第六章~愛はさだめ、さだめは死~②

《課題図書》とされた四冊の文庫本を読み始める前に、ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアという作家の予備知識を得ておこうと、自宅に戻った秀明は、以前に古書店で購入していた早川文庫の『SFハンドブック』を開いた。

 一九九〇年版の読者アンケートでは、短編部門のオールタイムベストは、このようなランキングになっていた。


 第一位『たった一つの冴えたやり方』

 ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア


 第二位『冷たい方程式』

 トム・ゴドウィン


 第三位『接続された女』

 ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア


 第四位『愛はさだめ、さだめは死』

 ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア


 第五位『アルジャーノンに花束を』

 ダニエル・キース


 このランキングを見るだけで、秀明の期待は、大いに高まり、亜莉寿に借りた文庫本を開く。

 夏休みのため、日中は図書館へ、夜はクーラーの効いた自室で、《課題図書》を読みふける。


(ふーん、ティプトリーは覆面作家だったのね~)


(以前に借りた『たんぽぽ娘』の短編集と違って、難解な内容が多いな……)


(『愛はさだめ、さだめは死』のシルヴァーバーグさんの序文(笑))


(『接続された女』――――――。メッチャ面白い!)


(『男たちの知らない女』――――――。これは、ピンクレディーの『UFO』の歌詞みたいな内容やな)


(『たった一つの冴えたやり方』――――――。他の作品と違って読みやすいし、わかりやすい! なるほど、さすがはSF短編部門のオールタイムベストの第一位!)


(さて、短編集の方は読み終わったし、あとがきを読むか……)



 夏休み開始から一週間後――――――。


 亜莉寿に言われた通り、各編のあとがきを後回しにしつつ、夏休みの最初の五日間で文庫本四冊を読み終えた秀明は、しばし放心状態となっていた。

 SFファンの評価に違わぬ作品集であったが、それ以上に、文庫本のあとがきなどに記されていた作家の経歴は、小説以上にドラマに溢れている。


「いやいや、なんという波瀾万丈で衝撃的な人生なのか……」


 秀明は、頭の中を整理するために、断片的に知り得た、この作家についての情報を自分なりにまとめてみた。


 ・一九一五年


 アメリカ合衆国シカゴのシカゴ大学近郊にあるハイドパーク地区で生まれる。

父は法律家で探検家でもあるハーバード・ブラッドリー。母は小説や旅行記を書いていた作家のメアリー・ブラッドリー。

 幼い頃から両親とともに世界中を旅した。

 子供時代の多くをイギリス植民地下のアフリカやインドで過ごし、母親は我が子の目を通したという設定で、旅行記を残している。

 十歳にしてグラフィックアーティストを志し、十六歳の時には、個人名義で展覧会を開く。

 また、学生時代に結婚と離婚を経験している。


 ・一九四一年


 この年から翌年にかけて、シカゴ・サン紙で、美術評論記事を執筆。


 ・一九四二年


 アメリカ陸軍航空軍に入隊。国防総省にて、情報分析士官として写真解析部に勤務。


 ・一九四五年


 敗戦国ドイツの科学技術および科学者のアメリカ移送プロジェクトに参加。同プロジェクトに勤務していた同僚と再婚。


 ・一九四六年


 陸軍を退役し、夫婦で起業する。

 ザ・ニューヨーカー誌に、最初の小説『The Lucky Ones』が掲載される。

(この時の筆名は、ジェイムズ・ティプトリーではなかった)


 ・一九五二年


 夫婦そろってアメリカ中央情報局(CIA)に招聘され勤務。


 ・一九五五年


 中央情報局を退職。


 ・一九五七年~五九年


 アメリカン大学にて学士号を取得。


 ・一九六七年


 ジョージ・ワシントン大学にて、実験心理学の博士号を取得

 この頃、ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの筆名を使い、雑誌などに小説を投稿し始める。


 ・一九六八年


 同大学の講師を勤めるも、体調を崩して退職。

 投稿した短編小説が採用され、『セールスマンの誕生』をはじめ四編が雑誌掲載される。


 ・一九七三年


 第一短編集『故郷から一〇〇〇〇万光年』発売

『愛はさだめ、さだめは死』でネビュラ賞受賞


 ・一九七四年


『接続された女』でヒューゴー賞受賞

『男たちの知らない女』がネビュラ賞の候補に挙がるも「後進に譲る」という理由で選考を辞退。


 作家デビューから五年あまりで、アメリカSF界の権威ある賞を獲得した実績は、のちに《ティプトリー第一の衝撃》と伝えられる。


 この頃の同業者のティプトリー評を取り上げると――――――。


 ハーラン・エリスン(代表作:『世界の中心で愛をさけんだけもの』)

「今年一番の女性作家がケイト・ウィルヘルムなら、それを迎え撃つ男性作家はティプトリーである」


 シオドア・スタージョン(代表作:『人間以上』)

「ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアを例外とすれば、最近のSF作家でこれはと思うのは女性作家ばかりだ」


 ロバート・シルヴァーバーグ(代表作:『禁じられた惑星』 共著:『アンドリューNDR114』)

「ティプトリーが女性ではないかという説も耳にするが、この仮説はばかげていると思う。なぜなら、ティプトリーの書くものには、なにか逃れようもなく男性的なものがあるからだ。男にジェーン・オースティンの小説が書けるとは思えないし、女にアーネスト・ヘミングウェイの小説が書けるとは思えない。それと同じ意味で、ジェイムズ・ティプトリー作品の筆者は男性だと、わたしは信じている」


 ・一九七六年


『ヒューストン、ヒューストン聞こえるか?』で、ネビュラ賞とヒューゴー賞をダブル受賞

 この年、母親のメアリー・ブラッドリーが逝去。

(この頃、一部の親しいSF作家たちには、自身の正体を明かしていた様である)


・一九七七年


『ラセンウジバエ解決法』でネビュラ賞受賞。

(ラクーナ・シェルドン名義)


 ティプトリー自身による「シカゴ在住の作家である母が亡くなった」との近況報告から、ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの正体を探る人たちが、ついに、この覆面作家の正体を突き止める。

 作家の本名は、アリス・ブラッドリー・シェルドン。

 ヴァージニア州マクリーン在住の女性であった。

 当時の世相や社会運動とも絡んで正体を明かさざるを得なくなった様で、同時代の女性作家、アーシュラ・K・ル・グインが記述したところによると、


「アリス・ジェイムズ・ラクーナ・ティプトリー・シェルドン・ジュニアが、ヴァージニア州マクリーンの自宅の郵便受けから微笑を浮かべつつ、ためらいがちに姿を現した」(友枝康子訳)


 このSF界を揺るがした、覆面作家ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの素性が明らかになったことを指して、《ティプトリー第二の衝撃》と呼ぶ。


 ・一九八三年


 チャールズ・プラットによるインタビューで、自ら幼少期からの波瀾万丈の人生を語る。

(あまりに刺激あふれる内容から、《ティプトリー第二・五の衝撃》とも呼ばれる)


 ・一九八五年


『たった一つの冴えたやり方』で、ローカス賞と星雲賞海外短編部門賞を受賞


 ・一九八七年


 四十年以上に渡って連れ添い、老人性痴ほう症を患っていた夫ハンティントン・シェルドンをショットガンで射殺したあと、出血性潰瘍と鬱の症状に悩まされていた自らも頭を撃ち抜き自殺。

 日本語版の『たった一つの冴えたやり方』の翻訳作業が成されている最中のことで、本国アメリカのみならず、日本のSF関係者にも大きな衝撃与えた。

(この辺りのエピソードは、早川書房『たった一つの冴えたやり方』の訳者あとがきに詳細が記載されている)

 二人が発見されたときには、ベッドに夫婦ならんで手を繋いだ状態で横たわっていたという。

 言うまでもなく、これが《ティプトリー第三の衝撃》である。


 ・一九九一年


 作家ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの功績を称え、性別に関する社会的規範と性差、すなわち《ジェンダー》に対する深い理解を示す作品を表彰するジェイムズ・ティプトリー・ジュニア賞が創設された。

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