第68話郷里

小寿郎は、結局やはり野良猫だった。


春陽が息のしやすい上質な布袋に入れて宿を出立したが、相も変わらずよそよそしい旅路になった。


優がこの戦国時代に転移させられ春陽の体に憑依してからずっと見ていたが、馬に乗ろうが歩こうが、部屋に居ようが、常に春陽は朝霧を気にして視線を向けていた。


しかし、今は不穏な空気のまま馬ですでに幾つか山を越えたが、途中春陽は、後ろを走る朝霧を全く振り返り見なかった


来た時と同じ川辺での休憩時間も、離れて互いに目を合わせないまま一言も話しをしない。


そして、朝霧と春頼も、互いに必要な事以外は喋らずギクシャクしている様だった。


尚、これも相も変わらず、春陽と朝霧は

、常に互いを横目でチラチラ気にし悟られ無い様盗み見て…


又その様子を見て隠れて春頼が溜息を付いくも、まだ延々と繰り返し続けていた


一方優は、馴れない乗り物の振動に少し酔いながらもそれに耐えた。


そして、定吉から遠ざかる寂しさと春陽の落ち込みを痛い程感じながら、朝霧を見たい欲求に何度も駆られた。


ただ時間だけが経ち、朝霧の事も含め優は焦っていた。


ずっと春陽の体に閉じ込められたまま、この状況を良くする何か糸口を常に探しているが、いつまでもただ歴史の傍観者ではいられない。


藍が優の前世の春陽を抹殺して歴史を変えるつもりなら、早々に送り込んだ一つ目の化け物が襲ってきてもいいものだが

、何かあるのか今の所その様子は無い。


しかし、昨夜、確かに一つ目の化け物の気配があった。


(奴は、確実にこの時代にいる…)


(藍も、もしかしたら、この時代に来ているかもしれない)


朝霧と西宮が、前世の体にいるかは不明な今…


三人、いや、憑依している優をいれたら

、四人、陽春の風を切りながら帰路を駆け抜ける。


その間も春陽も、宿を出た時から今も、ずっと考えていた。


きっと朝霧は、春陽の変化と嘘に気付いていると…


(貴継に、本当の事を言うべきだろうか

?…)


心は、ずっと…ぐらぐらと揺れ動いていた。


やがて帰り着いた所は、水の張られたまだ植え付け前の田が一面に広がる、茅葺き屋根の民家が沢山点在する村。


その合間を流れるのは、清澄で煌めく水のせせらぎ。


取り囲む卯の花月の山々には、春の訪れに生命力に満ち満ちた鮮やかな新緑が萌えている。


そして、沢山の花々が風に揺れるあぜ道や家の軒先から、春陽達に笑顔で声を掛けたり手を振る人々。


ゆっくり歩く馬の上の春陽の中から、という高い視線から眺めるその美しい風景に、優はまるで、観光協会のPR動画でも見ている心地だった。


そして悠長に一瞬、東京の両親とレンタキャンピングカーで行った、楽しかった旅行中見た田園風景を思い出した。


だが、ここが春陽達の住む荒清村ならば

、宿で春陽達が村の状況が悪いと言っていた事に、一体何処が?と思わず疑問符が浮かんでしまう位美しく長閑にしか感じない。


村のちょうど中央に、かなり広いが、江戸時代のものと比べると規模の抑えられた荒清神社はあった。


神社の裏口から入り馬を小屋に入れ、私邸に向かう途中、敷地の畑で鍬を振る屈強な男が何人か居た。


皆、春陽の方に気付き、向けられたその沢山の笑顔の中の一人を見て優は驚く。


(に、に、西宮さん…いっ、いや…春頼さん?!…)


いや、春頼はすぐ背後に居た。


彼は、西宮がそのまま年を重ねかなり中年になった、と言った方が正しい。


「父上!只今戻りました!」


春陽が大声で笑顔で手を振ると、彼は手を振り返し大きな声を出した。


「ここはもうすぐ終わる!母上が朝から待ち侘びていらしたぞ!早く顔を見せて差し上げなさい!」


声も恐ろしい程そのまま西宮だ。


(父上って事は、あの人が、観月頼宗さん?…)


優がそう呟きまだア然としている内に、春陽達三人はどんどん母屋から近い別棟に入り奥に向かう。


そうして、ある部屋の前で止まる。


「只今戻りました!」


そう言い春陽が襖を開けると目の前に、座りながら針仕事をしていた女性が顔を上げた。


優は、言われずともすぐ分かった。


(この女性だ…この女性が、春姫様…俺の、前世のお母さん…)


その容姿が余りに自分に似過ぎていて、まるでホラー映画を見ているかの様にゾッとしたのと同時に、身体の底からジワリとくる切なさが込み上げた。


しかし、更におかしいと感じる。


(聞いていた話しと…違う…)


