終章・契約(1)

 福島の地下都市。治療のため先に移送された小波以外、星海班一同はアサヒの処遇が決定するまでここで待機するよう命じられた。

 それから一週間後、兵士用宿舎の一角に用意された朱璃あかりの部屋をカトリーヌが訪問した。手土産は特に無い。形あるものとしては。

「ハロー、朱璃ちゃん。来たでえ~」

「いらっしゃい」

 いつもの調子で挨拶を交わす二人。ドアを閉め、室内を二人で見て回ってからようやく中央の対面式ソファに腰かける。流石に王太女のため用意された部屋だけあり、調度品は他より豪華だ。朱璃相手では無意味な気遣いだと思うが。

「色々ゴタゴタしてたけど、これでやっとアンタから話を聞けるわね」

 森林火災への対応。地下都市が受けた損害の確認。シルバーホーンとの戦闘が行われた現場の調査。本部に送る報告書の作成。その本部から派遣されて来た別の調査官達による聴取。あれこれやっているうちに一週間も経ってしまった。

「せやな、うちも朱璃ちゃんと話したかったわ」

 そう答えたカトリーヌは、改めて周囲に他の気配が無いことを確かめると、急に雰囲気を変えて怜悧な眼差しを向ける。

「何が訊きたい?」

 口調と声もガラリと変わった。今の彼女は研ぎ澄まされたナイフを想起させる。こちらが素で、普段のあれは演技なのだ。

 それを知っている朱璃にも戸惑いは無い。

「まず確認。アイツが言っていたことは本当?」

「事実だ。南では七年に一度“紅銀べにぎん”への接触を試みていた」

「べにぎん?」

「シルバーホーンのことだよ。向こうではそう呼ぶ」

「ふうん。なんか、そっちの方がカッコイイわね。ところで、どうしてその情報をアタシ達に伝えなかったわけ?」

「南でも一部の人間しか知らん重要機密だぞ。いくら協力を約束したからといって、そう簡単に明かせるはずがあるまい」

「ま、そうか。アンタは南を裏切ったわけじゃないもんね、梅花ばいか

「その名前では呼ぶな」

 彼女、カトリーヌの本名は天王寺てんのうじ 梅花。南日本から北の内情を探るため送り込まれた諜報員スパイだ。

 しかし三年前、とある事件のせいで正体が露見した後、特異災害対策局の局長と取引し現在の立場に収まった。逮捕はしない。必要なら南へ流すための情報もくれてやる。その代わり自分達に協力しろ。そう迫られて生き延びるために契約した。

 ただし、その際に彼女からも条件を突き付けた。祖国の不利になる命令には応じないし同様の情報も渡さない。それでも良ければ協力すると。

 普通なら論外の話である。だが彼女の実力を知る局長は特別にこれを認めた。梅花は南日本でも指折りの実力を誇る術士なのだ。

「で、アンタ達はこれからどうする気?」

「……わからん」

 朱璃が問いたいのは南がどう出るかということだろう。長年の苦労が実ってやっと復活させた“英雄”を棚ぼたで北日本が確保してしまった。当然、向こうとしては面白くないはず。

 奪還のために動くかもしれない。十分、その可能性は考えられる。だが自分にも彼等がどう出るかは、まだなんとも──いや、そういうことか。

「私に交渉の窓口になれと?」

「流石、話が早い」

 やはりか。朱璃個人としては南と事を構えるつもりはあるまい。かといってアサヒを手放すこともしないはずだ。あれは今や、彼女の目的にとって欠かすことのできないピースだから。

 必要とあらば、この天才少女は南への亡命だって辞さないだろう。利用できるものなら何だって利用する。そういう性格だということは三年間の付き合いで身に沁みた。

「しかし、それでは私が北に通じている事実を知られることになる」

「嫌なら別にいいわよ? 自分で交渉するわ」

 チッと舌打ちする梅花。この娘に任せるくらいなら、祖国から裏切り者扱いされてでも自分の言葉で連絡を取った方がマシだ。どんな説明をされるかわかったもんじゃない。

「……いいだろう、やってみる。だが、お前の望む結論になるとは限らないぞ」

「構わないわ。どのみちアタシに損は無い」

「なるほど」

 つまり交渉をさせて時間を稼ぐことそのものが目的というわけか。短期間であの少年の能力を解析し、利用する目途を付けるつもりらしい。

 こいつならやるかもしれんな。梅花は嘆息した。これが本当に祖国への裏切りにならなければいいのだが。命を賭してアサヒを守った妹達にも顔向けできなくなる。

 まあいい、彼女が自分を利用するように、自分も彼女を利用させてもらうだけだ。彼の力を当てにしているのはこちらとて同じ。

(桜花、菊花、必ず仇は取る)

 そのためなら、何度だって悪魔と取引しよう。




 そして福島で待機すること二週間──自室で机に噛り付き、朱璃から出された宿題に頭を抱えていたアサヒの元へ、その彼女が朗報を運んで来た。

「王都に戻るわよ。アンタも連れて行けることになったわ」

「た、助かった……」

 心の底から喜ぶアサヒ。この一週間、暇を持て余した朱璃に実験と称して色々酷い目に遭わされていたのだ。銃で四方八方から撃たれたり、一日中走らされたり、旧時代の知識をどれだけ覚えているか確認すると言われ、延々とクイズを出されたり。

 しかも回答を間違うと散々馬鹿にされた挙句、ちゃんと知識を身に着けろと言われ勉強漬けだ。今もそれで宿題をしていたわけである。正直言って先日の一戦以上にきつい日々だった。

 だが、ふと気が付いて首を傾げる。

(待てよ? 本当に助かったのかな?)

 王都に行ったら、もっと悲惨な目に遭わされるかもしれない。なにせこの悪魔のホームグラウンドだ。怪しい機材で一杯の研究所に連れて行かれ、解剖されてしまう可能性だってある。

 椅子の上で振り返り、監視役のマーカスに訊ねてみた。

「俺、本当に行っても大丈夫ですか?」

「知るかよ」

 相変わらずつっけんどんな態度。この人はやはり自分を王都へ連れて行くことに反対らしい。代わりに朱璃と一緒にやって来たカトリーヌが「まあ、殺されたりはせえへんて、多分」と全然安心できない言葉をかけてくれた。

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