第124話不穏
春陽が人型の小寿郎に薬を飲ませ、一週間経った。
小寿郎は、まだ回復途上で…
その後、再び人型になる事もなく、普通の猫そのもので座敷の端や春陽の膝の上で大人しくしていた。
それによりもう春陽にも、あの人型の小寿郎が夢だったような気さえしてきた頃…
定吉のケガもだいぶ良くなり、春陽と朝霧、春頼は、定吉と共に船頭二人の操る船に乗り川を下り、荒清村の観月屋敷に戻った。
しかし、帰って来た村は、小沢村の焼き打ちで騒然としていて、春陽にも思いもよらない事が身に降りかかっていて…
春陽の中に住む優も動揺した。
都倉家の本城より春陽へ、登城し、主である俊景の側で働くようにとの仕官命令の書状が届いていたのだ。
朝霧を除く家族の話し合いで、春頼が強固に反対する中…
春陽は、仕官を即決した。
今年の例大祭を終え、朝霧の旅立ちを見送ったすぐ後に。
だがそれは…つまり…
神社の神職との二足のわらじを捨て、武士として生きる事に集中し、
いずれすぐ合戦にも加わわらなければならないと言う事に思えたが…
しかしそれは、前世の藍の望み通りに椿が俊景に書かせたもの。
実際は、藍が春陽を手に入れる為に、春陽をおびき寄せているに過ぎなかった。
藍は、春陽が藍の元に来るのを、今日も今か…今かと速る気持ちで待っている。
その夜…
春陽は、春頼と父が座敷で大ゲンカしているとの知らせを使用人から聞き慌てて駆けつけた。
すると、座敷前の廊下にはすでに使用人達の人だかりが出来ていて、それを掻き分け中に入る。
だがすでに、春頼は父に殴られたのか、畳の上に上半身を少し上げた状況で倒れ込み、
父を睨み上げるその春頼を、朝霧が肩を掴んで静止していた。
「ハル!」
朝霧が、春陽を見て酷く困惑しながら呼んだ。
父の方は、珍しく怒りを露わにして、又春頼を殴らんばかりに興奮しているのを、
父の側近の老武士新右衛門と、母の春姫が必死で左右から押さえていた。
「どうしたんですか?!父上!春頼!」
あんなに仲の良かった親子の突然の姿に、春陽も優も戸惑った。
すると…
春頼がバッと立ち上がり、春陽と目も合わさず、やじ馬達を押しのけて座敷を走り去った。
「春頼!!!」
春陽は、弟の背中を一度目で追ったが、次に、父達の方を見て問うた。
「まさか…あの書状のせいですか?」
父は目を逸し、母も新右衛門も下を向いた。
それで喧嘩の原因が自分にある事が分かった春陽は、弟を追いかけ走り出す。
すると、朝霧も春陽を追った。
「待て!ハル!」
灯籠の仄かな灯りのある渡り廊下。
朝霧が呼び、春陽は、背中を向けたまま立ち止まる。
「何が書いてあった?書状に…」
朝霧のその声は、本当に心配しているのが分かる。
それでもすぐに答えられなくて、暫くして、やっと春陽は振り返って言った。
今にも泣きそうな表情を堪え、ぐっと平然を装いながら。
「貴継…私は…小さい頃から、お前とは何も約束などしなくても、お前とは死ぬまでずっと共に生きて、お前には何でも話せると思っていた…」
朝霧は、突然の春陽の告白に…
朝霧が抱いていたものと同じ想いを春陽も抱いてくれていたのだと驚愕して、体が固まった。
そしてその直後…一気に歓喜が湧き上がり…
正に、自分も同じ気持ちだと告白しようとしたが…
「けれど、許せ…もうお前はこの観月家を離れる。貴継…お前は、大名跡を継ぎ多くの民の上に立つ人間。必ずや立派な一国一城の主となってくれ。これが私の心からの願いだ…」
春陽はそう言い突き放した。
だが出来る事なら今でも春陽は、朝霧と離れたく無かった。
今、この瞬間も、どちらかが先に死ぬまで側にいたいと思っていた。
しかし、春陽は、自分がしなければならないのは朝霧の前途を祝い快く見送る事だと自分を押し殺した。
「ハル…それが…それが…本当に、本当に…お前の本心か?」
朝霧は、今にも膝から崩れ落ちそうな自分をなんとか保ち、春陽を探るように目を眇め見た。
「ああ…そうだ…」
春陽は、朝霧を見て即答すると朝霧を置いて走り出し、屋敷の暗闇に消えた。
朝霧は、失望の余りに何も言えずにフラフラになり、渡り廊下の欄干に両手を付いた。
そして、
春陽が言った事が本心なら、朝霧自身が春陽の為に取るべき道が…
このまま春陽の側を離れ大名跡を立派に継ぐ事なのか?
それとも…
春陽を連れて二人で何処かへ、駆け落ち同然逃げる事なのか?
それが苦しい程に分からなくなってしまった。
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