春姫は淫魔のはずなのに、淫魔はある程度成長すると、その後は歳を取らず若いままのはずなのに…


目の前の女性は、明らかに見た目年齢を重ねていた。


「お帰りなさいませ」


春姫の傍らに座っていた世話人だろう、中年の女性も静かにそう言い三つ指を付け伏せていた顔を上げたが、その顔を見て優は再度驚く。


少し若い、どう見ても尋女だったからだ


「良かったわ、みんな無事で帰ってくれて…本当にご苦労さまでした」


春姫がニコリとし、とても穏やかな声を出すと、最後に入室した春頼に便乗して小寿郎が一緒に入って来ていた。


そして、迷う事無く春姫の膝元に行き、春陽にするのと同じ様に可愛く鳴いて、膝にスリスリ頭を何度も擦りつけた。


「あっ!ダメだよ!小寿郎!」


春陽が優しく呼んで止めに入ろうとすると春姫は、クスクスと笑いながらフワフワの頭を撫でた。


「良いのですよ。それより、どうしたのですか?この可愛い子は?」


「兄上が、又拾って来たのです。屋敷には、もう、兄上が拾った猫が何匹もいるのに…しかし、何なんでしょうね、その猫は…兄上と母上に対してと他の人間に対する態度が全然違う。私には全く可愛い気の無い猫ですよ」


春頼が、呆れた感じでボヤいた。


「あら、そうなの?猫ちゃん、あなた、きっと春陽の事がとてもお気に入りなのね。私が春陽に似ているから寄って来てくれたのでしょう?」


ずっと優しく撫でながら春姫が言うと、又、まるで「そうだ!」とでも言っている様に、小寿郎がニャーと鳴いた。


「あっ!それはそうと。ねぇ、見て!やっと貴ちゃんの陣羽織が出来そうなの!


春姫は弾んだ声で、手縫いしていた黒い布を広げた。


「貴ちゃんが旅立つ日になんとか間に合いそう」


春姫の目元が緩む。


「ありがとうございます。母上…」


血は繋がらなくても小さい頃から春陽の屋敷に預けられてきた朝霧は、彼女をそう日頃から呼んでいて、正座したまま静かに言い頭を下げた。


「あっ!それに、こちららはもう完成したのよ!」


春姫は、すぐ横にたたんであった、濃い紅梅を思わせる今様色(いまよういろ)の小袖も広げ披露した。


「どうかしら?貴ちゃんの婚約者の美月様に…」


それを聞き、春陽と朝霧はビックとして背中を凍った様に硬直させた。


春頼はそれを見て、又敏感にすっと目を眇める。


(前世の朝霧さんに…婚約者!)


突然降って湧いた事実に、優は面食らう。


「あら…やっぱり…地味だったかしら?美月様は、お若くてたいそうお美しい方だそうだから!」


春姫がシュンとすると、春陽がこの場を取り繕おうと母の側に寄り慌てて声を掛けた。


「そっ…そんな事は無いと思いますよ!母上!とても鮮やかで、きっと貴継の婚約した姫様によくお似合いになる!」


そして、少し間を置いて、今度はその場で朝霧に顔を向け問い掛けた。


「なぁ?貴継?!」


すると朝霧は、酷く冷めた視線をじっと春陽に向けて暫く沈黙しているかと思うと、ポツリと棘のある声で呟いた。


「……ああ……」


(貴…継…?又何か、私は貴継の気に触る事でも言ったのだろうか?)


(貴継の婚約者の美月姫を褒めたつもりなのに)と、春陽は、朝霧を見ながら目をパチクリさせ不安に心を縮こまらせた


春頼は、それ見て正座していた両膝に置いていた手をぐっと握り、春姫は、すこし眉根を寄せて小首を傾げた。


「もしかして…貴方達…ケンカ…でもしたのですか?」


春陽と朝霧の顔を交互に心配気に見て、春姫はそっと呟いた。


春陽は、まだ朝霧を見ていたが、朝霧の方は顎を少しだけ上げ、意味も無さそうに視線だけ天丼に向けた。


暫く、そこに居る皆、無言の刻が続いた


それが答えだと、はぁ…と小さな溜息を付き春姫は悟る。


「母は信じられません…あんなに仲の良かった貴方達がケンカだなんて…でも…貴方達もいつまでも子供では無くて、もう大人になるのですものね…そう言う事も…あるのでしょう…」


春姫の瞳が、憂いと慈しみを宿しながら細められた。


「でも…何があったか知りませんが、別れの日が近いのですから、お互い…後悔の無い様になさいね…」


その陰で、前世の朝霧にすでに婚約者がいると聞いて、優はすっかり落ち着きを失った。


(前世の朝霧さんは、春陽さんにとって、ただの幼馴染み。生まれ変わりの朝霧さんは、春陽さんの生まれ変わりの自分にとって、ただの臣下なのだから、婚約者や許嫁がいてもちっともおかしくない…)


(なら、どうしてこんなに動揺するんだ?)


(そうだ!ただ、自分とそう年が違わないの若さで、いくら武士と言っても朝霧さんがもう結婚すると言う事に少し驚いただけだ!)


(今も、あの時、婚約するかも知れない事を生まれ変わりの朝霧さんに聞いた時も…)


結局優は、自分の心の乱れをそう結論付け、早く気持ちを収めようとした。


































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