三章・実験(2)

「まあ、馬鹿な男どもをなじるのはここまでにしましょ。準備は?」

「ばっちりですよ。こっちです」

 そう言って歩き出す小波。彼女を先頭に後へ続く朱璃達。

 アサヒは走って小波の隣へ並び、話しかける。

「あの、お久しぶりです。退院されたんですね、おめでとうございます」

「ああ、久しぶり。誰かさんは一度も見舞いに来なかったけど、無事退院できたよ」

「すいません……」

 小波は福島の手前で遭遇した“竜”との戦いで重傷を負い、その後は長期入院していた。アサヒとしても共に戦った仲間なので見舞いに行きたかったのだが、結局今日に至るまで外出許可は下りなかった。

 再び落ち込んだ彼を見て、彼女は「相変わらず素直だね」と苦笑する。

「冗談だよ、君が本部から出られなかったことは知ってるから、責めたりしない」

「ありがとうございます……」

「むしろ悪かったね。あの時は私だけ何も手伝えなくて」

「いえ、それこそ怪我をしてたんですから」

「まあ、お互い引け目があるってことで、あいこにしよう」

「はい」

 そう言ってもらえると、こちらも気が楽になる。

「今日は楽しみにしてるから。うちの班で私だけ君の力を見てないしね」

「頑張ります」

「頑張んなくていい、加減しなさい」

 前回の実験装置が大破した悲惨な結果を思い出せと、二人の会話に割り込み釘を刺す朱璃。視線が冷たい。

「わかってるよ。手加減を頑張るってこと」

「ならいい」

 直後、急に視界が開けた。森が途切れ、広々とした草原が現れる。

「まぶしいな……」

 雲一つ無い快晴だ。久しぶりに太陽の光を拝む人間には若干辛くもある。この天気なら記憶災害が発生する確率は低い。だからこそ今日を野外実験の日にしたのだろう。

「ここは?」

「昔、ゴルフ場だった場所よ。秋田の地下都市は住民の反対にあって元の市街地から少し離れた場所に建設されたの。当時この辺りは大半が畑や田んぼだったらしいわ。長い時をかけて森になったんだけど、ここだけは何故か木が生えず草原になったのよね」

「どうして?」

「原因不明。過去にも何度か調査されたけどわかってない。土に他と違う成分が含まれているわけでもなし、福島の手前の草原みたいに海風に晒されているわけでもなし、現状はさっぱりわからないと言うしかないわね」

 そんな現状に納得はしていないのだろう。神妙な表情で腕を組む朱璃。

 彼女にわからないことが自分にわかるはずもない。ただ、アサヒの脳裏に閃くものがあった。率直に挙げてみる。

「魔素の影響?」

「まあ、その可能性も考えられる。今のところ確証は掴めていないけどね。なんにせよ、ここでは他にもおかしなことが起きていて、時々人が消えるのよ。だから普段は立ち入り禁止にしてある。天候に関係無く少人数で立ち入った人間が行方を眩ませているから、何らかの生物のナワバリなんじゃないかしら? そいつがこの一帯での木々の繁殖を阻害しているとアタシは踏んでる」

「草原に生えた木を引っこ抜いてるとか?」

「今までにそういう痕跡が見つかったことは無いけれど、似たようなことをしているのかもしれないわ。人間も同じだけど、獣は巣を作ったり、特定の場所にマーキングしたりして周囲の環境に手を加え、自分の過ごしやすいように作り変えるでしょ。もしそういう変異種がいるんだとすれば、根本的な原因はたしかに魔素だわ」

 なるほど。それにしても、この場所で過去に複数の行方不明者が出ているというのは気持ちの良い話ではない。

「大丈夫なの? そんなところに来て……」

「近くには他に今回の実験に適した場所が無いのよ。すぐに地下都市まで逃げ帰れるけど原因不明の失踪が多発しているこの場所を使うか、それとも変異種や記憶災害に遭遇する確率を上げつつ時間をかけて地下都市から遠い場所まで行くか、その二択」

「……」

 アサヒにはどっちが良いとも言い切れなかった。

「一応、ある程度の人数がいる状況で失踪者が出たケースは無いのよ。襲撃者が警戒するのかもしれないわね。まあ、いざとなったらうちの班の連中がいるし、アンタもいるからどうにかなるんじゃない? ちゃんと守ってよね、ダーリン」

「わかってる」

 彼女の身を守るのも契約のうちだ。それに契約なんか無くたって眼前で危険に晒されている人間がいたら見捨てるつもりは無い。

「ともかく、ここの謎についてはアタシも気になるけど、今回はそれを調査しに来たわけじゃない。好天とは言ってもこんな拓けた場所じゃいつ“飛竜”に見つかるかわかったもんじゃないし、神隠しに遭うリスクだってゼロじゃない。というわけでさっさと始めて、さっさと帰るわよ」

