第9話帰還

優には、道中見る物が全て新鮮であり、歴史の教科書でしか見なかった江戸時代のような世界は何処か懐かしくも見えた。


不馴れな馬上だったが、西宮と定吉が体を常に気にしてくれていた上に、以外と朝霧と観月も愛想は相変わらず無いが、よく観察すると色々と目配せしてくれているのが分かり、体調を崩す事は無かった。


優は、ふと、時折気づけば朝霧を特に気にしている自分に気づいた。


そして、何故彼をよく意識するか考えてみた。


朝霧の、男らしい体躯と顔、そして立ち振る舞い。


身体も華奢で女顔、馬も乗りこなせなければ、スポーツもしない武道の覚えも無い自分。


他の三人も男前で武芸に長けていそうだが、自分にとって親しみ易い、そして距離の近い西宮や定吉、貴族然として余りに遠すぎる所に居る観月に比べ、朝霧は、優自身の男としてのコンプレックスを刺激するのだと思った。


比較して、どうしても自分が恥ずかしくなるんだよな。だから、すぐ赤くなったり、動揺するんだ、きっと…


朝霧と目が合いそうになると、その前に外らす。


そんな事を繰り返す。


だが、一つ気になったのは、朝霧と観月の間に、寒々しい空気が流れている事だった。


二人は一切目を合わさず、必要な事以外会話も無い。


きっと、自分の事で揉めた事が尾を引いているのだと、優は苦々しく思うが、二人に何を言えばいいかが分からなかった。


一晩旅籠に泊まったが、他は休憩以外馬を駆け、翁の家を出た次の日の昼過ぎには無事荒清神社のある町に入った。


長く賑やかな参道は、参拝者や町衆の安全の為、人を背に馬を歩かせる決まりがあった。


道の両方には、間隔を開けて和風の装飾をしたガス灯の様な物が幾つも建っていて、優が観月に尋ねると、この世界ではすでに力のある家や地域には、西洋から入ったガス灯が使われていると言う。


「おお、観月様じゃ!」


「朝霧様のお通りじゃ!」


「西宮様と、定吉様も居られるぞ!」


時折、参道の土産物屋に働く人々が口にし、お帰りなさいませと四人に声を掛ける。


四人は表情を崩す事無く、軽く頷いたりしながらそれに答えたりした。


「あの、観月様の前に居るのはどなただろう?」


優の耳に、何回かそんな声が入る。

彼が少し回りを見ようと笠を上げると、観月に止められた。


「笠を上げるな、出来るだけ顔を見られるな」


もう、何度目の注意だろうか?


すると、ヒソヒソと、衆人の声が優の耳に入った。


「青い目だ、青い目をしている」


すっかり忘れていた事を思い出し、優は目深にそれを被り直した。


翁が言った通り、旅の途中やこの町も、人の集まる所には様々な瞳の色の異国人が居た。


だが、それでも少数派の優の瞳は異質なのだ。


観月は、自分の目を余り良く思っていないのではないか?


優は、注意される理由がそこではないかと秘かに思う。


ただひたすらまっすぐで大きな道に、沢山の人や馬が行き交う。


その中に、優は強い視線を感じて

思わず前を見た。


あまり見るのも変な感じがしてすぐ視線を外したが、鮮やかな茜の着物を着た美しい少女が、彼を一心に見ている気がした。


観月の馬が通り過ぎると、少女は次に西宮をじっと見た。


彼はそれにすぐ気付く。


視線が合うと、彼女は頬を薄っすら染め笑みが零れかけた。


だが、西宮が表情も固くすぐ前を向くと、彼女は悲し気に後ろを向き、付き人の男とその場を走り去った。


優が荒清神社に到着すると、その敷地に入った瞬間から、その余りに清らかな気が、ここが俗世界と完全に分かたれていると感じさせた。


なだらかで上げ下げの余り無い広大な土地に巨大で豪華な社殿と、敷地に流れる澄んだ長い川と周りを囲む深い森。


この辺りも、現代の東京の地図に合わせると都心に近い。


現代でこれだけの土地を持てるというのは限られてくるだろう。


観月達は、境内にいる参拝者を避け、門番の守る関係者しか入れない裏門を通り奥へ進む。


人々のざわめきはやがてすぐ消え、馬の歩く音と風が揺らす木々の音、鳥の鳴き声だけになった。


やがて大きな舎殿の前に、沢山の古式ゆかしい装束姿の神職が左右に別れ、道側を向き立っていた。


玄関に到着し、先に降りた観月に続いて降りようとした優は、彼に下から抱き上げられて降ろされて、恥ずかしさにアタフタした。


観月や朝霧達とは、少ししか年が違わないと思うが、彼等の逞しさと比べると、まるで小さい子供扱いに見えたからだ。


そんな優を尻目に、神職達は静かに頭を下げた。


ただならぬ雰囲気に優が引いていると、右の一番先頭にいた神職が声を発した。


「お帰りなさいませ、頼光様、そして、春光様…」


人当たりの良さそうな青年だった。


「入るぞ」


草履を脱ぎ観月は、優の手を取りグイグイと舎殿の奥へ入って行く。


そして朝霧達も続く。


何処までも続く長い廊下には紅い上質な絨毯が絶える事無く敷かれ、両脇には、白い上衣に朱の袴の若い巫女達が何人も平伏していた。


その様子は圧巻で、優はただ目を丸くして引っ張られて行く。


暫く歩き、建物と建物を結んでいる廊下を渡ると、ここからが観月家の私邸になると、主の観月自身に教えられる。


しかし幾つ部屋があるんだろうと考ながら更に更に行くと、突然奥まった所の襖の前で止まる。


「入るぞ!」


観月がさっと開け放つと、目の前には布団に横になる老女と、その横に美しい巫女、彼女の横にも幼いおかっぱの女の子が居た。


「お帰りなさいませ」


そう巫女が言うと彼女と幼女は、姿勢も美しく頭を下げた。


巫女のとても冷静そうな美貌と発声は、どことなく観月に似ている。


「待っていた主を連れて帰ったぞ」


観月も布団の傍らに胡座をかくと、目で優にも座るよう合図した。


朝霧達は、入口近くの襖寄りに正座した。


「この日を、今か今かとお待ちしておりました。春光様」


仰向けで目を閉じていた老巫女は、首を右に倒し瞼を上げてゆっくり優の方を見た。


「横になっているこの者が、お前が春光だと予言した巫女、尋女(たずめ)だ」


観月が静かに言った。



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