九章・人竜(3)

「一緒に、行っていいかな?」

 街を見てみたい。かつて自分達が造り上げた地下都市で、今の時代の人々がどんな風に生活しているのか知りたい。

 他にも多くのものを見て、知って、触れてみたい。

 彼のその選択を受け、朱璃は銃を下ろす。

 代わりに右手を差し出した。

「なら、これからよろしく」

「うん、よろしく」

 アサヒも右手を差し出して握り返すと、周囲の人々はホッと息を吐き、一人また一人と構えを解く。

 だが一人だけ──マーカスはアサヒの心臓に狙いを定めたまま朱璃を問い質した。

「おい、本当に連れてく気か? そいつはシルバーホーンでもあるんだぞ!」

「だからいいんじゃない」

 何を言ってるの? という表情で振り返る朱璃。

「竜をぶっ殺す方法を探るのに、これ以上最適な実験体がいる?」

「だが」

「暴れ出したら、その時はその時よ」

 再びアサヒを睨みつけ、不敵に笑う朱璃。もし敵に回ったら容赦はしないと、その目が如実に物語っている。背筋に寒気を感じて震え上がるアサヒ。自分の方が遥かに強いはずなのに、どうしてかこの少女には勝てる気がしない。

 ところが──

「うぷっ」

 いきなり頬を膨らませたかと思うと、天才少女はその場にうずくまって嘔吐し始めた。

「おえれれれれれれれれれ」

「は、班長!?」

「だからお前は飲むなって言っただろ!」

 慌てて彼女を介抱する班員達。

 彼等の会話を聞いて、アサヒは何が起きたのかを察した。

(さっきの小瓶が、例のあれだったのか)

 強制魔素充填剤。マーカスが言っていた薬だ。消耗した体で“魔弾”を撃つために服用したのだろう。つまり返答次第では本気で自分を殺すつもりだったわけだ。

 朱璃は背中をさすられながら、涙目で周りの大人達に問いかける。

「こ、こん……こんな、なの……二日酔いって」

「そうだよ。だから酒も飲むんじゃねえぞ」

「飲まないわよ。こんな……うえっ。馬鹿じゃないの、なんでこんな地獄を味わってまで美味くもないものを飲むのよ……」

「飲まなきゃやってらんねえ日もあるんだよ、大人にはな。あと味に関しちゃお前が子供舌なだけだ」

 そう言ってぐったりした彼女をおぶるマーカス。人種が違うのに、まるで本当の親子みたいだ。

 彼はアサヒの方に振り返り、顎で福島を示した。

「しゃあねえ、お姫様の命令だ、お前もついてこい」

 アサヒに同行を促し、歩き出すマーカス。

 苦笑しながらその後ろに続く。

「お姫様って……本当に可愛がってるんですね」

「ん?」

 友之が眉をひそめた。

 誤解に気が付き、カトリーヌが正す。

「いや、ホンマに王女やねん、朱璃ちゃん」

「へ?」

「うちらの国の王太女様や。次の女王様になんねんで」

「ん」

 冗談かと思ったが、ウォールまで頷いた。

「……えっ!?」

 しばし固まった後、血相を変えて走り出し、マーカスの隣に並ぶアサヒ。改めて朱璃の顔を見つめる。

 少女は不機嫌そうに、そんな彼を見つめ返した。

「あによ?」

「た、たしか……“伊東 旭”が初代国王だって……」

「そうよ」

「じゃあ君、俺の子孫なの!?」

「アンタの孫の孫の孫の孫よ。おえっ」

 嫌そうにえづく彼女。

 さっきは赤子扱いで、今度は年寄り扱いか。

「可愛くないな!?」

「なんでよ!? こんなに美少女じゃないのっ!!」

「おぐ!?」

 怒った朱璃は銃床でアサヒの顔面を殴る。

 ツッコミも容赦無い。

「ほら、よく見なさい! 美少女オブ美少女でしょうが!!」

「や、やっぱり可愛くない……!」

 殴られた頬を押さえて言い返すアサヒ。

「まだ言うか!?」

 朱璃は掴みかかった。

「おい、暴れんなっ!!」

 背中で暴れる朱璃。その手を掴んで抵抗しながら、しきりに可愛くないを連呼するアサヒ。二人に対して怒鳴り散らすマーカス。

「なんやこれ」

 騒々しい帰路の光景に、カトリーヌは嘆息しながら肩をすくめる。

 そんな彼女の手の平に、どこからか飛んで来た早咲きの桜の花びらが一枚、ひらひらと舞い落ちた。




 北日本王国の王都──その内縁部に建つ五階建ての大きな建物。建設から二五〇年経過してなお当初のような白さを保つ壁の一角には“特異災害対策局本部”と彫られた大きなプレートが固定されていた。

 最上階の局長室で、組織の長・神木は部下からの報告に耳を傾ける。

「──以上が福島の件の顛末です。にわかには信じ難い話でしたが、現地に派遣した者達が事実であることを確認しました。詳細はそちらの資料にまとめてあります」

「ご苦労。伊東 旭の再現もどきとシルバーホーンが戦ったという割に、被害は軽微だな」

 冷静に、淡々と報告書に目を通す彼女。何が起きたのかをより正確に知るべく、記載されてある情報を委細漏らさずチェックする。

 この報告内容が全て事実なら、福島どころか北日本が壊滅してもおかしくなかった前代未聞の大事件だ。ところが結果としては福島の使われていないエレベーターシャフト一基と周辺区画が吹き飛んだ程度。人的被害は調査官一名が死亡しただけ。

