第三話 門出
― 王国歴1118年 晩夏
― サンレオナール王都
「自分の手が離せねぇからって、俺に面接しろって言われてもなぁ。そうさな、じゃあここで何でもいいから俺を
「何でもよろしいのですか?」
「何なんだ、お前はさっきからそのお貴族様みたいな気取った言葉遣いはよぉ。いちいち鼻につくじゃねぇか!」
「私がここに就職が決まって、貴方の元で働くことになりましたら、言葉遣いも貴方のお気に入るように直しますわ!」
「言うじゃねぇか。そうだな、お茶の時間に出す菓子でも作ってくれたら俺の手間も省けて一石二鳥だ」
私の目の前に居る恰幅の良い年配の男性はこれでもクイヤール伯爵家の料理長だそうです。面接にいきなり実技が含まれるとは思ってもいませんでした。今まで何軒か回った中で面接まで辿り着けたお屋敷はここが初めてでした。面接どころか、まず調理人を募集している貴族のお屋敷の絶対数が少なかったのです。
私は厨房のあちこちの収納を開けては閉め、思案に暮れていました。戸棚の奥に焼き菓子の型を見つけたので早速作ってみることにします。数日前にも学院の調理室からその貝殻の形をした器具を借りて我が家で作ったばかりでした。そして私は材料が全てその厨房に揃っていることを確かめ、調理に取りかかりました。
「うん、まずまずの出来だわ」
このお屋敷のストーブとオーブンは学院のものと同じなので助かりました。しばらくしてオーブンから良い匂いが漂ってきたところに、料理長が戻ってきました。
「何焼いているんだ? おお、マドレーヌか」
料理長がオーブンを覗き込んでいます。
「はい。そろそろ焼けるので取り出しますね」
焼け具合を確かめ、私はその焼き菓子をオーブンから出して冷ましている間に洗い物や片付けをしていました。
ポール料理長は腕を組んで私の作業を無言のまま観察しているようです。そしてほど良く冷めた頃に料理長はまだ温かいマドレーヌ一つを手に取り、私にも半分分けてくれたので二人で味見をしてみました。我ながら良い出来でした。
「ふん、手際も中々だし、不味くはねぇ。これならお茶の時間に奥様にお出しできる。よっしゃ、マドレーヌ、お前は採用だ。再来週から来い。本当に今日の茶菓子を作らなくて済むとは思ってもみなかったぜ」
「ありがとうございます! 雇用条件や契約書は……」
「あのなあマドレーヌお嬢様よ、ただの雇われ調理人の俺がそんなん知るかよ。執事に聞けや」
「ですよね……」
私の名前はマドレーヌではなく、ダフネ・ジルベール、この夏に侍臣養成学院の調理学科を卒業した花の十八歳、ただ今就活中の身です。いえ、たった今このクイヤール伯爵家に就職先が決まったようです。
私が約束の時間に面接に訪れると、クイヤール家の執事は何かの急用だとかで忙しくしていました。私は四半時も待たされた挙句、厨房へ行けと言われました。どうやら私のことを構っている暇がないようで、執事が私の面接をポール料理長に丸投げしたのです。
気難しそうなこのオッサンに私の焼いたマドレーヌを認められたお陰で、私はここで働けるようになりました。ポールさんは癖のある人ですが、何となく上手くやっていけそうな気がします。とりあえず職を得ることが出来ました。
面接というか実技を終えた時には執事の方もやっと手が空いたのでしょう、雇用条件などについて聞くことも出来ました。そうして私は来た時よりも軽い足取りでクイヤール家の門を出て帰宅しました。
私はジルベール男爵家の次女として生まれ、六歳まで故郷の領地で育ちました。父が男爵位を継いだころから家計が傾き始め、我が家は借金まみれになってしまいました。
私と姉には優しい父でしたが、領地の経営には向いていない人だったそうです。大酒飲みで愛人も何人か囲っていた父に愛想を尽かした母は私と姉を連れて王都に出てきました。
ジルベール男爵家は破綻、爵位も領地も王国に返還して数年後、長年の不摂生と飲み過ぎが祟ったのか、父は若くして亡くなりました。私たち一家は王都の小さい借家に住み、母はお針子として働きながら今でも借金を返し続けています。
