終章・契約(2)

 ──そんなこんなで不安に苛まれつつ、出発の日。自分で決めたことだからと決意を再確認して馬車に乗り込むアサヒ。地下道はきちんと整備されているため、普通にこういう乗り物を使えるようだ。人数が多いから二台に分乗して走り出した。

 アサヒの同乗者はウォールとマーカス。向こうの馬車には朱璃と門司とカトリーヌ。男女で均等に分けられた。小波と友之の姿は無い。小波はあの日、この先にある仙台へ移送され、そこで改めて治療を受けた後、王都の病院へ移ったそうだ。友之は朱璃から彼女の様子を見て来いと命令され、一人だけ先に出発している。

 そして彼等を乗せた馬車は、延々と続く長い地下道を進んだ。

(気まずい……)

 自分を歓迎していないマーカス。そして普段から無口なウォール。男三人の馬車の旅は地獄だった。これもまた朱璃の嫌がらせ、もとい実験なのだろうか? 精神に重い負荷をかけたらどうなるかとか、そういう類の。

 一時間経過しても会話が無かったので、とうとう堪え切れなくなり、自分から不機嫌なマーカスに話題を振る。ウォール相手だと返事があるかもわからない。

「あ、あの……」

「あぁ?」

「どうして“秋田”が王都に、なったん、ですか……?」

 睨み返され、次第に声が尻すぼみになるアサヒ。他の面々とはそれなりに打ち解けたと思うのだが、どうしても彼だけは苦手意識が消えない。向こうも向こうでこちらを敵視しているのが明らかだからだろう。

 彼の質問を受け、やはりマーカスは眉間のシワを深くする。

「秋田が王都じゃ悪いってぇのか?」

「いえっ! ただ単に、どうしてなのかと気になっただけです!」

「ふん……どうだかな。うちの婆ちゃんが言ってたぜ。旧時代の東京の人間ってのは、田舎者を見下すいけすかねえ連中ばかりだったってな」

 彼の祖母だったらすでに崩界後に生まれた世代のはずだが、やっぱり誰かから同じことを聞かされて育ったんだろうか?

「ま、まあ、多少はそういう面もあったかもしれません……」

 実際大人達の間には出身地による偏見が時折感じられた。とはいえ自分達の世代は他の地方のことなんてほとんど知らずに育った。だから都会の人間だという理由で田舎を見下すことはしなかったし、むしろ憧れを抱いていた者も少なくない。

 そういう事情を説明すると、マーカスの態度はこころなし軟化した。

「まあいい、教えてやんよ」

 彼もやはり暇だったのかもしれない。そう言って経緯を語り出す。意外にも話に乗ってくれたので、目を輝かせて耳を傾けるアサヒ。その間もウォールは黙したまま瞼を閉じている。ひょっとして単に寝ているだけでは?


「元は、この先にある仙台が王都だった」


 けれど大きな震災が起こり、仙台の地下都市は半分が崩落してしまった。そのため現在では旅の中継地点としてしか使われておらず、他の都市の中で最も保全状態の良い場所へ遷都することを決めたらしい。それも、もう二〇〇年以上前のことだそうだ。

「なるほど、それで秋田に……」

「まあ、街の保全状態が良ければどこでも良かったんだろうがな」

 それでもマーカス達にとっての秋田は生まれ故郷。だから愛着があるんだろうなと先程彼が怒った理由を察する。どんなところなのか今から見るのが楽しみだ。

 直後、かつての王都だという仙台にも立ち寄った。福島と同じように軍人しか駐留しておらず、崩れ落ちた瓦礫の山が、まだそのまま残されていた。

「ひどいですね……」

「しゃあねえよ」

 撤去したくとも昔のように重機が使えるわけではないため、手の付けようがないそうだ。彗星の衝突にも耐えられるように造ったはずなのに、いったいどれだけ大きな地震が起きたらあんな酷いことになるのだろう?

