二章・逢引(2)
無論、忠誠を誓った女王が彼を王族の一員として扱えと仰せられたのだから命令には従う。けれど、もしも彼が北日本に仇なす存在だったとしたなら?
自分には、それを見極める義務がある。
「じゃあ、その……すいません」
「お気になさらず」
少年は遠慮がちに左腕で自分を抱き寄せた。反対の右腕では王太女を抱える。どうやら本気で人間二人を抱えたまま跳ぶつもりのようだ。
(可能なの?)
この少年の持つ特異な力については明らかにされている。伝説的な英雄だった初代王と同じ能力。もし本当なら畏怖と敬意の対象になるが、この目で見るまでは信じられない。
(以前の実験の時は、ちょうど非番で居合わせられなかったものね)
彼女もずっとアサヒに付いているわけではない。彼が例の装置を吹き飛ばした実験の日には、ちょうど同僚と交代して休んでいた。それ以外にも実験に同席する機会はあったものの、今のところこの少年を王族の一員だと確信できるような場面には立ち会えていない。たしかに常識外れの力を持ってはいるようなのだが、南日本の術士達はこちらの魔法とは体系が異なる不可思議な術を操るという。それを用いた高度な欺瞞だという可能性も拭い切れない。
もっとも、それなりに長く見て来たため、すでに疑いは晴れつつある。おそらくこの子は本当に良い子なのだろう。だが、だからこそ確信が欲しい。彼を信じてやるために。
(それにしても、まだ一七歳らしいのに大きい子)
女にしてはかなり上背のある自分より、さらに頭一つ分ほど背が高い。顔立ちも整っているし、これで気弱な性格でなかったら申し分無し。もちろん彼は王太女殿下の許嫁なのだが、自分や小畑にはもう一つ別の使命がある。それを遂行するにあたり彼という人間を深く知ることは重要だ。
さて、それでここからどうする? 動向を窺っていた大谷の周囲で次の瞬間、予想外のことが起こった。
周囲の魔素が吸い寄せられ、渦を形成したのだ。
「なっ!?」
初めて冷静さを失い、驚愕する彼女。
これはまさに伝説の──
「行きます」
顔を持ち上げると、いつもはおどおどしている少年が決然とした眼差しで上を見据えていた。彼女と王太女を抱く腕に力が入る。とても力強い感触。
思わず身を固くした瞬間、王太女が話しかけてきた。
「手を出しなさい」
「え?」
「いいから、この手を掴んで」
戸惑いつつも言われるまま手を差し出す。それを朱璃が掴んだ瞬間、大谷の体内で何かが蠢いた。
(魔素を使った水分操作!?)
不快感に呻く間も無く、吸い寄せられた魔素の一部が少年の肉体へ取り込まれ爆発的な力を彼に与えた。
直後、床を蹴って跳躍する彼。本当に爆発したかのような轟音。蜘蛛の巣だらけの吹き抜けに躊躇無く飛び込み、回転する魔素の渦で邪魔なそれらを吹き飛ばしつつ着地。間髪入れずもう一度、今度は垂直方向へ跳ぶ。
再びの爆音。そして強烈な衝撃。
「ッ!?」
凄まじいGが大谷を襲った。視界がブレ、上昇。一瞬の出来事だったはずなのに酷く長く感じる。そしてようやく止まりかけたところで三度目の跳躍。
(空中で!?)
意識が持っていかれそうだ。遠ざかる視界の彼方に光が映る。多分、
そして四度目の跳躍。ただし今度は横向きに短い距離を軽く跳んだだけだった。最上階のフェンスを越え、廊下に着地するアサヒ。そこでようやく解放された大谷はたまらず膝をつく。胸の奥に熱いものが込み上げてきた。
「うぷっ……」
強烈な眩暈と嘔吐感。かき回された胃がムカついている。
「あ、あれ? 大丈夫ですか?」
心配そうにこちらの顔を覗き込む少年。本人は平然としていた。信じられない。あれだけの負荷で全く堪えていないとでも?