本来なら男爵夫人として
この度、私も晴れて仕事が決まり、家計を助けることが出来るようになります。我が家の借金ももうすぐ完済の予定でした。
未亡人の母は昨年末に出会ったクリスチャンとの交際も順調です。不動産業に就いている彼は母より少し年下で、とても優しくて包容力のある男性なのです。私はいつも大人のラブラブカップルにあてられています。
姉の方はと言うと、職場の先輩であるテネーブルさまとの婚約が成立して、結婚式は来年春の予定でした。こちらはツンデレとヘタレのカップルで、テネーブルさまの方が姉に振り回されてばかりなのです。天下の次期公爵さまを完全に尻に敷いている我が姉はかなりの大物と言えます。
姉も母も、恋が実ったのは私が協力したからと豪語しても間違いではないくらい、私は二組のカップルを陰になり日向になり支えてきました。
そんなジルベール家の次女の私は家族の中でただ一人、未だに彼氏募集中なのです。とりあえず今の私は就職して収入を得ることが一番の目的で、恋愛は二の次と言えました。
本当は収入の面でも将来性の面でも王宮に就職したかった私です。それでも王宮勤務なんて料理人としては一番条件の良い職場ですから、級友たちも勿論狙っていてとても狭き門でした。
貴族の屋敷に職を得られただけましと言えましたが、働き始めるまではそこが良い職場なのかどうかは分かりません。貴族といってもピンからキリまであるし、職場の環境もそれぞれ屋敷よって違うでしょう。
王宮に勤めている姉にクイヤール伯爵家について聞いてみました。私は料理人として裏方の立場なので主家の方々には直接お会いすることはないとしても、やはり気になるのです。
「クイヤール伯爵は国庫院にお勤めで、職場ではとてもお厳しい方だという噂よ。跡継ぎのご長男フィリップさまは王宮医師をされていて、私も存じ上げているわ」
「まあ、お姉さまは王宮医師のお知り合いがいらっしゃるのですか?」
王宮医師なんて数ある王宮職の中でも一番の難関なのです。
「ええ。フィリップさまには王宮本宮の職員用図書館で時々お会いするのです。私と読書の趣味が似ておられるので、歴史書や古典の書棚の辺りにいつもいらっしゃるのよ。彼と読んだ本について談義をするのは楽しいわ」
姉は私も卒業した、侍臣養成学院の出です。貴族の子女が通う貴族学院には経済的な理由で行けなかった私たち姉妹でした。姉はそれでも猛勉強の末、一年飛び級をした上、高級文官試験に合格するという快挙を成し遂げたのです。
そして今は貴族が大半を占める職場でバリバリのキャリアウーマンとして働いているのです。我が姉はすごい人なのです。
「お姉さまのお知り合いはまず庶民には縁のない、とてつもない肩書の方が多いですわね」
「それはただ私が王宮の貴族が多い職場に勤めているからです。クイヤール家のご次男ジュリエンさまはフランソワと学院時代からのご友人で、近衛騎士として王宮にお勤めだそうよ」
「ご家族皆さまエリートなのですか……」
「テネーブル家とは家族ぐるみのお付き合いをしているそうで、私も一度フランソワから一家の皆さまを紹介されたわ」
「テネーブル公爵家の方々が親しくお付き合いされているということは、貴族といっても良識のある、まともな人々なのでしょうね。私もそれを聞いて安心しました」
「ダフネったら、相変わらずの辛口ですこと」
私のような育ち方をすると世の中や貴族社会に対して斜に構えた考え方をするようになるのも無理はないと思うのです。
***ひとこと***
お馴染みの貝殻型焼き菓子マドレーヌ、美味しいですよね……ってそこではなく! えっ、あのマドレーヌちゃんの正体ってもしかして……という疑惑の回でした。
門出 スイートピー
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