19.5話【小説】ずぶ濡れの理由
散弾のような雨がバス停の屋根をしきりに叩いていた。その轟音の屋根の下、制服の少年が一人、バスを待っている。彼の視線は、向かい側のバス停にいる同じ学校の制服の少女に向けられていた。
「あの人、何やってるんだ?」
彼がそう口にするのも無理はないだろう。少女は屋根で覆われていない場所に傘もささずに突っ立っているのだ。そのくせ服か何かを入れているような巾着袋を頭の上に掲げている。まるで雨に濡れたくないかのように。彼女の目にバス停の屋根は映っていないのかもしれない。少年は不思議な顔をしながら、少女から目を逸らす。彼の顔が少し赤い。
「なんで屋根の下に立たないんだ? ぬ、濡れたいのか?」
少年はストレッチするかのように何度も首を傾げる。
雨足が一層強くなる。お祭り騒ぎになってきた屋根の轟音は、すっかり彼の世界からフェードアウトしていた。
「久しぶりに面白いミステリーに出くわしちまったぜ……」
濡れて黒くなったアスファルトを見つめながら、少年は口元をニヤリとさせる。
ゴーッとバスの音が近づいてくる。豪快な水しぶきをあげながらやってきたバスは、少年の目の前に止まった。向かい側の少女が見えなくなる。
顎に手をあてながらバスに乗ろうとする少年の耳に、微かに少女の声が届いた。一瞬立ち止まった彼だったが、すぐにバスの中へと消えていった。
走り去ったバスを、少女は見ていた。
「気付かない、か」
俯いて自嘲気味に少女は笑う。
「何やってんだろ、私」
「……って感じのことが今朝あったんだ。学年一の切れ者、宮下! この謎、解決してほしい!」
私の机にこれでもかと身を乗り出して興奮気味に話す体操服の少年、大木。両手を合わせて頼むよ、と連呼する様は一種の儀式みたいに見える。いつもはモンスターとか百獣の王とか言って煽ってくるくせに、こういう時だけ調子がいい。
彼は三度の飯よりミステリーが好きらしい。私にとっては運動部でもないのに髪を丸坊主にしている彼自体がミステリーに思える。
――そんな変わったところがいいのだけれど。
「この前みたいにパパッと解決してくれ!」
ちなみに大木が『この前みたいに~』と言ったのは、二週間ぐらい前に私がちょっとした不思議な出来事の真相を解き明かしたからだ。それ以来、大木の私のイメージ一覧に頭が切れるという項目が加わったと思われる。だから真っ先に私に相談したのだろう。
「内容は分かったけどさ、情報量少なすぎ。女の子の特徴すら分からなかったの?」
「いやぁ~すぐにバスが来たからさ。あんまり見れなくて」
ふーん……バスが来たから見れなかった、か。
「はいはい! それ、私的には絶対ユーレイだと思うんだよね!」
そう言って自慢のロングヘアを揺らし、挨拶代わりに割り込んできたのは私の親友、三木ほのかだ。そもそも話を聞いてたのか。
ほのかは私たちに少女ユーレイ説を熱く語り始める。仁王立ちでこれでもかと豊満な胸を張りながら。
……憂鬱だ。ほのかの背後の黒板の『スポーツ大会一組ファイト』の文字と合わさって、さらに憂鬱だ。
「み、三木、それだと面白くねーよ。却下却下!」
机に視線を落としながらそう言った大木の頬が紅い。面白くないってなんだ。本当に幽霊の可能性だって否定できないのに。
「じゃあ~ゾンビだったとか?」
いや、大して変わってないから。
「てか、宮下ちゃん!」
はい、宮下ですが何用でしょうか。
「もう体操服に着替えてるんだね! スポーツ大会、てっきりやる気ないのかと思ってた~」
ズバッと私の体操服を指さして、ほのかは不思議そうに見つめてくる。
「どうせ一日体操服じゃん。それに今日はいつもより一本早いバスで来て、時間があったから着替えただけ」
「それに、椅子に掛けてるの春服の上着じゃん!」
「ちょっと今日寒くて。それに雨だから風邪引きそうだし」
そう、今日はわざわざ押入れから上着を引っ張り出してきたのだ。
「宮下、やる気なのか! 一組が誇る百獣の王、今回も暴れまくってくれ!」
「うっさい! 誰が百獣の王よ!」
「ひっ……ごめんなさい」
スポーツ大会というイベントが憂鬱なのは、運動が苦手だからではない。むしろ逆だ。私は運動神経が良すぎる。自慢したくもないが、筋肉質で体格も良いので男子とスポーツで競い合っても負けた試しがない。それぐらい圧倒的なパワーを去年のスポーツ大会でまざまざと見せつけてしまった私は、それ以来女の子扱いされることがなくなった。
私の一番のコンプレックスである。
「でもなんで宮下ちゃん、早いバスで来たの?」