 少し馬を休ませると仙台からはすぐに去ることとなった。だが、その瞬間アサヒの耳に何者かの声が届く。


『おかえり』


「……」

「おい、どうした?」

 マーカスに問いかけられて気付く。どういうわけか両目から涙が零れていた。それは血を流した時と同じようにすぐに霧となって消えてしまう。

「いえ……」

 今の声が本当に聴こえたものだったのか、それともただの幻聴だったのかはわからない。けれど、誰にも言わず自分だけの大切な記憶として留めたいと、何故かそう思った。




 翌日、やっと秋田に到着した。

「おお~、すごい」

 馬車の小窓から外を眺めて喜ぶアサヒ。地下都市の構造なんてどこも似たようなもののはずだから、景色は他と大差無いだろうと思っていた。けれど構造は同じでも色彩が全く違う。軍事基地と化していた福島や旅の中継点でしかない仙台とは違い、この街の建物は色とりどりの塗装が施されていた。

「どの家も年に一度は、壁を塗り替える」

「そうなんですか」

 珍しく発言したウォールの言葉に、驚きながら振り返る。すると大人達も反対の窓から久しぶりの故郷を眺めて楽しんでいた。

「ずっと地下にいるからな。景色に変化が無いと飽きるだろ」

「なるほど」

 地下暮らしならではの工夫というわけだ。そういえば自分達が二年間新宿の地下で生活していた間にも似たようなことが色々行われていた気がする。

「思ったより明るいですね」

「光ファイバーと鏡を使って地上から光を取り入れてんだ。夜にゃかがり火を焚く」

「へえ~」

 地下で火を使うって換気システムはどうなってるんだろう? 昔のように電動ではないはず。そういえば省電力のため非常時には自然に空気を循環させるシステムがあったかもしれない。元・建設作業員の性か、アサヒはそのあたりが色々と気になった。

 しばらくして馬車は街の中心部に辿り着き、停車する。

「よし、降りろ」

「ここは?」

「城だ」

 城? たしかに高いことは高いが、まったくそれらしくない無機質で平坦なデザインの白い建物が目の前にあった。道中の景色に比べて面白みに欠ける外観。反面、旧時代らしさは一番強く感じる。

「旧時代には県庁だった場所だ」

「あ、なるほど」

 それでこんなデザインなのか。そういえば東京の地下都市に建っていた都庁や国会議事堂も似たような感じだった。縁の無い場所なので記憶は若干曖昧だが。

「何してるの、行くわよ」

「へえへえ」

 朱璃に呼ばれて歩いて行くマーカス。アサヒもその後に続く。王女が帰還したのに盛大な出迎えは無いらしい。

「そら、君の存在がまだ世間一般には知らされてないからや。目立ったらアカンやろ」

「あ、そうか」

 そういえば、それで変装させられたんだった。アサヒは度の入っていないメガネをかけ、金髪のカツラを被っている。ちなみに服は自分用のものをきちんと採寸して新たに作ってもらった。

 街中を歩く人々を見て気付いたが、一般市民はもっと服らしいデザインの服を着ている。下にこれと同じスーツを着用して静電気の起こりにくい素材で統一してあれば、それ以外は自由なのだそうだ。朱璃達の場合、動きやすさを重視した結果この格好で行動しているらしい。野外で活動していればどうせ汚れるからだとも言っていた。彼女らしい。

 出迎えこそ無いが、正面玄関から堂々と入城する一同。透明な強化ガラスの扉が勝手に左右に開く。

(自動ドア……どうやって動かしてるんだ?)

 そんなことを考えながら中へ入った彼は、玄関ホールでいきなりあるものを見つけ、なんとも言えない微妙な表情を浮かべた。

「あれって……」

「君の肖像画や」

 くすくす笑うカトリーヌ。入ってすぐ正面にあごひげと口ひげを生やした自分の巨大な肖像画が飾られていた。多分、四十代あたりの姿だろう。

「俺、あんな風になるんですか……」

「老化するならね。アンタ“記憶災害”だし、案外ずっとそのままなんじゃない?」

 たしかに、そういう可能性もありそうだ。中年になった自分の顔を眺めつつ渋い表情で考え込むアサヒ。年を取るのと取らないのと、どっちの方がいいんだろう?

 というか、どうしてひげ? 王様か? 王様っぽいからか?

