中で呼びかけるも当然届かない。そもそも硬直した彼の右腕が彼女の動きを阻んでしまっていた。朱璃も敵の接近に気が付き、怯えた表情で振り返って──直後、ポケットに突っ込んでいた右手を引き抜く。

「ハン!」

 怯えの色が一瞬で消し飛び、嘲笑と共に引き金を引く彼女。隠し持っていたミニサイズの拳銃で発砲。弾丸が刺客の胴体にめり込む。

 バランスを崩して落下する怪人。そのまま真下に積まれていた木箱の山を粉砕しつつ墜落した。

「ったく、世話が焼けるわね」

 そう言うと朱璃は壁に突き立ったナイフも撃って破壊する。途端、アサヒの体は自由を取り戻した。

「──っく、あ!? な……なんだったんだ、今の?」

「影縫いよ。南の術士が使う行動阻害の術」

「え……? じゃあ……」

 やっぱり、あの刺客は南から送り込まれてきたのか? 三ヶ月前に自分を救ってくれた恩人達の顔を思い出し、戸惑うアサヒ。できれば彼女達の仲間とは戦いたくない。

 朱璃は二発撃ったら弾切れのデリンジャーに新たな弾を込め、注意を促す。

「あれこれ考えるのは後にしなさい。また来るわよ」

「!」

 彼女の予想通り、崩れた木箱の山を吹き飛ばして再びあの怪人が姿を現す。銃撃されてこの高さから落下したのに全くダメージを負った様子が無い。

「う、撃て!」

「殿下をお守りしろ!」

 事態が飲み込めず遠巻きに様子を窺っていた兵士達が、ようやく朱璃の姿に気付いて銃を構えた。一瞬の後、無数の砲火に晒される怪人。ところが高速で飛来する弾丸は一つも彼を捉えられない。全ての射線が予め見えていたかのようにひらりひらりと身を躱す。

 それでも邪魔には思ったのだろう。突然急降下したかと思うと、兵士の一人を柄尻で叩き、昏倒させて銃を奪った。

 すかさず三連射ずつのバースト射撃。恐ろしく正確な狙いで次々に兵士達を薙ぎ倒す。そして彼等をあらかた片付けたかと思うと、再び空中に舞い上がって来た。

「なんなんだこいつ!?」

 圧倒的過ぎる。再び狙われる立場になったアサヒは完全に腰が引けていた。怯えて逃げようとした彼に、しかし朱璃が真逆の指示を出す。

「待った! 前に出て、なるべく壁に近寄らないで戦いなさい! 影が出来るとまた縫い留められるわよ!」

「近付くの!?」

「何ビビってんの、行け!」

「わ、わかったよ!!」

 もうヤケクソだ。アドバイスに従い、今度はシャフトの中央付近で接近戦を挑むアサヒ。まずは一合、朱璃を狙った長刀を再生した左手で下から突き上げ攻撃を防ぐ。

(やれる!)

 そうだ、自分は“竜”だ。冷静になれば問題無い。魔素障壁が通じなくても人間相手なら圧倒的なアドバンテージを有している。


 ──そのはずだった。


「う、くっ!?」

 敵の強さは想像を超えていた。太刀筋は一合ごとに鋭さを増し、かつて巨竜を翻弄した人外の反射速度でも対応しきれない。いや、むしろ、だからこそ騙される。相手は緩急を交えた巧みなフェイントでアサヒの反射を欺き防御に間隙を作り出した。左から打ち込むと見せかけ、一瞬の後に下から切り上げて来る。右に動いたかと思えば正面から突っかけ、人外の視力と反射神経が僅かな予備動作に対し思わず反応してしまった瞬間を狙い攻撃を繰り出す。

「チッ!」

 それを朱璃が牽制する。彼女は彼女で相手の動きを読み、発砲と魔法によってどうにかアサヒが衝かれた隙を埋め合わせていた。おかげで二人とも致命傷こそ免れているものの、すでに傷だらけである。そして次第に追い込まれ、再び壁が近付いてきたことに気付いた彼女は警告を発した。

「壁が近い!」

「くそっ!」

 全速でその場から離脱。けれどもやはり敵を引き離せない。速度で負けているわけではなく、移動先を読まれてしまっている。あっさり追いつかれ息つく間も無く再度の猛攻に晒される二人。


 強い、強すぎる。シルバーホーンと戦った時以上の窮地に焦るアサヒ。

 逆に朱璃は笑っていた。この状況で爛々と目を輝かせている。


(あの長刀、対魔素障壁に特化した術をかけてあるわね!?)

 欲しい、その術の仕組みを是非とも知りたい。

「アサヒ! 絶対コイツを捕まえなさい!」

「無茶言うなっ!」

 捕まえるどころか、今は殺されないようにするので精一杯だ。

「近すぎる……!!」

「これじゃあ手が出せんっ!」

 生き残りの兵士達も頭上を見上げて歯噛みする。両者が素早く動き回っている上、距離が近すぎて援護できない。下手に発砲すると朱璃にまで当たってしまう。

(どうしたらいいんだ!?)

