第155話断言
朝霧と、男装の武者姿の美月姫と斉木家の武者数人一行の馬の旅は、晴天にも恵まれ順調だった。
ただ…
朝霧の精神と体を除いてだったが。
朝霧達が荒清村を出て旅の三日目の昼近く。
朝霧達一行は、とある峠の水茶屋に入り休息を取った。
かやぶき屋根の屋内はすでに客で満員だった。
そして、美月姫が遠江国の姫君で、朝霧がその将来の婿である事は隠密で旅をしていたので、朝霧も美月姫も斉木家の武者達も市井の人々に混じった。
普通に、屋外に数台出ていた竹の長椅子である縁台の上に鞘に入った刀身を置いて座った。
この茶屋は、染飯(そめいい)と言う、くちなしの実で米を黄色に染めた握り飯が名物だった。
朝霧は、旅を始めてからずっと美月姫達に冷静を装っていたが…
朝霧の隣に座った美月姫は、そんな朝霧が春陽を想い、日に日に目に輝きが無くなり生気を失くしているのがよく分かっていた。
朝霧は、ふと、春風に吹かれながら快晴の青空を見た。
そして…
(ハル…今、お前はどうしてる?)
と、返事があろうはずない言葉を心の中から投げかけた。
随分荒清村から、春陽の側から来てしまった気がしたが…
それでも今なら、馬を飛ばせばすぐに春陽の元に行ける距離だとも思う。
そして…この旅の二夜…
必ず朝霧の夢に現れる、もう一人の自分…
もう一人の朝霧の事も思い出した。
最初に、もう一人の朝霧が夢に現れたのは、旅初日の夜だった。
朝霧は街道の宿場にて、美月姫達とは離れた座敷で一人床についた。
そして、自身の平服(着流し)の小袖の寝間着の胸元に、春陽から譲り受けた春陽の美しい黒髪の束を包んだ白紙を忍ばせていた。
時が経ってもなかなか春陽が気になって眠れなかったが、かなり深夜になって、やっとうつらうつらしだした時だった。
夢は、突然始まった。
現実で布団に入った時と同じ格好の朝霧の前に、小袖と袴を着た自分にそっくりな、もう一人の朝霧が現れた。
もう一人の朝霧は、朝霧と会った途端、目を眇めてこう言った。
「帰れ…」
「帰れ?何処にだ?俺にはもう帰る所などないし…第一お前は、お前は誰だ?!」
朝霧も同じような表情で、もう一人の朝霧を見た。
「俺は、もう一人のお前だ。そして、帰るんだ、荒清村に…荒清神社に…観月春陽の所に…」
「なっ…なにを…言う…帰らない!」
朝霧は、戸惑った。
しかし…
もう一人の朝霧は目を眇めたまま、朝霧に迫力の大声で一喝した。
「帰れ!今すぐにでも!」
「だから、帰らない!帰れない!ハルは、ハルは…俺を…俺と一緒に遠くに逃げて一緒に暮らそうと…生涯を共にしてくれと請うた俺を拒んだ!」
朝霧は、両手を両太ももの横で強く握り締め、逞しい体を震わせながら絶叫した。
そして普段、野狼を思わせる冷静沈着な武人らしい男であるはずの朝霧の両目から、夢の中でも涙が流れた。
もう一人の朝霧もその姿を見て、一度苦しそうに目を伏せたが、又正面の朝霧を見据えて言った。
「観月春陽の気持ちも大事だが…例え観月春陽がお前を好きでなくても、恋が成就しなくても大事なのは、お前が…朝霧貴継が、一体誰の幸せの為に生きたいかだ。お前の親か?それとも、美月姫か?違うだろう?お前は、朝霧貴継は、観月春陽の為にしか生きられないし、お前が帰るのは、家でも無く国でも無い。お前が帰るのは、観月春陽だけだ。そしてそれは、お前が何度、何度生まれ変わろうが変わらない。それだけは俺は断言出来る」
その言葉を朝霧は、呆然と立ったまま聞いていた。
もう一人の朝霧は、言葉を続ける。
「お前は、女と結婚し家督を継ぎ子を設けるような、他人と同じような生き方が望みか?それに…観月春陽がこの戦国の世で生き抜くには、どうしてもお前の助けがいる。帰れ、今すぐ、観月春陽の所へ!」
次の夜も、もう一人の朝霧は朝霧の夢に現れて、同じ言葉をくり返した。
目覚めても朝霧は、その言葉が頭に鮮明に残り続け、ずっと酷く懊悩していた。
だが朝霧は、このもう一人の朝霧が未来から来て、今も自分の体の中に魂体として入って朝霧と共生している、生まれ変わりの来世の朝霧自身だと知るよしも無い。
朝霧が、そんな夢を思い出しながら縁台に腰掛けたまま考え込んでいると…
店の奥から、袴の腰に立派な刀剣を携えた若武者らしき長身の男が出て来て、朝霧の横を音も無くすーっと通った。
普通旅人は、庶民も武者も頭にわら造りの笠を被ったりする。
しかしこの男は、南蛮渡来のまんとと言う黒い外套を肩から羽織り、まんとに付いているふうどなるモノを頭から被り、顔があまり見えない。
それでも、今も朝霧の体にいる生まれ変わりの朝霧は、朝霧の目を通して見て気付く。
よく分からない男の顔とふうどの間から一部だが長い銀髪が出ていて、風に揺れて輝いているのを…
生まれ変わりの朝霧の心が、瞬時に凍った。
長い髪の…あの色は…
春陽の生まれ変わり優と春陽を狙う敵。
そして朝霧の敵…
藍の色だったから…
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