「だ、大丈夫です」
王室護衛隊隊士としての意地だ。大谷は気力を振り絞って立ち上がり、強がってみせる。それから自分と同じように青い顔色で蹲っている王太女を見つめ頭を下げた。
「殿下、ありがとうございます。おかげで助かりました」
「こんなことで死なれちゃ……寝覚めが悪いからね……」
さっき彼女が手を握ってくれたのは、体内の水分を魔素によって操り高加速で受ける負荷を軽減するためだったのだ。本で読んだことがある。旧時代のロケットやスペースシャトルで宇宙へ行こうとする時、乗員は進行方向である上に向かって正対するよう仰向けに固定されていたと。人体は上下より前後左右からの圧に対して強いことが理由だ。
逆に頭頂から足先にかけて垂直にかかるGは血液が押し下げられ、脳に届かなくなって容易に失神してしまう。場合によってはそのまま永眠もありうるという。
しばし後、吐き気の治まった王太女が立ち上がりながらアサヒを叱る。
「アンタね、人を抱えてる時は、もうちょっとゆっくり上がりなさい。いい? そもそも人間の体ってのは──」
「そういうことは先に行ってくれよ!?」
高加速時の危険について説明された少年は、今さらながらに慌て始めた。
なるほど、これは監視対象になるわけだ。強大で非常識な力を持っていながら自身の危険性を正しく認識できていない。
(彼が本当に初代王の血を引く人間なのかは、まだわからないけれど)
少なくとも、人類が敵に回していい相手ではない。
それだけは明確に理解出来た。
「ほら、こっから見なさい」
そう言って振り返った朱璃の背後にはガラスの失われた大窓があった。そして、その先に彼女達が育った街の全景が広がっている。この部分から風が吹き込み、蜘蛛達を内部へ侵入させてしまったのだろう。
他の部分の、まだ残っている窓ガラスは長年放置されて曇っていた。風が抜ける場所へ近付き、言われた通り地下都市全体を見渡すアサヒ。相変わらずガンガンと硬い音が街中で鳴り響いている。しかしその喧騒を忘れるほどの光景が目の前にあった。
「これが……秋田」
自分の故郷ではないのだが、それでもやはり熱いものが込み上げてくる。地上から七〇〇m下の地中に広がる円筒形の空間。反対側の壁までは数kmの距離がある。新宿の地下都市に比べれば少し小さいが、それでも十分すぎる広さだ。地上から天井までは一〇〇mほど。かつての自分達がこんな巨大な建造物を造った事実を未だに信じられない。
朱璃のさっきの言葉通り、北の外周部は耕作に使われているようだ。広大な水田や畑が見える。電力が使えなくなったことで旧時代にあった“最小限のスペースで最大限の生産効率”を誇る農業プラントは停止してしまった。代わりに余計な建物をどかし、土を耕し、種を撒き、少しずつ時間をかけてあそこまで田畑を拡張していったのだろう。やはり人間は逞しい。
一部では牧草を繁殖させ動物を放し飼いにしている。周囲を取り巻く壁や頭上の天井が無ければ、とても地下だとは思えない牧歌的な風景。
逆に中心部には多くの建物が密集していた。天井を支える柱を除けば、以前行った王城、つまり元・県庁が一番大きい。
「ここからなら全体を同時に見渡せるでしょ。アンタを人の多い場所まで連れて行くのは流石に問題だからね。今はとりあえずこれで我慢しなさい」
なるほど、それでここへ案内してくれたのか。納得しつつ改めて街並みを見渡す。
天井は部分的に暗くなっている場所もあるが、おおむね全体的に明るい。光ファイバーと鏡を使った採光システムが機能している証。二五〇年経過してもまだごく一部の不良で済んでいるのは、人々がこまめにメンテナンスしてやっているおかげだろう。
「はは……すごいな……」
顔を綻ばせ、街を眺め続けるアサヒ。
だが、やがてある事実に気が付き、一転して表情を曇らせた。
「この音……」
今も方々から鳴り響いている硬い槌の音。その正体がようやくわかった。
「補修工事か。向こうでも、あっちでも、すぐそこでもやってる。そうか、やっぱり時間が経ってるから……」
「そういうことよ、よく気付いたわね」
生徒を褒める教師の口調で頷く朱璃。そりゃ気付くさとアサヒは小声で返す。大谷には聞かれたくない。
彼は元々、ここと同型の地下都市を建設した作業員の一人だ。だから、あちこちで補修工事が行われている様子を見てピンと来た。この街はもう限界に近いのだと。
環境によってある程度変化するため一概には言えないが、コンクリートの寿命は五〇年から一〇〇年程だと言われている。この都市にはその寿命をさらに大幅に伸ばしてくれる補修用ナノマシンが散布されているはずだが、それだって永久に効果が続くわけではない。実際、地上を旅した時、同様の施工がなされたはずの建物も大半はすでに消え去っていた。風雨に晒されている分、地下の建造物より劣化が早かったのだろう。
オリジナルの伊東 旭が中学校の授業で受けた説明によると、日本の地下都市は最大で一五〇年の耐用年数を想定した設計だったらしい。今は、そこからさらに一〇〇年も超過している。
「はっきり言って、この街に残された時間はそれほど長くないわ。これまでずっとだましだましで保たせては来たけれど、一〇年後か二〇年後、あるいはもっと早い時期に限界を迎えてしまう。だからアタシの研究が必要なのよ」
「朱璃の……」
以前、彼女のいない場所で見せられた設計図のことを思い出す。あれらの開発が今どこまで進んでいるのか知らないが、なるほど、ここに住めなくなるのだとしたら当然必要になるはず。彼女が研究しているのは“竜を打倒する武器”なのだから。
「地上へ行くんだね」
「そうよ、それしか道はないもの」
安全な地下を捨てて地上へ戻る。そのための方法を見つけ出す。きっと、それは朱璃にしか叶えられない願い。だから彼女が王太女に選ばれたのだと、ようやくアサヒは本当の意味で理解できた。
「そっか……なら頑張らないとね。俺もできる限り協力するからさ」
「何言ってんの、当たり前でしょ? それがアンタとアタシ達の契約じゃない」
「そうだった。でも、できれば福島の時みたいなことはやめてくれよ」
「は? 何の話?」
首を傾げる朱璃。覚えていないのか、すっとぼけているのか。アサヒはあえてあの苦い思い出を振り返る。
「持久力のテストとか言って、俺を延々走らせ続けたじゃないか。丸一日走り通しなんて二度とやりたくないよ」
「ああ。でもアンタ、結局疲れなかったじゃない」
「精神的にキツイんだよ」
この体になって以来、アサヒは肉体的に疲労することがない。どうやら“竜の心臓”や周囲の大気から魔素の供給を受け続ける限り、スタミナが底無しになるようだ。
とはいえ、
「疲れないってのも良いことばかりじゃないよ。あの時も、いつまで経っても雑念が消えないっていうか、長時間走ってると普通はボンヤリしてくるだろ? それが無いからとにかく気分が滅入って……ん?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます