【幼馴染の心境】

 ◇(藤堂瑠依とうどうるい 視点)◇


 本当にびっくりだ。

 距離が縮まらないかな、と思って寝たフリをしたら、予想外すぎる展開だった。


 律儀に頭を下げる氏優しゆうくんの前で、触れられた頬が熱くなっているのを感じる。

 あの氏優くんが、触れた頬だ。自分からは極力触ろうとしない、あの。


「いや大丈夫、大丈夫だから!」


 我に返り、私は頭を下げたままになっている氏優くんを諭して顔を上げさせる。

 別に、悪いことじゃないから。寧ろ、私にとっては都合のいいことなのだから。


「っ……」


 恐る恐ると見せてくれた氏優くんの顔を見て、私は言葉を失った。

 なにか、トラウマにでも囚われ、それを恐れている……そんな、表情だ。


「私を起こしてくれたんでしょ?ありがとう」


 絶句したのを悟られぬようすぐに微笑みながら、私はふと思う。

 私と会っていなかったこの11年半の間、氏優の身に何が起こったのか。


 ……気が付かないわけが無い。

 最近するようになったこの表情も含めて、なにか裏がありそうな氏優くんの反応を、これまで何度も見てきた。


 自分が他人に触れたり関わったりのは烏滸がましいと言いたげな言動。この顔も、その一つ。

 そして、睡眠時の異常な程の嗚咽や呻き声。

 毎朝のベッドや、この間冬休みの課題についていた、涙の痕跡。


 ……ずっと訊かなかった、いや、今でも訊くことができないんだけど、それでも心配で心配で私は仕方がなかった。

 ''好意を抱いている少年''なのだから、いつか相談に乗って、それを解消させてあげたい。


 そんなことを考えながら、同時に私はこの二人暮しを満喫していた。



 □



 物心がついて少しした頃なのに、当時の幼馴染である男の子のことは今でも鮮明に思い出すことが出来る。


 葛葉くずは氏優。小さな子供ながらにとてもやんちゃで、優しくて、そして''カッコイイ子''だった。


 『カッコイイ』……その言葉を一番感じたのは、私の両親共々仕事が忙しくて一人で留守番するときかな。

 よく、であって毎日遊ぶ訳では無い昔の私たちだったけど、その時は氏優くんが必ず自分の家に私を招いてくれていた。


 当時重度の寂しがり屋だった私を楽しませようとしてくれて、ずっと隣に居てくれた。

 私のために必死になってくれたその姿は、もう本当に、私の心の中の宝物だ。


 それなのに、幼稚園に入る手前、両親の都合で私と氏優くんは離れ離れになってしまった。


 当時の私は、氏優くんと別れるのが寂しくて寂しくて号泣したのを覚えている。

 だけど、子供の力ではどうにもなる訳がなく、号泣しながら車に乗せられ、それ以降今まで氏優くんと会うことが無かった。


 その寂しさは、普通ならば物心ついて少しの頃だから、時間が経つにつれ段々と薄れていくのかもしれない。

 だけど私の中で、氏優くんは薄れなかった。寧ろ、深まるばかりだった。


 普通に笑顔で過ごしていても、氏優による寂しさは忘れられなくて。

 思春期に入る中学生の時、いつの間にかその気持ちの本質が、変わってしまっていた。


 恋。


 ……自分でも、異常だと思う。

 北海道に住んでる私の初恋が、本州に住んでいる何年も会っていない幼馴染の男の子だなんて。したとしても、無謀にも程がある。


 ……だけど、それが私の心を染め上げると、もう止まることはできなかった。

 初恋……その恐ろしさは計り知れるものではない。より一層、私の心を蝕んでいった。


 その叶わぬ恋に苦しみ続けていた、とある高校一年生の真冬の事。


『両親を亡くしたあの氏優くんを、うちで引き取ろうと思う』


 お父さんからそんなことを言われて、私は文字通り空いた口が塞がらなかった。

 言ってる通り、あの氏優くんだ。あの氏優くんをうちで引き取る、とお父さんは間違いなく言っている。