「了解」

 たしかに長居するべき場所ではない。アサヒは朱璃と共に草原の一角に組み立てられた実験装置へ近付いて行った。

「あ、朱璃ちゃん、アサヒ君、やっと来たんか」

 巨乳の美女がこちらを見つけ、大きく手を振る。同時に長い金髪も揺れた。朱璃の年上の友人で星海班の古株でもあるカトリーヌだ。ただしこの名前は偽名で、本人が気に入らないという理由から本名の方は秘匿されている。朱璃だけは知っているらしいが。

「どないやった朱璃ちゃん? その服、褒めてもろた?」

「一応ね。さっき地上へ出る直前よ」

「あら、そらアカンわアサヒ君。なんですぐに褒めたらんかった。照れとったん?」

「いや、コイツ、単純にそこまで気が回らなかっただけよ」

「男の子やなあ。次からは気ぃ付けてな」

「はい……」

 さっきもされたばかりの説教を受け、肩を落とすアサヒ。そんな彼を押し退けた友之が前に出て叫ぶ。

「カ、カトリーヌさん! 今日はまた一段とお綺麗ッスね!」

「アンタ、さっきまでここにおったやろ。そんなんで失点を取り返せると思うたんか?」

 笑顔のまま辛辣な言葉を浴びせかける彼女。よく見るとその姿もいつもと少し違う。

「あ、爪が」

「お?」

 カトリーヌの手の爪に絵が描かれている。旧時代、クラスメートの女子達がよくやっていた。たしかネイルアートとか言ったか。意味はわからないが色とりどりの花が指先を艶やかに彩っている。

「すごい細かい……綺麗ですね、それ」

「ほうほう、ええでええでアサヒ君。君はギリギリ合格点」

「え? あ、ありがとうございます」

 褒められて喜んだ直後、けれどアサヒはハッと息を呑む。

 そして、ゆっくり振り返って小波にも声をかけた。

「あの……髪型、変えたんですね」

「まあね、遅いけど」

「すいません」

「やっぱり君も失格やな」

 カトリーヌは苦笑しながら指で“×”バッテンを作った。



 実験場には彼女達の他にも複数の研究員と星海班のメンバーがいた。星海班専従医師の門司もんじだけは見当たらないが、残るマーカスとウォールは銃を手に周囲を警戒している。

 朱璃によると彼等は一時間ほど前からここにいたらしい。それだけの時間が経っていてまだ何も起きていないなら、たしかに団体行動中は安全なのかもしれない。

「……」

 ドレッドヘアの黒人男マーカスは、こちらの姿に気付いても何も言わなかった。秋田に着いたあの日、朱璃との婚約が発表されて以来ずっとこうだ。全く口を利いてもらえない。理由は朱璃から教えてもらった。


『アンタの顔を見るだけで殺したくなるんだって。まあ、しばらくしたら落ち着くでしょ。それまでなるべく距離を取ることね。アンタがいくら化け物でも経験の差があるし、下手したら本当に殺されかねないわよ』


 彼は朱璃の父の親友で彼女の育て親でもある。そんな人物が何も知らされないまま我が子同然に思っている少女の結婚を決められてしまったわけだから、そりゃ面白くないだろう。

(って言っても、俺も無断で婚約させられたんだけどな……)

 ──なんて言い訳をしたら火に油を注いでしまうのは明白だ。なので黙っておく。そもそもマーカスには元から嫌われていたので、婚約のことが無かったとしても自分に対する態度は大差無いに違いない。

「お、お久しぶりです」

「……」

 一応挨拶はしてみたものの、やはり無言。星海班一の巨漢ウォールもまた黙って頷き返すのみだった。もっとも彼の場合は単純に無口なだけだが。

「さて、それじゃあ服を脱ぎなさい」

「え? あ、そっか」

 一瞬何事かと驚いたものの、前回の実験時のことを思い出したアサヒは一拍遅れて服を半分だけ脱ぎ、素直に上半身をはだける。やや気温が高めなので草原を吹き抜ける風が肌に心地良い。

