第76話居待月の夜
笛合わせには、その場に何人も人が居て音色を聴いていた。
しかし春陽は、やがて視線を合わせなくても、まるでここに自分と朝霧しか居ないかの錯覚に陥った。
そして、朝霧からの強い視線に、まるで朝霧から、春陽自身が全身雁字搦めに、肉に食い込む程にギチギチに縄で縛り上げられている様な妖し気な感覚も感じていた。
だが、更に今春陽の体内に居る優も、一瞬完全に前世の自分春陽と心も重なり、同じ事を思い感じていた。
その後…
陽も完全に傾く前、いつもより早めの夕食も済んだ。
食後は風呂に入り後はゆっくりし、いつもなら慌ただしい春陽の一日は終わるのだか、この日は違った。
夕方、父、頼宗宛の書簡を持って都倉家から早馬の使者が来たのだ。
緊急に村人の代表者十人が観月家の母屋に呼ばれ、頼宗、春陽、春頼とで会合を行う事となった。
以前は朝霧も同席していたが、彼がこの観月家を出る事が決まってからは、こう言うものには一切関わる事も無くなった
。
刻々と夜の帳が降りて行く。
春陽は、皆が集まるまで自室で机に向い嫌な予感に考え込み、猫の小寿郎を膝に乗せ撫でながら座っていた。
しかし、突然背後に気配がして振り返った。
だが、酷く恐ろしい何かを予測したのに
、それはとても小さくて、ふわふわふわ
…と浮いて部屋中を周回していたのでア然となる。
朝より元気になり、気持ち良さそうに春陽の膝の上に居た小寿郎も一瞬気配に起きた。
しかし小寿郎は、その正体を見てその小さいモノが「きゅぅ~きゅぅ~」と小っちゃくかわいく鳴くと、全く問題無しとでも言う様にまたすぐ横になって目を閉じた。
優も一瞬驚いた。
だが、まるで白いシーツを全身に被ったハロウィンのお化けそのものの目が大きくクリクリしたかわいいソレには「何、これ?何のゆるキャラ?めっちゃかわいいんですけど!」と吹き出した。
すると、障子越しの廊下に、さらに気配と男の声がした。
春陽の全く知らない、色気に満ちた大人の男の声。
「そのどチビは、悪いモンじゃねぇよ。お前を護る為のモンだ…でも、空気は読むからべったり居る訳でもねえし、だから適当に放っとけ。それより近くに、本当にヤバイのが色々とうろついてる。気をつけろ!」
「誰だ!」
春陽が速攻動き障子を開けると、もうその姿は消えていた。
目の前の庭を見ると、ふわふわのかわいいタヌキがこちらをじっと見ていてやがて闇夜に消えた。
そして、再び振り返り謎の小さいモノを見ると、無言でニコニコニコとしながら機嫌良さそうに春陽の回りを呑気に回っている。
「何なんだ?」
春陽はキョトンとしていたが、優にはさっきの声に覚えがあった。
(まさか…真矢さん?…まさか…まさか
…でも、さっきのタヌキは、普通に四足歩行してたけど…)
春陽が、どこから見ても小さいモノは害が無さそうなので気にはしながら男の言う通り暫く好き放題周回させていると、気が付くといつの間にか居なくなっていた。
やがて、辺りが完全に常闇に支配され、皆、祭りの準備で酷使した体を引き摺りながら部屋に集まり出した。
しかし、その様子を遠くの庭の木々の間から見詰める、男の強い視線があった。
頭から顔は紺のクレ染めの覆面を被り、鋭い視線の両目だけ出している。
引き締まった筋骨隆々の体を包むのは、同色の上衣と裾がキュッと締まった袴。
手には手甲、脛には脚絆が付けられていて正に忍者の装束だ。
そして、背中には刃の反りの浅い忍刀を背負う。
腰には脇差を帯び、体のあちこちには様
々な武器を仕込んでいる。
その男、定吉は、やがて皆と同様に部屋に入ろうとする春陽の横顔を見ると、心の中で密かに呟いた。
(観月春陽…今度は、あの橋の時の様に迷わん…もし貴様が淫魔なら、角を出させてその首、今度こそ掻き斬って持って帰って売っ払って黄金に替えてやる!)
やがて父によってその場で議題が発表され会合は始まったが、その内容は春陽にも、優にも、ここに集まる皆にとっても最悪なものだった。
「今は祭りの忙しい時だと分かっていように…わざわざ早馬を寄越して言うてくるとは…ほんにこれも都倉のわざとの嫌がらせに違い無い…」
代表者の一人の男が忌々しそうに呟き、皆の顔色も悪くなる。
この一帯の荒清村は、この地を治めている都倉家の特別な計らいで荒清神社の宮司、頼宗が治外法権を与えられ何年も統括してきた。
しかし、つい先程の書簡の内容は、それを都倉家に即刻返還せよと言うものだった。
都倉家に還せば待っているのは、今でも高い上納の金品を都倉家に納めているのに、更に増大を宣告されるであろう税。
更にこちらに不利で不公平しかない恐怖政治だけなのは分かり切っている。
しかし還さなければ、都倉家に何をされるか分からない。
結局この日は話し合いは紛糾し何も決まらないまま終わる。
そして、最近近くの村々でも若い男女が次々消えているらしく、魔物の仕業では無いか?と不安を口にする者もいたが、結局はその対策を本格的にどうするかまでも話しが行かなかった。
春陽は淫魔である事の兆候が出始め、しかも本人は、自分がそれだと知らない。
村も暗雲が押し寄せる。
そして、更に朝霧も、結婚の為に春陽から離れようとしている。
(なんで、こんなに色々重なるんだ?)
優自身も、前世の朝霧の結婚は喜ばなけれぱならない事だとは分かっていたが、気持ちが嵐の様に吹きすさぶ。
解散後、春陽は一度自室に帰り風呂に行った。
その帰り。
屋敷の全ての雨戸は既に締め切られていた。
風呂のある母屋から春陽の部屋のある離れへの渡り廊下もそれ等は閉められていたが一部開ける。
そして、その欄干に手を置き、手燭の灯りだけを頼りに外を眺めた。
紗幕を通したかの様な居待ちの朧月が静かに輝いている。
そして、庭の沢山の桜の木から花びらが
、春の夜風に人知れず散って逝く。
「又、どこかに行くつもりか?ハル?」
突然、春陽の左側から声がした。
「えっ?…」
驚きそちらを見るとすぐそこに、左手に燭台の火を持った、目を眇めた朝霧が居た。
「た…かつぐ…」
なんだか何年かぶりに朝霧の声を聞いた様な酷い錯覚に春陽は、呟く唇が震えた
。
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