珍しくほのかが真剣な目を向けてくる。
「たまたま目が覚めただけ。それに、今年は本気とか出さないから」
え~、と言いながら浮かない顔をしているのは早く来たことに対してだろうか、それとも本気を出さないことに対してだろうか。
ふと周りを見渡すと、教室の人口密度が高くなっていた。体操服を持って更衣室に行こうとするクラスメイトが増えてきたが、すでに体操服なのはまだ私と大木だけだ。
「俺は体育委員だから下準備の関係で二本早いバスで来たぜ~。……まあ、その話は置いといてさ」
大木が逸れた話を元に戻す。
「真面目に考えてくれよ~。俺この謎が解けないとバスケの試合に影響出ちまうぜ」
……バスケをする大木は見たい。少し真面目に考えてみるか。
「私分かった!」と右手を突き出すほのか。
「泣いてたとか! 涙を隠すために雨に打たれるってよく言うし」
「三木! それだ!」
口をアの字に開けてほのかを指さす大木。まぬけな顔が面白い。
「冗談だよ、大木クン」
「え」
「あのさ大木、それだと何のために巾着袋持ってたのか分かんない」
「あ、言われてみればそうだな……」
大木はミステリー好きにも関わらず考察力は全くだ。数多くの推理小説を読んできたけど、犯人を当てたこともトリックを見破ったこともないと、この前友達に自慢げに語っているのを聞いた。本当にどうしようもないヤツ。そんなギャップが良いと感じる私も大概だけど。
「じゃあ、巾着袋で防げる雨だったとか?」
「チッチッチッ」と指をふる大木。
「三木、それはないぜ。バケツをひっくり返したような大雨だったからな」
大木は得意げだが、ただ事実を述べただけである。
「だよね~。昨日の夜からずっとすごい大雨だもんね」
ほのかは目を閉じ唸りながら今度は私に尋ねてくる。
「確か宮下ちゃん、大木クンと同じマンモス公園前のバス停だったよね?」
その通り。嬉しいことに大木とは同じバス停なのだが、如何せんこいつは私のことをモンスターやら百獣の王やらと認識しているので朝出くわすと必ず、
「今日こそ倒す!」
とか言って戦闘態勢のポーズを取ってくる。ムカつくので思わず蹴飛ばす。これが毎回のように繰り返されるのだが、後々周りからの視線が痛かったりする。
こんな風に大木は私を微塵も女扱いなんてしてくれない。でも明るくて、話すと楽しくて、そんな大木が好きで嫌いだ。
「あの、宮下ちゃん?」
「んあ、ああ! 同じだけど、どうした?」
「今日変だよ、宮下ちゃん。まあそれはいいとして、宮下ちゃんがバスを待ってる間は変わった人とか見かけなかったの?」
「あー見てないな。スーツのおじさんと二人でバス待ってた」
「そっか~。ん~そもそもなんで反対側に立ってたのかな?」
また真面目な顔してほのかが考えている。普段はアホな子だが、やる気を出したほのかは私以上に頭が切れるし妙に鋭い。
私も早急に大木を納得させる答えを出さなければ。頭の中の引き出しを漁りはじめる。
「筋肉モンスターは何か閃いた?」
「考えるのやめるよ?」
「やめてください名探偵宮下様」
――一つだけ答えの用意は出来てるんだけど。
「まあ分かったよ、この謎」
まじか、と声が大きくなる大木に比べて至って冷静な顔つきのほのか。二人同じように私に目を向けるが、その裏にある意思は違うように思う。
「まず状況整理ね。バス停に雨宿りもしないで少女は濡れていた。傘もささずにね。そのくせ巾着袋で雨から濡れるのを防いでるように見えた」
頷き、ごくんと唾を飲む大木。さぞかし私の答えを心待ちにしているのだろう。
普段からそんな風に私を見てくれればいいのに。
溢れ出しそうになる想いと罪悪感は、後ろ髪をくしゃっと掴んで誤魔化した。
「真相は簡単。巾着袋の中に体操服が入ってたのよ」
大木の目は見ずに続ける。
「今日のスポーツ大会さ、私のように出たくない人もいるわけ。休んだら親がうるさいかもしれない。でも出たくない」
「体操服を濡らしてサボろうと思ったってことか」
「そう。きっとその子はわざと全身濡れたんだろうね。傘が壊れて……とか理由つけた時に、制服も濡れてなきゃ怪しまれるだろうし。それにスポーツ大会は全校行事。誰かに借りるのも難しいし、うまくいけばサボれるってわけ」
流石だぜ宮下、と嬉しそうな大木の顔はやっぱり見れない。
「意図的に早く来たのは誰にも見られないように、かな。誤算だっただろうね、大木が来たのは」
でも、とほのかが言ったような気がした。私は間髪入れず、
「これで満足? 大木」
と微笑みかける。
大木は右手で大きなピースサインを作ってくれた。よかった、これで解決だ。