(だけ……とは言いたくないですけどね、ジロさん……)

 死者の名前を見て一瞬、表情を曇らせた。

 そこへさらに、部下が苦言を呈す。

「たしかに損害は少ない。しかし、そもそもは星海班長が“もどき”を連れ帰ろうとしたことが原因です」

「そうだな」

 功績は功績として称えるべきだが、同時に組織の長として構成員の犯した過ちは厳正に正さねばならない。

「星海班には一ヶ月間の謹慎処分を命じる」

「局長、それでは」

 甘すぎます、と言おうとした部下の言葉を片手で遮る。

「人の姿で人の言葉を話す相手だ。しかも英雄と同じ顔。放置するわけにもいかなかっただろう。福島まで同行させたことに関しては咎められん。消えない人型記憶災害など前例の無い話だし、そのまま南にくれてやれば良かったとは君も思うまい?」

「それは、まあ……」

 渋々納得する部下。つまり処罰は班員一名の死亡に対してのもの。それなら一ヶ月の謹慎は妥当と言える。

「とはいえ、流石にこの星海班長からの要望は通らないと思いますよ」

「たしかに、いくらなんでも難しいだろう」


 伊東 旭もどきを連れ帰りたい。

 朱璃は報告を送ると同時に、そう頼んできた。


「許可が下りるはずありません」

「ああ」

 普通ならそうだろう。いくら彼女の立場でも──いや、王女であるからこそ許されない。生物型記憶災害を王都に持ち込むなど、あまりに危険すぎる。他の地下都市だったとしても無理だ。福島に留め置いているだけでも特例中の特例。

 しかし神木は考える。これは考えようによっては利用できるかもしれないと。

 彼女は即断即決の女だ。おもむろに椅子から立ち上がったかと思うと、資料をまとめて手提げカバンに仕舞い、歩き出した。

「局長、どちらへ?」

「陛下にお会いして来る。一応、あの子の要望を伝えてみないとな」

「……娘さん思いですね」

「違う」

 振り返った時、彼女の赤い髪が揺れた。

 娘と同じ色の髪が。

 神木 緋意子は自分自身を侮蔑する。

「私は彼女を捨てた女だ。これはあくまで、局長としての仕事だよ」




「──今回はここから出られず、か」

 伊東 陽はそう呟きながら道路に面したオープンテラスの椅子に座り、砂糖たっぷりのカフェオレを飲んだ。飽き飽きしたこの甘ったるい味ともついにおさらばできると思ったのだが。

「もうすぐ出られますよ、きっと」

 対面の席で、微笑みながら同じものに口をつける桜花。黒髪の美しい娘だ。惜しいなあと呟く陽。桜花は片眉を持ち上げる。

「何がですか?」

「うちの子には、桜花ちゃんみたいな子と結ばれて欲しかった」

「私も彼は好きですよ。でも、仕方ありません」

 あの状況では自分が犠牲になる以外、彼を守り抜く方法が無かった。むしろ自分達の死を目の当たりにしたアサヒが覚醒してくれたのだから万々歳だ。


 旭によるアサヒへの記憶の移植は失敗したわけではない。

 ただ、必要最低限の記憶しか与えなかっただけ。


(ここへ来て、ようやくわかった……彼がこの二〇〇年、どれだけ懸命に抗い続けて来たのか)

 アサヒ達は気が付いただろうか? 本当に倒すべき敵はシルバーホーンではないのだと。あれは野心を利用されただけの傀儡の王に過ぎない。

 真の支配者は、あの大蛇だ。奴はシルバーホーンの中に潜み、取り込まれた旭の精神をずっと攻撃し続けてきた。幻を見せ、トラウマとなった記憶を揺さぶり、己の意のままに操れる道具に変えようとしたのだ。

 その目論見は果たされた。オリジナルの旭の記憶と精神は徹底的に破壊され、今や魔素を集めるための装置となり果てている。正面に座る伊東 陽の肉体が二〇〇年以上前、そうなってしまったように。

 シルバーホーンに敗れ、取り込まれた旭は、奴の体内の魔素に溶け込み拡散していた彼女達の魂や記憶をかき集め、この街を作り出した。一種の仮想空間だ。ここがあったおかげで桜花の魂も消滅を免れた。

 しかし、二〇〇年間この空間を守り続けた代償としてオリジナルの旭は魔素の収集装置にされた。もはや死んだと言っても過言では無い。

 それでも希望は潰えていない。まだ彼がいる。旭が自分に残された記憶の一部を託し生み出した“アサヒ”という新しい命が。

 彼は旭とは違う存在だ。似ていても非なる者だ。けれど、それでも桜花は彼を信じている。

 彼もまた、英雄として輝くはずだと。

「やっつけてくれるかな?」

「そう願います」

 少しばかり俯いて、コーヒーをテーブルに置く桜花。この世界では時間は前に進まない。取り込まれた者達は止まった時間の中で延々と同じことを繰り返し、その“記憶”を奴に搾取され続ける。言ってみれば奴を肥え太らせるための牧場であり、自分達は家畜。シルバーホーンは番犬。もしくは牧羊犬か。

 でも、問題はそんなことじゃない。あれを倒せなければ現実世界ではもっと深刻な事態に陥る。

 彼女は銀色の空を見上げ、その向こうにいる者達に願った。

「姉様……アサヒ……“ドロシー”を倒して。彼女がこの星を滅ぼす前に」

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