第111話春宵の膳

優は仕方無く、前世の藍がいるとも知らず、薄暗い屋敷の中を歩き出す。


そして、その前世の藍も…


観月春陽の生まれ変わりの優が近ずいて来ているなど、微塵も知り得ない。


その頃…


椿は、座敷の一段高くなっている上座で

、気持ち良さそうに肘掛けにもたれこんでいた


その下座の左右には、椿の若く美しい数十人の侍女達。


前世の藍は下座右端で、たまに膳の物をつまみながら、母の椿だけを見詰めていた。


彼女達は、目前に置かれた肉や魚の豪華な膳を楽しみ、紅い盃の中の酒を何杯も水の如く飲みほし…


これ又目前で繰り広げられている、男二人のとその後ろの笛や太鼓の楽士達による寸劇を観覧していた。


男二人は、それぞれ男女の面と衣類を着け、時に激しく性交する下品な芝居を何度もする。


その度に椿と侍女達は、「ホッホホホ」と袖で口元を隠し高笑いしながら、本当に楽しそうに又酒を飲んだ。


やがて芝居が終わり楽士達は先に退出し

、男二人だけが椿の前に座し仮面を取った。


その下からは、椿好みの若い美青年の顔が現れ、椿を満足させた。


その後、その青年二人と侍女達も退出し

、部屋には主座の椿と正面下座の藍だけになる。


突然椿はすっと立ち上がり、華麗な刺繍で彩られた小袖の打ち掛けの裾を引きずりながら上座を降り、藍の傍に来た。


だが、あれほど酒を飲みながら、彼女の足どりに乱れ一つ無い。


「小沢村の焼き討ちといい、昼間の盛大な花見の宴といい、今宵の膳といい、ほんに、ほんに愉快であったぞ…」


椿がそう言うと、藍は頭を深々と下げた


「母上…有り難きお言葉、誠に痛み入ります…」


椿は次にふと、遠い目をして呟いた。


「毎年桜が咲くこの頃になると、妾が藍…そなたを産んだ時を思い出すのじゃ

。妾が守護大名、都倉俊馬の側室になりながら、父親の言えぬそなたを産んではや十八年…妾と俊馬との間の、そなたの種違いの弟、俊英も十六歳になった…」


「…」


藍は、正座し黙ったまま、十七年前から一切年を取らない、目の前に立つ淫魔の母の美貌を見上げた。


「そなたの影の尽力もあり、都倉家の天下統一ももう間もなくじゃ。さすれば俊英が跡を継ぎ、遂に天下と人民は全てが妾の思い通りになるのじゃ…」


椿は、藍の美しい銀髪を優しく上から撫で始め、更に呟いた。


「もうすぐ、妾とそなたを利用してきた者、今も陥れようとする者達全てを血祭りに上げ復讐が出来、やっと、やっと、積年の…積年のこの恨みを果たせるのじゃ」


「はい…母上…」


「もうすぐ…藍…そなたと、親子水入らずで暮らす事も叶うであろう…そして、必ずあると言う魔境の扉を開き、この世にありとあらゆる低能な魔物を引き入れ

、この世を魔物でひしめかせ、更には魔境の宝珠を手に入れ、我ら親子は永遠の命を手に入れこの世と魔境を未来永劫支配しようぞ…」


「はい!母上!」


藍は、母の打ち掛け越しに母の太腿にひしと抱き着く。


すでに藍も男として立派な体躯だったが

、まるで幼い子供の様に。


「しかし…そなたがあの春姫の産んだ観月春陽をここへお引き寄せて欲しいと、その為の適当な理由を書いた書状を作って欲しいと言うのは一体何事じゃ?」


椿の酒が心地良さそうだった瞳が、一気に鋭さを増した。


藍は、抱き付いたまま母を真っ直ぐ見上げながら、淡々と話し始めた。


「私には、今以上に勢力を拡大する上で

、母上の為に働く更なる真に忠実な協力者がどうしても必要です。それには、やはり血の繋がった私自身の子供が必要なのです…私と観月春陽との間にならば、さぞや美しい淫魔が出来、母上の為に捧げる事ができましょう。まず、観月春陽を我らと同じ淫魔に堕とし、その後は、男であろうが、私の子を孕ませる方法ならいくらでもあります。春陽の腹が休まる間など与えず、私の子を何人も孕ませてみせましょう」」


この時…藍はまだ…


春陽が淫魔だとは知らなかった。


「フフフ…ホッホホホ…」


急に椿が、高笑いし出した。


そして、視線が更にキツくなり、続けて冷たく問うた。


「観月春陽とやらは、それ程に美しい男子(おのこ)なのかえ?藍…まさかそなた…観月春陽とやらに懸想…したのではあるまいな?」


一瞬、母を見たまま藍は固まってしまったが、次に笑い出したのは藍だった。


「フフフ…アハハハ…懸想?私が?観月春陽に恋したと?私はただ、母上と私に忠実な美しい淫魔の子供が欲しいのです

。美しい淫魔の子供を作るには観月春陽は正にうってつけ。それが理由で御座います。それに…」


藍は、更に母の太腿に強く抱き付き見上げた。


「それに…観月春陽は、私の子供を何人か産ませた後は、魔境を開く時に必要な贄にするつもりでおります」


「なんと!…」


椿の目が、化け狐のように細まった。


「魔境の扉を開くには、その場で家柄が良い才覚のある美しい若い男の胸を裂き

、その心の臓と血と肉を門にいる二匹の魔獣に捧げる事が必要不可欠。正に観月春陽にはうってつけかと…観月春陽の血肉なら、好みにうるさいと言う魔獣も喜んで門を開くかと…」


藍の提案に、椿は少し思案した。


家柄と容姿と才覚のある若い男と言うのを見付けるのは、そう簡単な事では無い


椿も、もうすでに何人かの生け贄の候補の男を、高名な公家や武家から誘拐し密かに飼ってはいるが…


贄の候補は、多い方がいい。


(藍が言う程の男ならば、間違い無く、魔境の魔獣はヨダレをたらし喜んで門を開くかもしれない…)


(それに…以前から考えてはいたが…これから妾の権力を揺るがぬモノにする為には、藍のように能力の高い、しかも妾に盲目に尽くす血縁者をもっと何人か早急に用意する必要は…どうしてもある…)


(妾がどこぞの男との間の子を産めば良い話しじゃが…妾は、俊英をなんとしても征夷大将軍にする事に今は集中しなければならぬ…)


(藍の子供…子供のう…)


(但し、藍と観月春陽の間に、妙な情が育たぬように、しっかり妾が見張らねばならぬが…)


「良かろう…殿を動かし、観月家に宛てて書状を急ぎ書かせよう…」


椿は即決し、自信あり気に妖しく微笑んで言うと、次には急に口調が酷く弱々しくなった。


「ならば藍、約束しておくれ!これからも妾を、この母を助けておくれ…妾は、生きて行く為に仕方無く側室になった。そなたの弟はあの通り、体も弱く頼り無い…妾の頼りは、藍…そなただけなのじゃ…母を…このか弱いか弱い母を…そなただけは見捨てたりはいたさぬであろうな…」
















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