第116話サウダージ

それは、一瞬で更に大きな光を放った。


そしてその代わり、二つのロウソクの火が消えた。


「クッ!」


藍が小さく呻くと上半身を起こし、閃光に目を閉じた。


ただ、その一瞬だった。


藍の下にいたはずの優の姿は、消えていた。


至る所が紅の色に塗られた藍の部屋に、又怖い位の静寂が戻る。


「チッ…又邪魔が入った…」


藍は、忌々しいそうに呟き唇を噛むと…


さっきまで優のいた褥の辺りを、優の温もりでも探すように右手で何度も何度も何度も撫でた。


閃光に目が眩んでいたのは藍だけでなく

、優もそうだった。


だがやがて、誰かにお姫様抱っこされている体感でゆっくり瞼を上げ…


「あっ!朝霧さん!」


優の目の前に朝霧のいつもの整った顔があり、優は大声で歓喜した。


あの光の主は、前世の自分の体から抜け出していた生まれ代わりの朝霧だった。


周囲は、藍と会う直前のあの時と同じ、やはり雲海の中のように真っ白で…


足元は、フワフワフワフワしている。


「主!」


朝霧も立ち止まり優を抱き上げたまま叫んだ。


そして次には優の体を下に下ろし自分は膝立ちで、膝を崩し座る優を思い切り抱き締めた。


(え?…)


優は思わず、両腕もダランとしたままただフリーズしてしまった。


「何故?どうしてあいつの屋敷に?主!」


やがて朝霧がゆっくり抱擁を解き、優の顔を眉間を寄せて見た。


「すいません…朝霧さん…誰かが俺か春陽さんを必死で呼んでるような声が聞こえて…助けて欲しいんじゃないかって位必死な声だったから行ったら、それが藍だったんです。藍だったなんて分からなかったから…」


優がシュンとして、心から謝罪しているのが分かったのだか、朝霧の語気は緩まない。


「ケガは?奴に、体に何をされたんですか?」


そう必死の形相で訪ねてくる朝霧の顔が近くて、優は驚き更にフリーズする。


「主!主!」


朝霧が言いながら、優の肩を揺らす。


「あっ…何にも、大した事は…」


やっと我に返り、優は誤魔化すように少し笑う。


だが…


「主!私に嘘は…吐かないで下さい…奴に…何を体にされたか…正直に言って下さい…」


朝霧は、優の顎を右手で持ち上げると目を眇めた。


よくある事だが…


朝霧は、優をいつもは大切な大切な主扱いする反面、こう言う時は主従が逆転する程の…


優に対して有無を言わせ無い威圧的なオーラを出す。


結局、その鋭い視線に勝てなかった。


「藍に…抱き締められて…右の頬と、右の首筋に…その…キ…いえ…口付けされただけです…」


ちゃんと正直に言ったのに、朝霧は更に視線をキツくして、無言で優を見てくる


これ以上何を言うべきかと、優は困惑する。


その時…


朝霧が、強引に優の顔を左に向かせた。


そして…


その優の右頬に朝霧の唇を寄せ口付けして…


更にそのまま這うように下へ降りて行き

、首筋の皮膚を吸いながら更に下へ行こうとした。


「それ以上は、何もされてない!」


優が朝霧の体を押返し、荒い息をしながら叫んだ。


優には、朝霧が何のつもりでこんな事をするのかが分からなかった。


あの時…


もう二度と、優と体の関係は持たないと言ったのは、朝霧の方だったのに…


優は、あの朝霧との濃厚な一夜を忘れる事は出来ないのに…忘れないといけないと懸命なのに…


「も、申し訳ありません…」


朝霧が、いつもの臣下の態度に戻り、首を項垂れさせた。


朝霧は、優が藍に汚された気がして、珍しくカッとなり頭に血が登ったが…


恋している人間が元いた世界にいるらしい優に、やっている事は自分も藍と大差無いと感じてしまう。


だが、ここでお互い素直になって…


優が朝霧に、「どうして口付けしてくるんですか?」


朝霧が優に、「元いた世界に、好きな人が本当にいるのですか?」


と、互いに聞けば、それぞれの抱く誤解が解けて、優も朝霧も本当の意味で心まで結ばれるのに…


時間がそれを許さなかった。


「あっ!…」


優と朝霧の体が、だんだんとゆっくり薄くなってきた。


又、別れなければならないと…


多分だが…今度こそ優は春陽の体へ…


朝霧は、前世の朝霧の体へ又帰らなければならないと、優は朝霧を悲し気に見詰めた。


すると突然、朝霧が、再び優を抱き締めた。


そして次には、唖然とする優と体を少し離し、優の瞳を真っ直ぐに見詰めた。


「主!又誰かに呼ばれても、誰かが分かるまで、そして…決して、決してあいつに呼ばれても、絶対に行ってはいけません!私と約束して下さい!」


薄くなっていく朝霧の両手が、同じ速度で消えていく優の両手を握る。


「はい…朝霧さん…」


今のこの姿は実体でないのに、朝霧の温もりと力強さが優に伝わる。


ずっと見詰め合ったまま、そっと、朝霧の右手が優の左頬に触れた。


優の心の中に、さっき朝霧を拒絶した罪悪感のようなモノと、寂しさと切なさが溢れ返ってきた。


「イヤだ!朝霧さん!離れたくない!」


その優の心を絞るような叫びは、朝霧にちゃんと届いたのだろうか?


自身も消えてゆく優が最後に見た朝霧は、とても寂し気に微笑んでいた。
























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