「いいからさっさと来なさい。女王陛下が呼んでるんだから」

「えっ、それって」

 なんで城に招かれたのか、ようやく知ったアサヒは小走りで朱璃の隣に並ぶ。

「君のお母さん?」

「祖母よ」

 あれ? じゃあ母親はどこに──などと思っている間に、早足で歩いていた朱璃は一際立派な扉の前で立ち止まった。左右で控えていた二人の兵士が敬礼する。

「おかえりなさいませ、殿下」

「どうぞ、お通りください」

 彼等の言葉を聞いて、改めてこの少女が本物のお姫様なのだと実感する。

「待ってて」

「おう」

 扉が開けられても、マーカス達はその場で立ち止まったまま動かない。朱璃はアサヒの背を叩いて中へ進む。ここへ入れるのは自分達だけらしい。

 部屋の中には外の二人より重武装した兵士達が二列になってズラリと並んでいた。女王の護衛として選び抜かれた精鋭だと、小声で教えてくれる。

 注目されることに慣れていないアサヒは、彼等の間を縮こまりながら進んで行く。前を歩く朱璃は流石に堂々としたもので、屈強な兵士達に挟まれても全く臆していない。

 女王は一番奥の小さな階段を上がった場所に設えられた玉座に座している。なるほど、髪の半分が白いけれど、たしかに朱璃と良く似ている。こころなしか母・陽の面影もあるような気がした。

 彼女は二人が所定の位置で立ち止まるのを確認してから声をかける。

「よく戻りました、朱璃。そして、お初にお目にかかりますアサヒ殿。同胞の帰還を心よりお慶び申し上げます」

 そう言って立ち上がり、アサヒに向かって会釈する。一国の女王に頭を下げられ、恐縮したアサヒの方も相手が自分の子孫だということを忘れ、ぎこちない礼を返した。するとカツラが落ちてしまって、慌てて拾う。

「もういいわよ、それ」

 朱璃が眼鏡と一緒にひったくって背後に投げ捨てた。兵士達から戸惑いの気配が伝わり、やがて一人がそそくさと拾い上げる。

 小声で抗議するアサヒ。

「何も捨てなくても」

「邪魔だもの」

 そんなやり取りを静かに見つめる女王。なんだか嬉しそうだ。

 彼女は眼差しを細め、もう一度じっくりアサヒの顔を眺める。

「本当に、初代王に瓜二つですね」

「あ、はい。本人ではないんですけど……」

「存じていますよ」

「余計なことは言わなくていいから」

「おぐっ!?」

 アサヒの脇腹を肘で突いた朱璃は、自ら女王に話しかけた。

「陛下、この者をお連れすること、お許し頂きありがとうございます」

 普通ならこの場で王の許可無く発言することは許されていない。しかし、女王もやはり孫を咎めるようなことはせず、再び玉座に腰かけながら穏やかに微笑んだ。

「お前の頼みです、そのくらいは安いもの。ただし朱璃、約束は忘れていませんね?」

「ええ、もちろん」

「約束?」

 なんのことだろう、やはり全く聞いていない。朱璃は報連相を知らないようだ。

 アサヒが眉をひそめながら見下ろすと、彼女もこちらを見上げ、突然ぴょんとジャンプしてきた。首に腕が絡まり、強引に引き寄せられる。


 そしてキスをされた。


「んぐっ!?」

 舌まで差し込まれる。何をしてるんだこの子!?

「殿下!?」

「ど、どういうことだ……」

 英雄そっくりの少年が現れても冷静さを保っていた兵士達が、にわかにざわつき始める。彼等にも目の前で何が起きているのか理解できない。

「ぷはっ」

 長い長いキスの果て、目を白黒させていたアサヒが窒息しかけた頃、ようやく唇を離す朱璃。満足そう、というか空腹を満たした獣のような表情で垂れた涎を拭う。

 しかし、これで終わりではなかった。

 少女はさらなる混乱をたった一言で生み出す。

「というわけで結婚するわよ、アサヒ!」

「はぁ!?」

「よろしい、認めます」

 女王までもがとんでもないことを言い放つ。彼女は艶然とした笑みを浮かべ、若い二人を見守った。






                           (第二部へ続く)

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