でも、ほのかは納得していないみたいだった。天井を見上げて何か考え事をしている様子だ。それから急にこちらをじっと見つめてくる。
その視線はどうやら私の椅子に掛けてある上着に注がれているようだった。
「あ、そうだ」
ポンと手を打つほのか。
「ど、どうしたの? ほのか」
「私、着替えてくる」
そう言って鞄を背負いなおすと「バスケ頑張ろうね!」と手を振りながら、疾風のごとく教室を飛び出していった。
大木は目を白黒させている。
私は多分、動揺していた。
体育館から離れた旧校舎の階段に響くのは雨音だけだった。スポーツ大会だというのに歓声の一つもここには届かない。そんな隔たれた世界にいるのは私とほのかだけだ。先ほど試合終了の合図がここで鳴った。ただし、バスケの試合でもバレーの試合でもない。私の試合だ。
簡単に言うと、あのバス停の不思議少女が私だということを、ほのかに言い当てられてしまったのである。
「ほのかって昔から妙に鋭い時があるよね」
ほのかは「そうでもないよ~」と右手と首を同時に振る。
「ただおかしいなって思ってさ! 同じ学校の人なら同じ方面のバス停にいるはずなのに、向かい側にいたっていう違和感を宮下ちゃんなら考慮すると思って。それなのに一切触れようとしないからさ」
そんなところまで考えてたのか、こやつは。
「宮下ちゃんが雨に濡れてた不思議少女ってことは分かったけど、意図が全くわかんないや~。向かい側にいた理由も」
馬鹿みたいな理由だから告白するのは抵抗があったが、このゆるふわ名探偵の功績に銘じて正直に話してやろう。
私は大木に女であることを主張したかった。
でも私には内面的な女らしさも外見的な女らしさも欠けていた。それを無理やり見せようとする方法で思いついたのが梅雨の風物詩「濡れ透け」ってやつだった。さすがに大木でもこれは意識してしまうんじゃないかと思って。今日は実行するのに絶好の天気と行事だった。一日体操服でいるのだから制服が濡れようが下着の替えさえ持ってくればよかったのだ。それに、大木は体育委員で早い時間に行くから他の人に見られる心配もない。
ここまでを話すとほのかは、見かけによらず大胆だねと笑った後、
「まさか濡れ透けを見せつけることを狙っただなんて。だから向かい側に立ってたんだね。誰にも分かんないよ、そんなの。……じゃあさ、なんで巾着袋を?」
と聞いてきた。どこまでも真相にこだわるんだなあ、ほのかは。
「それは単純。大木がミステリー好きだから」
「あ~興味を引くためか~」
それにしても誤算だった。興味を引かせるまでは良かったものの、まさか透けた下着が目に入った瞬間に下を向くなんて! そんなにウブだとはさすがに予想もつかなかった。結局大木は少女の正体が私だと気づくこともなかった。
「でもよく私だって分かったね」
実は急に教室を飛び出していったほのかは私のロッカーが目当てだったらしい。私のロッカーを開けると当然びしょびしょの下着やらがあったので、ここで私があの少女だということを確信したそうだ。さすがにこんな雨でも傘があれば下着は濡れない。このことをつい先ほど指摘された私は、もう自分じゃないという言い訳のしようがなかった。というわけで、試合終了となってしまったのだ。
「怪しさ全開だったもん。一本早いバスで来たこととか、上着着てたこととか」
上着はもちろん濡れた下着を隠すためのものだ。家にずぶ濡れで帰るわけにもいけないのでスカートの水はできるだけ絞って次のバスに乗った。幸いなことに人は少なかった。
「でも私的には大木クン、宮下ちゃんのこと好きだと思うよ? ただ自覚がないだけで」
「その好きは私の求めてる好きじゃないし」
どうせ友達感覚だよ、と愚痴るように言う私。
「信じてよ! 私、名探偵だよ!」
「たった一つ謎解いたくらいで名探偵なわけあるもんか」
「む、宮下ちゃんだって一つじゃん!」
「た、確かに」
なんだかおかしくなって笑い合う私とほのか。いつの間にか雨の音が消えている。
花柄の腕時計を見てほのかが急に立ち上がる。
「そういえば宮下ちゃん! 大木クンね、この前、頑張る人が好きって言ってた!」
「嘘つけ。ちゃんと試合は出るよ」
「ふふ、嘘じゃないのに~」
さて、今年もかましてやりますか。
大木のやつ、応援してくれなかったらボールをぶち当ててやる。
旧校舎を飛び出した私たちの頭上の空には虹がうっすらと顔を覗かせていた。
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