第129話美月姫2

春陽の実家があり、観月家の奉公先、都倉家の収める三河国の隣に、遠江(とおとうみ)国はある。


そして、二国は同様に中部地方の海側にあり…


これも同様、畿内の大阪城を拠点とする大名、金井秀隆の下に入って従っていた。


そして今…


その遠江国の大名斉木家の一人っ子である姫、美月姫は、観月家に着いて早々、気を遣った周囲により朝霧と二人きりになれた。


さっきまで、肩衣に袴だった男装の美月姫は…


男装の時に巻いていたサラシを取り豊満な胸を開放し、その上に色鮮やかな小袖に打ち掛けを羽織り、長い黒髪も下し化粧も完璧にして…


正真正銘美しき大名家の姫君に変身して、座敷の右奥に正座し、胡座をかいた朝霧と面と向かっていた。


「何の知らせも無く突然押しかけて、観月殿に申し訳無いとは思いましたが…祝言は、まだまだ先の段取りでしたが…貴継様…今すぐ、わたくし共と遠江へ来て頂き、すぐにわたくしと祝言を挙げて斉木家を継いでいただきたいのです…」


美月姫は、蠱惑的な瞳で朝霧をじっと見詰めた。


だが、朝霧は、さっきから調子を崩し自室で床についた春陽の事で頭が一杯で…


気持ちがここには一切無く、美月姫の言葉に反応が薄い。


遠江の女神とも謳われ、常に男達の羨望の視線を向けられるのが当たり前の美月姫。


だが、そんな自分に全く興味を示さない朝霧に戸惑いながらも、仕方無く美月姫は続ける。


「大阪城にいる金井秀隆が南は九州全域、北は越後まで諸大名を取り込み、後は東北の一部大名のみが抵抗しているだけになりましたが、その秀隆も高齢でかなり死が近い状況との噂で御座います。秀隆が亡くなれば、跡継ぎの息子では諸大名をまとめるは難しいと言われております…恐らく、世は再び合戦に明け暮れなければならぬかと…」


ここで初めて、朝霧は美月姫の顔をちゃんと見た。


「しかし、この大事な時期に、わたくしの父までも先日倒れ、いつ息を引きとるか分かりませぬ。貴継様…どうか、どうか、今すぐわたくしと遠江に来て、わたくしと祝言を上げ、斉木家の跡をお継ぎくださいませ」


美月姫は、いくら夫になる予定の身でも、今は格下の朝霧に頭を下げた。


しかし、それでも、朝霧は何かを深く考えたまま反応が無い。


顔を上げた美月姫は、その様子になんとなく女の感が働いた。


「貴継様…もし、貴継様に恋しい想い人がおられるなら…一緒に遠江へお連れ下さい」


「え?!」


朝霧は、突然の提案に驚く。


「貴継様…この結婚。貴継様はご実家朝霧家の借金の為。わたくしは斉木家の一族郎党、領民の為の政略結婚です。もとより、恋だの愛などは一切ありませんし、例え祝言を挙げたとしてもわたくし共は、この厳しい乱世を生き抜く為のただの共同体。ただ…たまにわたくしのこの体を抱いていただき、貴継様のお種をいただき子を何人か授けてさえくだされば、貴継様に他に想い人や側室が何人いようが構いませぬ。貴継様の想い人の生活と身の安全は、この美月が必ずや保証いたします。」 


美月姫は、男勝りなサバサバした態度で、笑顔であっけらかんとした口調で告げた


(しかし…)


と、朝霧は、更に深刻に考え込んだ。


(ハルを…ハルを俺の愛人として遠江へ連れて行くのか?だがその前に、どうやってハルを説得する?いや、その前に、そんな事は出来ない!俺は、ハルしか…ハルしかいらないし抱けない!)


同時刻…


春陽は、まだ陽が明るい内から、やはり自室で布団で横になっていた。


すぐ横には春頼がいて、タライの水で手縫いを濡らし、春陽の額に耐えず交換し置いてくれる。


猫になっている小寿郎は、今はダメだと春頼に座敷を摘み出され、ぶーっとふてくされながら、その前の廊下でじっと立っていた。


春陽の頭が、兎に角痛い。


だがそれは、春陽の中にいる精神体の優もだった。


そして春陽も優も、左右のこめかみがズキズキする痛みの中、朝霧と美月姫が並んだ姿を思い出し…


心の底に沈んでいる自分でも分からない感情に、胸が締め付けられていた。


それでも、薬と春頼のお陰で、春陽と優は少し眠りに入る事が出来た。


だが、すぐに…


春陽と優は、珍しく同じ夢を見た。


それは、江戸時代の荒清神社の拝殿で、今、正に行われていた、優と、前世の朝霧、西宮、観月、定吉を呼び戻す為の儀式の様子だった。


しかし、春陽と優に見えるのは…


激しく大きな神火を焚き上げる尋女の後ろ姿と、その背中合わせの、白布で目隠しされた幼巫女千夏だけ。


そして、回りで術師達が唱える呪言やかき鳴らす鈴や太鼓の激しい音だけは聞こえてくる。


「何なんだ?一体!」


千夏を知らない春陽も、千夏を思いっきり知っている優も、同時に呟いた。


だが、その時…


幼いながらも優の為、恐怖を押し殺し集中して呪言を唱えていた千夏の顔…


目隠しのすぐ下の、両頰の部分にヒビが入った。


「きゃっ!」


声が出ないはずの千夏が叫び、両手で顔を押さえ下を向いた。


「え?!」


優も春陽も、同じように絶句した。


そして、そのヒビは、すぐ顔全体に広がった。


「尋女様!失敗です!千夏が、千夏がぁ!!!」


術師達の呪言も鈴や太鼓が止み、静まり返った拝殿内。


その内の一人が叫んだ。


「千夏ちゃんっ!!!」


優が絶叫すると、千夏の体、装束全てがサラサラと砂のように崩れ、一瞬にして何処かへ消えた。


春陽に、優の叫びは聞こえなかったが…


春陽は眠りから上半身飛び起き、優も目覚めた。


「兄上!兄上!」


嫌な汗でずぶ濡れの春陽のその体を、春頼がひしと抱き締めた。



































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