「少しチクッとしますよ」

 研究員の一人が彼に近寄り、腕を取って注射を打った。途端に全身の血管が青白い燐光を放ち、ぼんやりと浮かび上がる。

「不気味だよねこれ……」

「前にも説明したけど、アンタの体内の魔素の流れを可視化するためのもんよ。一時間もしたら分解されて元に戻るから我慢しなさい」

「了解」

 たしかに前回もそうだった。わずかな時間のことだから言われた通り我慢しよう。

 そして件の実験装置はというと、三mほどの円筒形の筒だった。ガラスのように透明な素材で作られていて直径も八〇cmほどある。相変わらずでかい。

 それが横向きの状態で複数の足場の上に固定されている。中は黄色い液体で満たされており、両端にゴムか、それに似た素材のフタが嵌められていた。

「工房に頼んで前回より強度を上げてもらったけど、アンタが相手じゃ焼け石に水よ。くれぐれも壊さないように」

「うん」

 前回の失敗以来、友之やカトリーヌの指導を受け、力を制御するための訓練も重ねて来た。出力調整に関してはそれなりに上手くできるようになったはず。

(最初の頃は魔法の灯り一つで大騒ぎになったな……)。

 あの時は危うく皆を失明させるところだった。放出した魔素の量が多すぎて太陽と見紛うばかりの輝きになったのだ。

「星海主任、カメラの準備できました」

 研究員の一人が朱璃に報告する。その言葉通り実験装置の周囲には無数のカメラが設置されていた。電池が不要な機械式カメラだ。バネやゼンマイで作動し薬品を塗った銀色の板に感光させて像を写し取る……らしい。説明は受けたものの、アサヒには仕組みがよくわからない。彼のオリジナルが生きていた時代はカメラといったらスマートフォン内蔵のものかデジタルカメラばかりだったからだ。おそらく、ああいうカメラもどこかで使われてはいたのだろうが。

 まあ、理屈を知らなくても結果はわかる。カメラはカメラ。シャッターを切れば写真が撮れることには変わりない。

「それじゃあ行くわよ皆。アサヒが魔素を放出したタイミングで撮影するから、アタシのカウントダウンに合わせて実行。いいわね?」

「わかりました」

「了解です」

「うん」

 上半身裸のまま透明な筒の片端の前に経つアサヒ。こちら側のフタには浴槽の栓に似たものがはめ込まれていた。研究員の一人がそれを抜いたところへ、すかさず自分の右腕を突っ込む。

(うっ、冷たい)

 もう六月で気温もかなり高くなってきたというのに、中の液体は妙に冷たく感じられる。なんともいえないツンとした異臭も鼻をつく。とても長時間腕を浸していて良いものとは思えないし、できれば一発で終わらせてしまいたい。

 彼の準備が整ったのを確かめ、朱璃が研究員達の顔を見渡し、最終確認を行う。

「今から三つ数える。アタシが三を言い終わったタイミングに合わせて。つまり“ん”よ? “ん”の瞬間ね」

「はい!」

「いつでも!」

「来い!」

 アサヒは深呼吸して意識を指先に集中する。彼の周囲で再び吸い寄せられた魔素が渦を巻き始めた。吸収したそれの一部を絞り込み、指先に集めるイメージを思い描き──

「いち、にの、さん!」

「ふッ!!」

 朱璃が言った通りのタイミングで収束させた魔素を放出するアサヒ。同時に周囲で無数のフラッシュが瞬いた。

 次の瞬間、筒の反対側を塞いでいたフタが吹き飛び、中の液体も盛大に筒の中からぶち撒けられる。

 だがそれでいい。あのフタはアサヒが魔素を放出する瞬間まで液体を筒の内部に保持しておくことだけが役割。むしろフタが外れて圧力を逃がしたことにより、筒の方は前回のように砕け散らずに済んだ。

「よし、バッチリ!」

 実験が成功したことを確認し、グッと拳を握る朱璃。文字通りあっという間に終わってしまったが、この一瞬のため彼女達は長いこと苦労したのである。

「おお! 完璧ですよ主任!」

「やった、ありがとうアサヒさん!!」

「これで久しぶりに家のベッドで眠れるっ!」

 研究員達も飛び上がるほど喜んだ。

「だったら、良かったです」

 まだ残っている方のフタから腕を引き抜き、照れ臭そうに頭を掻くアサヒ。彼としても久しぶりに人の役に立てたことが嬉しい。

「へえ、なるほど、へえ……」

 中の液体がほとんど吐き出されてしまった筒へと近付き、観察する朱璃。筒の内側には魔素と反応して赤く変色した薬品がこびりついていた。まるで血のようだ。

「やっぱり螺旋状に回転してるみたいね。でも、これを見ると一mも進まないうちに速度が倍以上に……」

「主任、これって逆方向にも回転していませんか……?」

「たしかにそんな感じよね。二重螺旋なの? いったいどんな意味が……」

 研究員達と一緒に痕跡を撮影しながら観察を続ける彼女。その間アサヒも別のカメラで肌に浮き出た血管を写真に撮られていた。彼の全身は先程よりもさらに強く青白い輝きを放っている。

「驚きの反応です。この光度は普通の人間の数十倍、いや、数百倍かもしれません。尋常でない量の魔素が体内に蓄積されていますよ。人間とは思えない」

「はは……一応、人間です」

 メガネでお下げの研究員に真実を言い当てられ、顔を引き攣らせる彼。その表情を見て友之と小波が視線を逸らし肩を震わせた。笑いを堪えているようだ。

 そんな二人の態度をマーカスが叱責する。

「おい、油断すんな! ここがどこだか忘れたのか!!」

「あっ、す、すいません!」

「反省します!」

 姿勢を正して周囲の警戒に戻る二人。

 ちょうどその時だった。

「うおっ!?」

「じ、地震かっ」

 突然、地面が波打ち始めた。

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