第57話 KEEP OUT
長い黒髪を赤いリボンで纏め、ピンクのワンピースを着た少女。その手に持つのは、ウサギのぬいぐるみ。
しかしウサギの耳を掴んでは、地面に引きずらせる行動。ぞんざいな扱いを受けては汚れも多く、ぬいぐるみも悲しそうな顔をして見える。
……迷子。……なわけないよな。
屍怪が徘徊している雁来大橋に、一人で歩く小さな少女。
年齢は五歳前後だろう。身長は自身と比較し、腰まで程度と低い。それにとても細身で、体全体も薄く見えた。
「大丈夫? 俺は普通の人間だから、心配ないよ」
保護者の存在もなく不自然さを覚えるも、屍怪のようにいきなり襲ってくるわけでもない。
それに一見して怪我をしている場所もなく、感染しているかも判断できない。雁来大橋には多くの車が残されているため、隠れていた可能性も考慮した。
反応なしか。どうするかな。
少女に返答はなく、対応に困った。普通の人間であるならば、このまま放置するわけにも行かないからだ。
「おい! 蓮夜! 何をやってんだよっ!!」
右方にいたはずの啓太が、少女の背後に現れた。とても焦っており、何かを警告している様子。
「ウガアアア」
途端に少女はぬいぐるみを捨て、手を伸ばし始めた。
赤黒く汚れた歯を見せ、唐突に迫る形相。今まで対峙してきた、屍怪の様である。
マジかよっ!!
警戒の薄れていたところで、突然の凶行に及ぶ少女屍怪。タイミングも悪く、即座に対応できなかった。
「ヒュン!」
僅かに聞こえた、風切り音。少女屍怪の頭には、矢が突き刺さった。
「全くっ! 何をやっているのよっ!」
矢を放ったのは、トラック上のハルノ。対応の悪さに焦り、怪訝な顔をしている。
「どうしたんだよっ!? 蓮夜!? らしくないじゃん!!」
中央分離帯を越え駆け寄ってくる啓太は、何事かと不思議そうな顔をしていた。
「この子が感染しているか、わからなかったんだ。怪我をしているようにも、見えなかったから」
倒れた少女屍怪の背には、皮膚なく中身も無い。
「雁来大橋には、屍怪が徘徊しているんだぜ? 子どもが一人で、歩いているわけないじゃん」
啓太の話す内容は、全て最もである。保護者なく子どもがいるなど、今は考えられない現実だ。
「とりあえず、みんなの所へ戻ろうぜ。橋の大掃除で、疲れちまったじゃん」
戦闘による疲労感から、啓太は肩を回していた。
雁来大橋における、屍怪の掃討も一通り。みんなが集まる、トラックの方へと向かった。
「ちょっと! 何をやっているよっ! あのままだったら、危ないじゃない!」
トラック前に戻ったところで、飛んできたのはハルノの叱責。
「……悪い」
「もうっ! しっかりしなさいよねっ!」
ハルノは啓太の叫びで、異変に気づいたとの話。一歩でも間違えれば、取り返しのつかぬ事態。
ハルノの怒りも、当然。注意を素直に、受け入れる他なかった。
「バンッ! バンッ!」
雁来大橋を進む中で聞こえてきたのは、残された車から窓を叩く音。
汚れた窓を通して見えるのは、屍怪と化した者の姿。噛まれた後に車内へ逃げ込み、今の状況に至るのだろう。
「バンッ! バンッ!」
それからも何度か、車の窓を叩く音は響いていた。予想以上に、残されている者は多いようだ。
雁来大橋の端まできた所で、目に映ったのは【KEEP OUT】と書かれた黄色いテープ。張られていたのは、立ち入りを制限する警戒線。一般車両を通さぬよう、横向きに止められた自衛隊車両。橋を渡った先には、パトカーのみが停車している。
「雁来大橋を封鎖して、屍怪の侵攻を防ごうとしたんだろうな」
自衛隊車両の周りには、黄色いテープが無惨に散らばっている。見るも間違いなく、屍怪の侵攻を防げなかったようだ。
「それよりよぉ! ここから先は車もなくて、道路は空いてるじゃん!」
啓太が見つめる先は、警戒線の外側。自衛隊車両の影響もあって、一般車両の姿は一台もない。
「これより先は、車が使えるんじゃね!?」
啓太は兼ねてから切望していた、車での移動を提案した。
「それも良いかもしれませんね。岩見沢までの道のりは、まだ遠く長いですし」
事情が変わったとなれば、美月も賛同の意思を示している。
それは彩加に葛西さんと、同様。帰路へつくのに楽をしたいのは、誰しも同じことであった。
「と言うか、誰か免許を持ってるのかよ?」
札幌の街を進んでいたため、棚上げしていた問題。
「持っているわけないでしょ。私たち、高三になったばかりよ。取れるわけないじゃない」
ハルノの答える通り、年長の三人で高校三年生という現実。
しかも事態が始まったのは、四月。免許を取得できる期間など、どう考えてもなかった。
「まあ、それはよっ! 免許がなくても、なんとかなるんじゃね!? オレはレーシングゲームが得意だし! 無免許運転だって、よく聞く話じゃん!」
啓太は運転することを、とても軽視していた。
ゲームの知識と、軽率な他者の話。運転を舐めている者の、最たる例である。
「啓太の話は、あまり当てにならないわね。それでも車が動くかは、試してみる?」
運転手の話は保留にして、車の動作を試そうとハルノ。雁来大橋を渡った先にある、パトカーのエンジンを起動させることにした。
「キュル! キュルキュル!」
鍵が残される車両で試すも、何度やっても響くのは虚しい音。
「全然エンジンがかからないじゃん!! クソッ!!」
啓太はハンドルを叩き、怒りをぶつけている。
「これだけパトカーがあるんだ。試せばどれかは、エンジンがかかるだろ」
雁来大橋の先にあるパトカーは、警備のためか十台以上と多い。一台が動かずとも、他が動かぬ道理はなかった。
「みんなで手分けして、試してみようぜ。屍怪に気をつけてな」
パトカーを回り始めて、十分後。それぞれに確認を終え、雁来大橋の前へと集まった。
「全てのエンジンが動かないなんて。不思議よね。何に問題があるのかしら?」
「故障だとしても、どうにもできませんし。車を使うのは無理そうですね」
ハルノと美月の話す通りに、パトカーは全て動かなかった。
燃料切れというわけでもないので、素人目では原因の特定は叶わず。仮にわかったとしても、整備士でもなければ対応できないだろう。
「結局は、歩いていくしかなさそうだな」
打つ手なしの状況となっては、全員がすでに諦めの空気となっていた。
「諦めるの早いんじゃね!? もう一回やったら、動くかもしれないじゃん!!」
啓太はただ一人で、場の空気に逆らっていた。
しかし何度やっても、エンジンは起動せず。未練に引きずられる行動は、制止するまで幾度となく続けられた。
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