 ……氏優くんが両親を亡くしたというのにこれは、今更ながら罪悪感が湧く。

 だけどそれを聞いて、悲しさに溢れる私の心は、分かりやすく晴れやかになった。


 自分でも、自分勝手で分かりやすい女だ、と思う。氏優くんの両親のこと、悲しむべきなのに。

 だけど、それほど私の初恋は恐ろしかった。もはや自分でも、それを止められなかった。


 そして、もう心が好き放題に暴れ回っている私は、とんでもないことを思いついた。


 ……そう。それが今の、[二人暮し]。

 思いつくきっかけなんて本来はないけど、私は氏優くんの家を思い浮かべたとともに思いついてしまった。


 地元の家で、昔も今も、仲睦まじい幼馴染夫婦が幸せに暮らす……離れ離れの時期はあったけど、とてもロマンチックで実現可能だ。

 ……今更ながらに思うけど、自分の頭はどうなっているんだろう、と思う。


 それを思いついた私は、お父さんに勢いよく説得を始めた。


 傷心の氏優くんに対し、北海道という違いすぎる環境で過ごすのは良くない、と。

 氏優くんの両親の遺産があるし、氏優の家を買おう、と。

 でもお父さんたちは仕事があるから、家事全般はできるようになった私と一緒に暮らす、と。


 私の説得を聞いたお父さんは、さすがのとんでもなさに首を振った。

 驚くべきことにお金は余裕だから問題は無いけど、高校生で二人暮しは不味すぎる、とのこと。……全くの正論だ。


 ……さすがに、無理かな。


 諦めかけたところで、お父さんがふと私の顔を見て考え始める。


『瑠依、もしかして……』


 急にそんなことを呟いて、どうしたのかと思って首を傾げると、お父さんは頷いた。


『……やっぱり、許可するよ。よく考えれば、可愛い娘の初めてのお願いだからね』


 私は目を見開き、耳を疑う。諦めようかと思えば、まさかの承諾だった。


 たしかに、私はこれまで両親に何かをおねだりした覚えはない。一度も、だ。

 理由はというと、誕生日プレゼントとクリスマスプレゼントで十分喜んでいたからだと思う。


 それが功を奏したのか、これだ。

 あまりの嬉しさに飛び跳ねかけた私に、お父さんは『でも』と続けた。


『条件がある』


 その条件は、以下の事だった。


 一定の仕送りをバイトせずにやりくりして、安定した生活を送ること。

 私と氏優くんの成績を安定させること。


 一番重要。高校卒業時点で、私と氏優くんが恋仲になっておくこと。


 ……ちょっと、待って。


『お父さんっ……!?』


 最後の条件に、私は顔を赤くなった鉄のようにものすごく熱くさせた。

 しかしお父さんは『守れるかい?』とニヒルに笑うだけだ。


 私は歯ぎしりをして、呻きながら『わかった……』と返すことしか出来なかった。


 それからの私の行動は早かった。


 氏優くんの通う高校の転入試験を、受付期間本当のギリギリで合格。

 荷物を纏めて氏優くんの家へ運び、クイーンサイズのベッドを購入した。


 ……今思うと、我ながらすごい現状だね。

 まあ、お父さんのおかげで私は今幸せを噛み締めている。これを無駄にしたくはない。


 ただ一つ問題なのが、アプローチしても氏優くんの反応が薄いのだ。

 というか、たまに予想外の行動に出て逆に照れさせられる事がある……


 どうしようかな……氏優くんが私に好意を抱いてないのは、今のところ明らかだし……

 ……まあ、まだまだ時間はあるし、試行錯誤して行こう。



 □



 そして何も起きないまま、三日後。

 氏優の反応が薄いことに一つ抗議を物申したいところではあるのだけれど……


「どういう、こと……?」


 学校での氏優くんの立場に、私は頭から血の気を引かせてそう呟いた。





 次回:第一章 開幕

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