エアフルト会食(3)
ブルクゼーレ義勇軍の代表団との会食が正午に迫る朝。用意された新品の制服に袖を通したソロヴィヨフのもとに、パルスベルク侯爵の訃報が舞い込んだ。報せを運んできたトカチェンコ准尉いわく、小型の護身拳銃での自殺とのことであった。思い当たる節といえば一つしかない。ソロヴィヨフは足早に、再びあの無惨に変わり果てたスイートルームへと向かった。
「あら、中尉殿」
ドアのノックに応じたのは、素朴なそばかす顔が特徴のテクラ・クラカウ修道騎士であった。長身をやや屈めながらドアから顔を出し、突然の来客にも、人好きする朗らかな笑顔を向けた。
「ヘレネ伯に確認したいことがあるのだが、その……」
ソロヴィヨフがしどろもどろになった理由は、テクラの着衣にあった。薄手のキャミソールだけを身に纏っており、シミの一つもない純白の布地からは、彼女の引き締まった裸体が透けて見えた。半開きになったドアから垣間見える、室内にいる女騎士たちの着衣も似たり寄ったりである。どこから用立ててきたのか、アフタヌーンドレスの数々を試着しては互いに吟味し合い、ころころと笑うその様は、さながら女学校の寮の一室のようである。
「どうぞ、お入りになってください」
さして警戒することもなくチェーンロックを外し、彼女はソロヴィヨフを部屋へ招いた。
室内の少女たちもテクラと同じく丁寧に来室を歓迎する挨拶をするも、すぐさま元の歓談に戻っていった。あるはずのない目のやり場を懸命に探しながら、ソロヴィヨフはベッド横の姿見の前に立つブロンドの女性のもとへと歩み寄る。ボリュームのあるしなやかな金の長髪は、普段の癖一つないストレートの髪質から装いを変え、緩やかな巻き毛と柔らかなウェーブで装飾されたスタイルになっていた。
「なんだこれは、どういう集まりだ」
「なにって、会食なんだから血生臭い服のまんま出席もできんだろ」
淡いブルーのシュミーズドレスは、彼女の括れた腰と長い両脚を一層強調しているようであった。端正の取れた起伏のある長身は、妖艶さと健康さが織りなす女体美の完成系といっても過言ではないだろう。ネイビーのショールを二の腕に絡め、意気揚々にヘレネはこちらに振り向いた。
「あたしと違って、中尉殿は着られてる感半端ないな」
鏡面に集中して向かい合っていたのは、化粧乗りを気にしていたかららしかった。素顔であっても市井の女性とは比較にならない天成の麗質の持ち主であるヘレネだったが、今日に限っては薄手のチークとコンシーラで肌が彩られていた。
暖色系のメイクによって、生来の色白ゆえの鋭角的な怜悧さはなりを潜め、血色の良い健康な印象を見る者に与えていた。惜しむらくは、アイシャドーとリップにビリジアンをチョイスするヘレネのセンスそのものであろう。ブラシやパフを手にしたエリーゼの手助けも押しのけ、ヘレネは自らの白皙の麗姿に蛇足を次々描き加えていく。どうしてこの女はここまで自己評価が高いのだろうか。
「お前らはお呼びじゃないぞ。あちらさんは義勇軍の代表だ、そんなふざけた格好で出席するような場か。お嬢様学校のお茶会じゃないんだぞ」
「このあたしに、似つかわしくない場所があるとでも?」
軽快に飛んで跳ね、くるりと一回転するヘレネ。ふわりと巻き毛が舞い、ひらりとドレスが翻り、豊かな胸が重たげに揺れた。
「こおんなに可愛くて、こおんなに美しいのにか?」
もう少しまともなメイクができんのか、ソロヴィヨフはぼやいた。
「お前らは招待されてすらないだろう、行ったところで門前払いに遭うのがオチだぞ」
「ふん、このムッツリ童貞ドスケベ朴念仁が。ならあのハゲにでも話を通すまでだ」
やはり独自にマニロフ中佐とのコネクションを築き上げていることは間違いないらしい、無遠慮に中佐の名を挙げる彼女の口ぶりは、便利屋か小間使いかをこき使うかのようであった。あまりにも尊大な態度に、ソロヴィヨフは危うく本来の要件を頭から取り落としそうになった。
「パルスベルク侯爵のことなんだが、何か知っていることはないか」
「ああ。もう役に立ちそうもないからな。聞けそうなこと全部引き出して、そのままくたばってもらった。それよりネックレスはどれがいいと思う? どれも似合って当然だろうが、今日のオンリーワンが昨日のものと同じはずはないからな」
彼女にとっては、侯爵の死はアクセサリーのチョイスよりもはるかに扱いが軽いらしい。
「な、なんで殺した。いや、そもそもどうやって殺した」
「大隊内でいちばん侯爵に近しいのはあたしだ。それに、お前みたく表沙汰にはなっちゃいないが、あたしにもパルスベルク攻略の
人差し指を銃に見立て、発砲するマネをするヘレネ。声を潜めて、ソロヴィヨフは諫めるつもりでヘレネに囁いた。
「せめて事前に報告なり相談なりはしろ、話を一人で進めるな」
「中尉殿は、いつからあたしの上司になった? 感覚的にはお友達未満って感じなんだけど」
「地方の大貴族の一人だ、俺たちの一存でどうこうしていい人間でもないだろ。人質にすれば外交上のカードにもなりうる、なのにお前は」
「大貴族、ねぇ。落ち目の皇帝派が、今更いったい何の役に立つのやら」
国家元首であるザイリンゼル三世の対外保守的な意向に賛同の意を示す皇帝派の貴族は、ヘレネいわく領内で勃発する暴動やクーデターの対処に封殺されているようだった。これらの鎮圧を強いられる彼らには、おそらく余力らしい余力は残っていない。戦力の不足からなる分散、それに伴う縦深防御の脆弱化は、モスクワ軍の電撃的侵攻の一助にもなったわけだ。
現状でモスクワの脅威足りうるのは、皇帝とそれに連なる者たちとは思想を違える、旧宰相クリゾルト派の貴族である。領地運営を比較的穏健に推移させてきた彼らは皇帝派のような致命的な損耗には見舞われていないだろう。彼らは西部の僻地で、不気味な沈黙を保っていた。
「本当に欲しいのはクリゾルト派の情報だったが、あのオッサンそんなに役に立たなかったな。アタシも国のためモスクワのため、頑張って尋問したつもりなんだが、うまくいかなかった」
ブルーダイヤが輝くネックレスを身に着け、いよいよヘレネは余所行きの支度を終えた。
「モスクワと帝国を繋ぐパイプ役ってのは、あたしだけでいいんだよ。そのほうが何かと安心だろ? 中尉殿もさあ」
ホテル内のレストランで、ブルクゼーレ義勇軍代表団との会食は始まった。マニロフ中佐とソロヴィヨフ、そのほか数人の中隊指揮官が出席し、代表団の面々を迎えた。
モスクワとブルクゼーレ間の関係は、それほど良好なものではない。ブルクゼーレではガリア語が公用語のひとつであり、文化も人種もガリアと端を同じとする親ガリア国家である。国防イデオロギー的にも、西欧社会の一国としてモスクワの勢力拡大と進出を食い止めたいはずだが、帝国の旧態依然とした封建体制に嫌気がさしてきたというのもまた真実らしい。クリゾルト時代の反ガリア政策も、帝国への反感につながっているのだろう。ましてや今回訪れるのは、愛国心に満ちているであろう義勇軍である。愛想をよくしておいて損はないだろう、マニロフとソロヴィヨフは、そう考えていた。
ホワイトアスパラのババロア仕立てを口取りに始まり、豚肉料理を中心としたオードブルが参加者の卓へと配膳されていく。食前酒で口を濡らすと、ソロヴィヨフは玉葱とジャガイモのマリネを口に運んだ。うまい。自家製らしいシーザー・ドレッシングの酸味は玉葱の風味とぶつかり合うこともなく、なめらかに茹で上げられたマッシュポテトは、濃厚にとろけるような舌ざわりを提供してくれる。やや癖はあるものの、輪切りのブラッドヴルストとブルーチーズも、酒の肴に最適な味付けがされていた。二ヶ月前までのわびしい糧食暮らしを思い出すと、涙が出るほどにうまい品々である。これで横に座る場違い極まりない参加者がいなければ、胃を縮こませることもなく舌鼓を打てるのだが。
「そのパン、食わんのか。チーズは? いらないものあるならよこせよ」
右横の卓につくヘレネはそう言って、背筋をまっすぐ正したまま、横からフォークでハムとチーズをかっさらっていった。メインディッシュすら来ていないにもかかわらず、ひたすらにパンを食らい、
来賓の手前、声を荒げておまえふざけんなとも言い返せない。マニロフ中佐の危険物を見るかのような視線を浴びながら、ソロヴィヨフは目の前の来賓に愛想笑いを振りまいた。
しかし、この来賓にもまたおかしなくせ者が混じっているように思えて仕方なかった。
ソロヴィヨフの目の前に座るのは女性、それも少女と称して差し支えない。特に気になるのは、その服装である。先ほどヘレネの場違いな言動に眉をひそめたソロヴィヨフだったが、眼前の少女も十分におかしな恰好をしていた。軍人同士の会食であるのに少女が混じっているのがそもそもおかしいというのもあるが、彼女の着ている大小のフリルとリボンがたっぷりあしらわれたロリィタワンピースは、軍装の集団においてひときわ目立っていた。ピンクの布地のヘッドドレスが覆うウェーブがかった髪は、鮮やかな赤毛のツインテールである。短髪の男たちが居並ぶ中で、これもまた目立って目立って仕方ない。
義勇軍の士官たちはいずれもソロヴィヨフと同年代か、それよりも年若い。その中にはフリュギア人と思しき、青い肌と金の瞳を持った女性もいる。軍服が違うので、おそらくは他国からのオブザーバーあたりだろうか。それにしても、やはり目の前の少女ほど目を引く者は他にいなかった。
自己紹介を済ませた周囲の士官たちは、対面に座る者との食事と会話を楽しんでいた。例外はソロヴィヨフと、その右斜め前でソロヴィヨフと同じような愛想笑いを浮かべる、ヘレネと対面してしまった若い士官だけであった。
「美味しいですね、中尉」
「あ、は、はあ」
少女の言う通り、美味い。口取りも前菜も文句なくうまい。うまいということはわかるのだが、それがどのような味なのかはわからない。鼻の穴から味らしい味が抜けていってしまっているような錯覚すら覚える。ヘレネなどは食べる速度を依然として落とさないまま、正面に対しては「文句あんのかイモ野郎」、その左隣に向けては「なんだその恰好ラリってんのか」といった視線を投げかけつつ、意識の大半を食事にのみ傾けているようだった。
「パルスベルク陥落の英雄にとっては、このような付き合いは退屈ではなくて?」
「いえ、とんでもありません。これも任務の一環に違いありませんから」
「真面目な方でいらっしゃるのね」
距離感こそ図りかねているところはあるが、やはりこうして器量の良い女性に面と向かって功績を讃えられるのは、悪い気分ではなかった。かといって顔の出来以外は最悪なヘレネなんぞに今更どんなリップサービスを重ねられたところで、心が動くことなどないわけだが。
「それで、ええと……失礼ですが、お名前を伺っても?」
義勇軍の代表団、その関係者であることは間違いない。だが、この少女が果たしてどんなポストに就いている人間なのか、皆目見当がつかないのである。絢爛なロココ調ファッションに身を包んだ儚げな美少女が、陸戦部隊で役割を担うことなどあるのだろうか。もしかすると、指揮官に宛がわれた情婦か何かか。思考が下世話な方向に向き始めたころ、少女はくすりと笑って身の上を名乗った。
「この義勇軍の、そうですね。相談役といったところでしょうか。みな、とても良くしてくれています」
「相談役……」
「フォン・ベルギエンが一子。ラウラ、とお呼びください」
少女の口にした家名に聞き覚えがなく、ソロヴィヨフは己の不勉強を恥じた。武家に産まれた子女あたりか。よほど指揮や用兵に関する、天賦の才でも備わっているのだろうか。まともな予想一つ立てられなかったが、彼女からのこうした返答は、想定外というほかなかった。
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