第167話最善の道
優と千夏は、潜伏先の古民家に帰ってきた。
しかし、妙な男に魚などを貰った後の帰り道も、やはり優が握っていた千夏の手は熱かった。
優はやはり心配から、帰って早々に千夏を囲炉裏のある広間にひいた布団に寝かしつける事にした。
そして千夏は優との約束通り、大人しく眠りについた。
千夏が眠ってからが、優が忙しかった。折角食材を貰ったのだから、千夏の為に美味しいご飯を作らねばと早速土間の釜戸に向かう。
しかし、釜戸でご飯を炊くのには小寿郎に数日前教わった通りまず火種を火打石で起こす事から始めなければならず、優にとってはくそ面倒くさい事この上無い。元いた世界の電気炊飯器のように、スイッチ押して放って置いて炊けるものではない。
「えっと……石、石、石」
優は、釜戸の回りを探した。
すると…
「カサ……カサカサ…」
閉めていた古びた扉の向こう、野外から音がした。
ここは令和の東京でなく戦国時代。
昼夜を問わず、野盗、甲冑姿の落ち武者による民家襲撃は当たり前。
優はハッとして、近くにあった長い護身用の木刀を手に取り、暫く扉から少し離れ外の気配を探った。だが、暫くしても反応がないので、優は思いきり引き戸を右にスライドさせ外を見た。
「なんだ……ウサギか…」
家のすぐ横の草むらにいた音の主に、すぐ優はホット息を吐いた。しかし安心は出来ない。 直ぐ様、一応木刀を握り締め偵察に周囲を歩く。
だがそうしている内、優は春陽の体の中に優の精神だけ入っていた時の事を思い出した。
春陽は木刀や真剣で、毎日のように剣の鍛錬を朝昼晩と勤しんでいた。
不意に優は思い立ち、庭の広い場所で木刀を再度握り直し、春陽のやっていた剣術の型を真似てやりだした。
剣術未経験の優にとって例え一時でも、自分の前世の春陽の体の中にいた事は幸いだったかも知れなかった。
本物の武士の春陽には敵わないまでも、優の体は春陽の剣術の動きを覚えていた。優は、キリっと顔を引き締め、優自体その名称すら全く知らないが、正眼、上段、八相、脇構え下段それぞれの構えから、流れるように剣の型を繰り出す。
しかし、それを遠くの木陰から定吉と佐助が見ていた。
「へぇ~っ…あのお姫様、なかなか勇ましいすよね…」
佐助が優を見ながらニヤニヤそしてデレながら定吉に言ったが、横にいた定吉は、優だけをじっと見詰めて全く聞いていないようだった。
佐助は、ヤレヤレと言った表情をしたが、それ以上何か言うのを止めた。
(春陽には到底及ばないが、剣捌きの筋はよく似てるな。でもやっぱり、あの山小屋で一緒だったのは春陽でなくアイツの方だったのか?なら……アイツは、春陽の影武者でもしてる双子の片割れなのか?でも、影武者にしては所作や喋り方なんかが全く違うから、影武者としては役に立たんしすぐバレるだろう)
定吉は、まだ優をじっと見ながら心の中で呟いた。
一方優の方は、まだ何度も型を繰り返していた。そしてこの分なら、自分はもしかして真剣を扱えるようになれるのではないかと薄っすら期待をいだいた。
(早く、真矢さんに剣術習いたい。そして……いつかあの剣の、紅慶の主にふさわしくなって……俺も、みんなを守れるようになりたい)
そう思い木刀を何度も振りながら優が思い出すのは、千夏、小寿郎、真矢、そして、生まれ代わりの観月、西宮、定吉、そして、朝霧だ。
そして、もう一つ思い出したのは、優が朝霧と二人で異世界の真矢が管理する神社にいた時の事だ。
優は、暖かい日差しの中神社のベンチに朝霧と並んで座り、満開の桜の大木を見上げていた。あの時は、優も朝霧も小袖でなくTシャツにジーンズ姿。
あの時朝霧は、これからどうしたらいいか分からないと言った優に向い静かにこう言って励ましてくれた。
「こう言う迷う事が多い時は、例え困難でも自分にとって最善の道を選び積み重ねてゆけば、前途は必ず開けます」
(朝霧さん……俺は、又東京に帰って普通の高校生に戻るかも知れない。でも今は、俺が刀を使えるようになる事が最善の道だと思うんだ……例え、困難でも……朝霧さん…)
優はそう心で呟くと、一見クールな朝霧がベンチで優に優しく微笑む姿を思い出し目元に滲んでくるものがあった。だから、急に木刀を振り回すのを止めてポツンと寂し気にその場に立ち、泣かないように顔を穏やかな真昼の空に向けた。
定吉と佐助はその様子も凝視していたが、特に定吉は、優のその寂し気な表情を食い入るように見ていた。
だがその内…
「あっ!ヤバっ!こんな事してる場合じゃなかった!ご飯、ご飯の用意!」
まさか……前世の定吉が見ているなど知らない優は、無理矢理ぱっと気分を入れ変えて釜戸のある方に走り出した。
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