 次第に追い込まれていくアサヒ。無数の切創から漏れ出した血が魔素の霧になって立ち昇った。福島での戦い以来、彼の痛覚は麻痺している。だから痛みを気にすることは無い。とはいえこの状況が続けばいつかは集中が切れるだろう。自分だけならともかく朱璃の命まで預かっているのが辛い。紙一重で彼女を守り続けている緊張感から精神的には早くも限界に達しつつあった。

 そしてとうとうその時が訪れ、ほんの一瞬だけ足を止めてしまった瞬間、敵は致命的な一手を打ち込んできた。


 長刀が足場の障壁を斬り裂く。


「あっ!?」

 動揺しなければ、すぐに別の足場を作り出すなり魔素を噴射して逃げるなりの対処法があった。けれどこれまでの攻防で精神をすり減らされていたアサヒは頭が真っ白になってしまい、朱璃ごと落下を始める。

「ちょっと!?」

 朱璃が叫んだその声も彼の耳を素通りする。スローモーションのようにゆっくり風景が流れ、敵の動きが鮮明に見えた。自身も急降下しながら槍を突き込む怪人。受け止めようとした彼の左手を障壁ごと貫き、切っ先が朱璃の眼前に迫る。


 その刃が、弾丸に弾かれた。


「ッ!?」

 今度は敵が驚き、背後へ振り返る。視線はすぐにスロープを駆け上がってきたマーカスの姿を捉えた。

 直後、アサヒと朱璃が墜落する。床にぶつかる寸前、兵士達が風の魔法でクッションを作って衝撃を緩和してくれた。

 軟着陸した二人を逃がすまいと追撃をかける人斬り燕。

「させるか!」

 マーカスは銃撃で牽制しつつ周囲の兵士達に向かって叫ぶ。

「何してんだ! 撃て!」

「あっ!?」

 朱璃とアサヒは床に落ちて、敵はまだ空中にいる。たしかに今がチャンスだ。気付いた兵士達は一斉に銃を構えて怪人を狙う。

「──! ッ!!」

 無数の射線に追い回され四方八方飛び回りながら逃げる怪人。やはり当たらない。狙いをつけて発砲しようとすると、直前に射線から外れてしまう。何人かは未来位置を予測して偏差射撃を行った。だが、それさえも読まれている。

(コイツ、こっちの武器のことを熟知してやがる!!)

 マーカスにはわかった。あれはこの銃の性能を知り尽くし、自らも扱いに慣れた人間の動きだと。兵士が狙いをつけて発砲する、その気配に深く馴染んでいるからこその正確な読み。

(仮面の下の中身は兵士か、調査官てことか!)

 銃の携行を許されているのも、日常的に射撃訓練を受けているのも北日本ではその両者だけだ。

 一転、人斬り燕は急降下した。再び朱璃達が狙われている。

「しまっ──」

 相手の狙いに気付いて躊躇するマーカス。敵はこちらと朱璃達の墜落地点を結ぶ直線上に割り込もうとしている。ここから撃てば朱璃達にも当たる可能性が高い。

(──いや)


 だからこそ撃つ!


 マーカスは再び引き金を引いた。驚きながら青白い障壁を展開して防ぐ怪人。

「あんた何を!?」

「野郎が足を止めた! 撃ちまくれ!!」

「し、しかし殿下に」

「大丈夫だ!」

 言葉通り、マーカスの銃撃による流れ弾が敵の後方へ逸れても巨大な魔素障壁がそれを防いだ。

「やってください!」

 朱璃を抱えたまま叫ぶアサヒ。正気に戻った彼が朱璃を守ってくれていることに気付き、兵士達もそれぞれの位置から再度攻撃を仕掛ける。

「この野郎!」

「くたばれえええええええええええええっ!!」

 足を止めたその場で複数の方向から銃撃に晒される怪人。次第に全身を覆った輝きに亀裂が走り始める。どうやらあの光の膜も無敵の盾というわけではないらしい。


 チッ。


 舌打ちが聴こえた。アサヒがそれを聴き取った瞬間、敵は障壁で自分を包んだまま包囲網の一角に向かって突撃する。削り殺される前に脱出すべきと判断したようだ。

「ぐあっ!?」

 兵士の一人が斬られ、包囲を突破した敵はそのままエレベーターの方へ走って行く。

「逃がさないで!」

 朱璃の願いも空しく敵は小シャフトの中へ姿を消した。立坑に身を躍らせる直前、丁寧に煙玉で煙幕まで張って行く。これでは地上に逃げたのか地下へ紛れたのかわからない。

「に、忍者かよ……」

「畜生、また逃がした……」

 後に残された者達は悔しがりながらも、とりあえず一息つく。同時に全身から冷たい汗が噴き出した。足に力が入らなくなってへたり込む者までいる。何人かは倒れた仲間達に駆け寄った。マーカスだけが戦意を保ったまま小シャフトに向かって走り、煙を払って中を覗き込む。

 そして──

「伏せろ!」

 壁に貼りつけられたものを見つけた彼は、咄嗟にそう叫んで魔素障壁を展開。

 次の瞬間、爆発が起こってフロア全体が大きく揺れた。爆弾だ。

「クソが……」

 追撃されるかもしれない可能性を考え、置き土産。相変わらず厭らしい手を使う。三年前、次々に人を殺して回ったあの時と同じ。

「帰って来た……あいつだ」

「人斬り燕だ……」

 兵士達もその脅威の名を呟き、青ざめた顔で爆破されたエレベーターシャフトを見つめ続けた。

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