番外編 南郷剛8
警戒しながら廊下を進み、突き当たりとなる階段前。横の通りと交わる場所になるも、狂人の姿はなかった。となれば保健室を目指し、階段を下りていく。
校舎の二階に位置する場所。本当なら無用であるものの、やはり様子は気になった。
結構な荒れ具合。
階段前の廊下からは、理科室前の様子が見える。
そこには割れて輝くガラス片に、顕微鏡や三脚台と実験道具。他にも椅子や鞄と、様々な物が散らばっていた。
今までで、一番の酷さだ。
しかし一番の酷さという感想は、すぐに改められるのだった。
一階の階段下にあったのは、歪な形をした血溜まり。相当の時間が経過しているようで、すでに乾いている。
「ねぇ。これって血だよね? どうしてこんな場所に、血が付いているのかな?」
唐突に現れた血溜まりに、一ノ瀬は戸惑って見える。
「状況は、わからないが。狂人が関係しているのかもしれない。血は乾いているから、かなりの時間が経過しているようだが」
現場を見る限り、この場で何かあったのは明白。
それには狂人が関係している。根拠は乏しいものの、そう考えるのが妥当に思えた。
「今は他人との接触を、避けたほうが良いかもしれませんね。先生の言う、狂人かもしれませんし」
提言する田北君の言葉を胸に、三人は一階の地を踏んだ。
血溜まりからは引きずったかのよう、血の線が何本も伸びている。それは右手にある、職員専用の出入口とは反対。校内の廊下へ向かい、長く続いていた。
ここまで来れば、保健室は目と鼻の先だ。
前方には事務室があり、職員室に保健室と続いている。問題なく事務室前を過ぎたところで、ようやく職員室前まできた。
「ねぇ。モジャ先生」
「ああ。わかってる」
袖を引いて訴える一ノ瀬の言いたいことは、言葉にせずとも理解できた。
狂人か。負傷者か。どうやら何者かが、職員室へ入ったようだ。
血溜まりから伸びていた血の線は、引き戸が開いたままの職員室へ入っている。しかし職員室前まで来たとなれば、車の鍵にハザードマップも入手したい。
「職員室には欲しい物があるから。様子を確認して見るよ」
生徒たちに一言を発して、様子の確認を行う。顔を僅かに傾けて見る職員室は、殺人現場のよう凄惨な有様だった。
目前に転がっているのは、腹が暴かれ肉片が散らばる死体。腐敗が進んで変色に異臭も酷く、死後数日は経過しているようだった。
……なんとも惨たらしい。見ているだけで、気持ち悪くなりそうだ。
できれば生徒たちは、見ないほうが良いだろう。
目を疑う光景に言葉を失うも、現実を直視しなければいけない。意を決し安全確認のため、再び職員室の全体を見る。
職員室の窓際には、歩き回る人がいた。背を向けているため、顔は確認できない。見える後頭部の髪は薄く、円形状に禿げた頭。身長は一般男性よりも低く、体格も細身で小柄である。
後ろ姿なので、顔は見えないが。きっと私は、あの人物を知っている。
容姿や体格に、服装や雰囲気。どれもこれも、心当たりとなる人物がいた。
それは学校の視察にあたって、校内の見回りを命じた者。時には『もっと教師として威厳を保つようにっ!』と、指導をした人物。
……間違いない。
人物が振り向いたことにより、心当たりは確証へ変わる。
額に刻まれた深いシワに、鼻の両脇から伸びるほうれい線。黒い眼鏡を掛け、灰色のスーツ。息子から貰ったと自慢をしていた、青のボーダーネクタイ。
あれは、教頭だ。
服装や言葉遣いに人一倍厳しく、生徒や同僚の教師に。もちろん自分自身にも、妥協をしなかった教頭。
しかし今や、口周りは血に汚れ。服装も崩れて乱れ、血痕で赤く染まっている。
もしかして教頭も、正気を失っているのか?
殺人現場のような職員室を、不規則に歩き回る教頭。
その目的は、想像不可。警察に通報するわけでもなく、行動は明らかに異常であった。
教頭も狂人と同じとするなら、引き戸を閉めたほうが良いか。
教頭が狂人化していると、仮定した場合。職員室の引き戸を閉めれば、出られない可能性はある。
しかし引き戸を閉める音に反応し、動き出す可能性。さらには開けてくる場合も、考慮しなければならないだろう。
教頭は私たちの存在に、気づいていないようだし。ここは刺激を与えず、通過したほうが良さそうか。
「いいか。二人とも。職員室は、見ないほうがいい」
通過することに決めて、生徒たちに注意を促す。
「職員室に何かあるんですか?」
「えー。あたしも気になるなぁ」
それでもやはり、田北君と一ノ瀬。両名とも興味や好奇心は、当然に捨てられなかった。
さすがに、誤魔化すわけにもいかないか。職員室には教頭に、死体が転がっているんだ。
言わずに気づかれれば、騒ぎになる可能性がある。それこそ教頭を、刺激するに他ならない。
「最初に言っておくが。大声で叫んだり、騒がないように。気をつけてくれ」
職員室の状況を説明することにし、騒ぎにならぬよう前もって釘を刺す。
「わかりました」
「了解!」
返事をする田北君と一ノ瀬は、とても聞き分けが良かった。
「職員室へ入ってすぐの場所に、死体が転がっているんだ。それはもう言葉で表現できないほど、凄惨な現場になっている」
話を真剣に聞いて、息を呑む二人。事の深刻さに、緊張感が一段と増した。
「とても気分が良いものではないから。二人は見ないほうが良いと思ったんだ」
こちらの配慮を素直に受け止め、二人は静かに話を聞いていた。
「あと職員室に、教頭がいる。だけどあれは私たちの知る、教頭ではないと思う」
確定ではないものの、普通の教頭ではない。根拠となるものは乏しくとも、心の内では確信に近いものがあった。
「様子がおかしかった河田先生。伊東を襲った人。先生の言う、狂人みたいな感じですか?」
疑問を抱いた田北君は、率直な意見を述べて問う。
「否定はできない。しかし教頭は、私たちの存在に気づいていないようだから。物音を立てず通過して、保健室へ向かおうと思う」
職員室には車の鍵に、ハザードマップと欲しい物がある。
しかし今は何より、薬が優先。それに二人の安全を考えれば、通過するほうが賢明に思えた。
これなら大丈夫そうだ。
再び見る職員室では、教頭が窓際を歩いている。左右に肩を揺らし、視線も他方を向いて。
「姿勢を低くして、素早く進むんだ」
先行して職員室前を通過し、二人を静かに呼び寄せる。
指示通りに一ノ瀬と、田北君も通過。無難に職員室を避け、保健室へと到着した。
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