第126話祭囃子

定吉が、これ程怪我をしたのは元服前だろう。  


背中の深い傷は、南蛮渡来の妙薬のお陰で痛みも無いが、医師から一生大きな傷跡が残ると言われた。


「うむ…なかなか回復は順調じゃな。まぁ、本人の体力に依る所が大きいが。身体を拭く位ならそろそろ大丈夫だろう」


観月家に来て三日。


出入りの医師は定吉を診察した。


それを布団に横たわる定吉の傍らで、胡座で見ていた春陽はほっと安堵したが…


それは、春陽の中に閉じ込められている優も同じで…


春陽の瞳を通し…


医師からの傷への処置を黙って受ける定吉の横顔を見て、泣きそうになっていた。


春陽はそうしながら、ふと、定吉を傷付けたあの一つ目の化け物の事を思い出し…


次に最近、父と大ゲンカした春頼だけで無く、朝霧が元気が無い事を思い浮かべた。


春陽が心配をかけ過ぎた事が原因か、それとも、朝霧自身の結婚が近い事からの緊張なのか…


春陽が何度も朝霧に大丈夫か?と尋ねても、朝霧は、曖昧に「ああ…」と答えるだけだった。


やがて、ボーッと思考する春陽に、医師が処置の終了を声掛けして医師は退出して行った。


その後布団に横たわる定吉は、座敷に春陽と二人きりになった。


「どうして…」


ずっと傍らに胡座する春陽に、定吉が天井を見たまま呟きかけて言葉を続けた。


「どうして…俺を助ける?俺は、お前に斬りつけた男だぞ…」


僅かに、二人沈黙の時間が流れるが…


「それを言うなら、その言葉、そっくりそのままお前に返す。何故、私を助けた?」


春陽の声は、この部屋の気のように静かで穏やかだ。


定吉は、返事に困窮する。


ふっ…と春陽が息を漏らし、仄かに微笑んだ。


「余計な事を考えないで、今はゆっくり怪我を治してくれ…」


その笑みにあのマリア菩薩が重なり、春陽を見る定吉は更に困惑した。


仏像などに全く興味が無いのに、どうしてこうもチラつくのか?


定吉は、観月家の恩人として、衣食住破格の看護の待遇を受けていた。


栄養のある健康的な食事。


安らかな睡眠。


そして、医師、何人もの使用人も含め…


この過酷な時世にも、観月家の人間は皆親切だ。


特に春陽はしょっちゅう食事や飲み物を持って来たりする。


清らかな里の空気や暖かな春の光ものんびり感じる事が出来る。


こんなに穏やかに日々を過ごしたのは、何年ぶりか分からない位久しぶりだった。


そして、ここ数日、遠くから美しい笛の音と太鼓、雅楽の笙の音が頻繁に聞こえ、今日もさっきから始まった。


「すまない…音…五月蝿くはないか

?なんなら部屋を変えるが…」


気を遣い、春陽が定吉に尋ねた。


「五月蝿くなんかねぇよ…」


定吉のボソボソとしたその返事は嘘では無い。


天井を眺めながら、それは子守り唄の様に耳に心地いい。


「春祭りが六日後あって、今練習の追い込みに入っている。祭りの頃に少しでも起き上がれるなら見られるといいんだが…どうだ、今から身体は拭けそうか?」


そう春陽が尋ねると…


「ああ」と定吉が返事をし、用意を頼んで来るとニコリとして春陽は部屋を出た。


だが、定吉には謎だった。


春陽は、あの山小屋で一緒に過ごした男と同一人物のはずで…


顔は全く一緒だが…


やはり所作と言うか、全体の身体の動きや喋り方や雰囲気があの男と全く違う。


もしかして…


春陽は双子なのではないか?と思ったが、暗闇の崖の斜面で入替ったと言うのもおかしな話しだ。


いや…


もしかしたら…


山で定吉が助けたのは、最初から春陽では無かったのでは?と疑念すら浮かぶ。


だが、春陽に聞いた所で、本当の事は言わないのは分かっていた。


だがそれは向こうもそうだと、お互いそうだと、定吉は薄々勘付いている。


春陽は、定吉が本当は何者か一切聞いてこない。


定吉が言えない訳が有る事を察して、まるでこちらを思いやるかの様に…


だが、自分の方は違う…


春陽を思いやって聞かない訳じゃない…


ただ、聞いても無駄だと諦めているだけだ…


ただ、それだけ…それだけのはずだ


神妙に考えながら布団の上で横になっていると、春陽の声がした。


「入るぞ」


「おお…」


定吉は、天井を見詰めていた視線を春陽に向ける。


春陽は手に小さなたらいに湯を入れ手拭いを持って入室して来た。


「私がお前の身体を拭く」


定吉は、てっきり観月家の使用人がしてくれるとばかり思っていたので、声の無いまま驚愕した。


その頃、江戸時代では…


時間の流れが違い、戦国時代と違い殆ど時は過ぎていなかった。 


しかし、尋女は決意し…


幼巫女千夏の力を媒介に、優達をこちらへ呼び戻す、危険な準備を神殿内に即整えた。


だがそれは、危険過ぎる賭けだった。






























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