第六章~愛はさだめ、さだめは死~⑥

 うつむきがちだった亜莉寿が顔を上げると、


「吉野先生の配慮の影響で、ティプトリー・ジュニアのことが、気になって、気になって、仕方なくなって、もっと、この作家のことを知りたくなって……おかげで、梅田までティプトリーの特集を組んでる雑誌のバックナンバーを探しに行くことになってしまったわ」


秀明は我ながらバカなことをしているという表情で、苦笑している。

 そんな彼の顔を見た亜莉寿は、


「そんな事までしてたの……?」


と言いながら、クスクスと笑い出した。


「まあ、勉強熱心なことは、悪いことじゃないと思うけど……」


 笑顔が戻った亜莉寿に、秀明は答える。


「優秀な先生に、《やる気スイッチ》を押してもらったからね! おかげ様で、『接続された女』のテーマに隠されたアリス・シェルドンと母親の複雑な母子関係や、ティプトリー・インタビューで、より彼女の経歴や内面を深く知ることが出来て良かったですよ」


 少しあきれた様子で亜莉寿は言う。


「有間クンって、アレだよね。オタク気質って言うの? ちょっと変わってるよね」


「やっぱ、そうかな? 『なに、そんなに必死になってるの?』って、引いてない?」


 秀明が、やや心配そうな顔でたずねると、


「う~ん。ちょっと、いや、かなり引いてるかな?」


いたずらっぽく笑いながら亜莉寿が答え、


「はぁ、マジか~」


と、あからさまにショボンとした表情になる秀明。

 その表情を見て、快活さを取り戻した亜莉寿が、「アハハ」と笑い、


「冗談だって……有間クンの表情がコロコロと変わって面白いから、ちょっといじめたくなっただけ」


と言うと、


「勉強熱心な生徒をいじめるなんて、酷い先生やわ」


と秀明。


「でも、そんなに熱心に読んでくれたと思うと嬉しいな」


亜莉寿は答える。

すると、秀明は、


「自分が話したから、吉野先生の『たった一つの冴えたやり方』に対する見解も聞かせてもらいたいんやけど」


とリクエストする。


「えっ!? 私の?」


 不意をつかれた様に驚く亜莉寿に、


「うん! この物語をオススメしてくれたのは、何か理由があるのかな、って思ったから」


と、秀明がうながす。


「そうね……」


と、つぶやいた亜莉寿は、自身の見解を語り始める。


「『たった一つの冴えたやり方』って、ティプトリー、アリス・シェルドンの人生そのものが描かれている、っていうのは、有間クンと同じ見解かな? 一人で宇宙に飛び出すのは、少女期の彼女の体験を通していることが想像できるし、コーティとシルベーンの出会いは、自分を理解してくれるパートナーを得た中年期の彼女の心境かな?そして、最期の決断も……」


 ポツポツと語る亜莉寿に、秀明は「うん」とだけ、相づちを打つ。

 亜莉寿が続けて


「人生の最後に、ああいう手段をとった彼女を肯定できるかと言われると、即答はできないけれど……でも、ティプトリーは――――――彼女は――――――自分の人生や最期の決断を、自分自身で肯定したくて、誰かに理解してもらいたくて、『たった一つの冴えたやり方』を書いたんじゃないかなって、そんな気がするの」


そう語ると、秀明も同意する。


「そうやね。そんな気がするわ」


 すると、亜莉寿は、さらに続けて


「正直、ティプトリーの作品は、読んでもらうのが、ちょっと怖かったんだ……」


と、打ち明けた。


「ん? なんで?」


 秀明が、疑問に思ったことをそのまま口にする。


「だって、ティプトリーの作品は、SFを読み慣れてなかったら、難解な内容のモノも多いから……有間クンに『良くわからなかった』とか、『つまらなかった』とか言われてたら、悲しくなってたと思う。あと、一週間も連絡が無かったし……」


 照れているのか、恥じらっているのか、普段はあまり見ない亜莉寿の表情に秀明が少し戸惑いながら、


「あ、それはホンマにゴメン。あまりに刺激を受けすぎて、ちょっと頭と感情の整理をしたかったから……」


と釈明すると、彼女は明るい表情で応える。


「ううん、有間クンの感想を聞けて良かったよ! ありがとう」


「いや、感謝される様なことは……こちらこそ、素晴らしい読書体験の機会をいただき、ありがとうございました」


 秀明が頭を下げると、亜莉寿は、照れくささと嬉しさが混じった様な表情で笑う。

 そして、彼が続けて、


「そう言えば、他にも気になってることがあって……アリス・シェルドンの三十歳以降の経歴は、かなり詳細にわかって来たけど、両親と海外で過ごした幼少期の体験も面白そうなのに、母親が執筆した本は、まだ翻訳版が出ていないみたいやから、これ以上知ることができなくて……」


と、申し出ると、彼女は、「そうなんだ……」とつぶやいた。


「あと、これはプライベートなことやから、聞くのは失礼なことかも知れないけどさ……吉野さんの寿って言う名前は……」


 そこまで言葉を発した秀明をさえぎって、亜莉寿が言う。


「ねぇ、有間クン。ティプトリーの幼少期アリス・ブラッドリーのことが書かれている『ジャングルの国のアリス』を読んでみたくない?」


「えっ!? それは、もちろん読んでみたいけど……さっきも言ったけど、その本って翻訳されてないよね?」


 秀明が疑問をぶつけると、「フフッ」と亜莉寿は微笑む。


「もし、今から時間があるなら、ウチに来てくれないかな?」


「今から吉野さんの家に!?」


秀明が声をあげると、亜莉寿は質問を続ける。


「今日は時間が無いかな?」


「いや、そういう訳じゃないんやけど……」


「じゃあ、女子の家に行くことに抵抗がある?」


「え、いや……それは何というか……」


 亜莉寿が予想した以上に、秀明は、戸惑いと逡巡する様子を見せる。

 その姿に、亜莉寿は、フッと息を吐き、


「もしかして、この炎天下で、それだけの量の本と雑誌を駅から自宅まで女の子に持って歩かせるつもり?」


 そこまで言われて、秀明は、あらためて自分の持ってきた荷物を確かめる。


「あっ、ゴメン! 確かに、そうやね」


「有間クンって、ホント初歩的な気づかいとか全然デキないよね?」


 その言葉に続いて、彼女が何かつぶやいた気がしたが、秀明には、よく聞き取れない。

 ともあれ、こうして二人は、喫茶店の最寄り駅である西宮北口の三駅先にある仁川駅から、徒歩十分の吉野亜莉寿の自宅に向かうことになった。

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