第53話もう一人の自分

「貴方は、まさか…春陽様!」



朝霧は、まるで夢を見ているかの様に呟いた。



しかし、今現実に目の前に居るのは、摩耶優であり観月春光でもある、名を二つ持つ男では無い。



その前世の観月春陽、その人だった。



再び、刃のぶつかり合う音が響く。



優の身体は、別人のようになって刀を操り、動きの取り辛い屋内で技を駆使して藍と近づき離れを繰り返し斬りつける。



うっ、げっ!なんて速さだ!



春陽に身体を乗っ取られた方の優の精神は、その激しい動きに驚愕しながら付いていけず、頭が乗り物酔いの様にくらくらする。



朝霧と立ち上がった真矢は、その豹変に愕然としたが、優、いや春陽が藍を睨んだまま叫んだ。



「貴継!飛ぶぞ!付いてこい!」



朝霧が、ふっと空気の揺れを感じた。



するといつの間にか神社の本殿の前にいて、真矢を部屋に残したまま、目前の広い空間で春陽と藍が刀を交差する。



刃が離れた瞬間を見計らい、ちゃんと側にいるか確かめる様に春陽が朝霧を見て視線が合った。



己の何もかも、全て絡め取られそうなその刹那に、朝霧の身体が芯から震えた。



「ハル!よそ見するな!」



激昂し藍が叫び、上段から襲い来て、それでも春陽がいとも簡単に受け流す。



強い…



しかも、俺を貴継と…



朝霧は、柄を握り直しながら春陽の横顔をあ然と目で追う。



そのうち春陽と藍は、考えられない跳躍力で後ろへ下がった。



この騒ぎを回りのマンションやビルの人目から隠す様に、本殿から白い霧の様なものが放出されている。



神社を護る様にやがて辺りが霞み異様な雰囲気になり、刃の音も響かなくなっていた。



「藍…私もお前に通告してやる。私は一人で戦っていた訳じゃない。例え過去で私を消したとしても、私じゃ無い、他の誰かが必ず都倉と戦った。どんなにお前が都倉を護ろうと無駄なんだ…それ程、都倉は人々に憎まれた。最終的にはきっと歴史は変わらない…」



春陽が中段の構えから、藍に剣先を向け目を眇めた。



「通告は、それだけか?負けを認めたか

?グダグダ言わず、大人しく一緒に来た方が利口だぞ。ただし、そこのもう一匹の駄犬は、ここに捨てて行け、ハル…」



高慢に鼻で笑い、藍が朝霧を見た。



「負けを認めた?そんな事ある訳ないだろう…それに、もう一つ通告だ!私のものを駄犬呼ばわりするな!」



私のもの…



その春陽の言葉に、朝霧は激しく動揺した。



分かっている…



春陽にとっても春光にとっても、前世の自分も今の自分もただの臣下でしかない…



けれど、けれど…



春陽の生まれ変わり、春光にも今の自分をそう言って貰らえたら…



朝霧は、惑乱させられる気持ちを抱いた。



だが今は、こんな事を考えている時では無いと振り切ろうとした時、春陽が再び藍に向かい走り出し斬りかかる。



朝霧同様、私のもの…と言葉を聞いた藍も何故か一瞬動揺が顔に出たが、攻撃を避け高く飛び、逆に頭上から春陽に刃を振り降ろした。



「ハル!」



叫び助けに走った朝霧だったが、霧の中から邪魔が入る。



ついさっき路地裏で藍と話していた男がスーツ姿で、朝霧の左肩を斜めに狙い袈裟斬りでかかってきた。



「ハル!」



こんな男を相手にしている場合では無いと焦りながら尚叫び、朝霧が視野が悪い中男の刀をかわし激しく応戦する。



スーツの男は、冷静そうな表情の下焦っていた。



それは、つい先程、路地裏で主である藍と話した歪みに関する内容に起因している。



「藍様は、今、過去にやった刺客の行動をお止めになっていると伺いましたが…」



あの時、男は、再び彼に背中を向けた藍にそう問うた。



「そうだ…今の私の身体では、あの歪みを通り行けるのはこの世界まで。だが、声だけは過去に送る事が出来るからな。この世界で私が今のハルの血と生気を吸ってから刺客には行動させる」



「そうでございますか…しかし、ここに居る春光の身体は魂の具現化。本体は荒清にあるのでは?」



フンっと藍が笑った。



「むしろここに居るハルの方が本体だ。こちらのハルを先に喰わなければ意味が無い。荒清にあるただの肉の器も、無論後で喰うがな…」



そう藍は言い、更に続けた。



「だが、予定が狂って時間が無くなった。あの古巫女、歪みを無理矢理一度閉じるつもりだ。予想だと、明日の昼前には閉じる…だから、今から人間何人か喰らった後今夜、行く」



「はっ!」



男は、深く頭を下げた。



「しかし何故、あの観月春光の血と生気と肉にそれ程の強い力があるのですか?」



控え目に尋ねた男の質問に、藍の纏う気が危険なものを孕んだ。



藍はゆっくりと男に振り返る。



余計な事は聞くな…



その冷淡な瞳は、そう言っていた。











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