第19話 殺す覚悟
「ヴウゥゥゥ…………」
呻き声を漏らし、迫りくる畑中さん。
「畑中さん!!」
「嘘でしょ!? 畑中さん!!」
美月とハルノの呼びかけにも、応じることはない。
「二人とも。下がってろ」
身を乗り出し訴える行為は、もはや無意味であった。
覚悟をしてなかった……わけじゃない。
社会には秩序というものがあり、それは道徳や法律。警察などの公権力によって、地道に維持されてきた。
日常的な暮らし。平和や安全。自由。それらは築かれたシステムの上で、上手く成立していたと言って良い。
今ここに、助けてくれる人はいないんだ。
歯車がかみ合った上での、薄氷上の恩恵。行使という部分では、大半を実務者に頼っていた。
現実と理解していても、当事者としては非現実。実感の薄い世界。
現在の状況下においては、自ら動くしかねぇんだっ!
刀を抜刀し、畑中さんに向き合う。それは『斬る』という、覚悟の表明だった。
屍怪と化した、畑中さん。虚となった生を終わらすべく、全身全霊で刀を振り斬った。
「くっ……」
室内には夕日が差し込み、色濃く影が映し出されている。壁に伸びる畑中さんの影は、首元から血しぶきを飛散。頭部は床に落ち、体も力なく崩れた。
そして床に倒れた畑中さんは、もう二度と動くことはなかった。このとき本当の意味で、覚悟を決めた。屍怪となった者を、殺す覚悟を。
***
畑中さんの死から、二時間後の十九時。太陽は地平の彼方に姿を落とし、外からは月明りが照らすのみとなった。
テーブルには、灯されたランプが二つ。事務室以外は暗闇に包まれ、今は廊下を歩くことさえ困難だろう。
畑中さんを斬った感覚が、まだ手に残っていやがる。
畑中さんの死後。事務室へ戻り、ソファに腰を下ろした。隣にハルノが座り、対面には美月と老人。啓太は上座で、夕山は背を本棚に預け立っている。
どんよりと漂う、重苦しい空気。誰もが口数少なく、感傷的な雰囲気に包まれていた。
薬を探す必要は、もうない。
畑中さんの死に、心を痛める場面。しかし気持ちの切り替えを終え、これから先。新たな局面に対し、考えを巡らせていた。
「やれやれ。こんな事で一々通夜みたくなっていたら、これから先をやっていけないよ?」
沈黙するだけの時間に、夕山は苦言を呈した。
「ちょっと! あんたねぇ!! 人が一人! 死んだのよっ!? 少しは悲しいとか! 思わないわけっ!?」
発言に憤り、反発するハルノ。
「そうですよ!! もっと他に! 言いようがあると思います!!」
同調して美月は立ち上がり、発言を改めるよう求めている。
「言いようも何もさぁ。人なんて、そこら中で死んでるよ。もっと現実を、見たほうがいいんじゃない?」
しかし何食わぬ顔の夕山は、まるで動じていなかった。
それどころか返す言葉は、火に油。感情を逆撫でする言い振りに、ハルノは憤りを隠せずいる。
「ちょっと! 蓮夜も何か言ってやんなさいよ!!」
対応に困ったハルノは、意見するよう求めた。
ここで俺に振るのかよ。まぁ夕山の言い方には、問題あると思うけど。
でも夕山の言うことにも、一理ある気がするな。
今日だけで、医大生の畑中さん。駅員の松田さん。シェルター生活を牽引してきた、二人が死んだ。
それに南口前では、もっと大勢が襲われていた。犠牲者となった数は、見える範囲より多いだろう。
今日は運良く、乗り切ったけど。明日はどうなるか。わからない。
油断をすれば、きっと二の舞だ。だから、今は。生き残ることを優先に、考えなくちゃならねぇんだ。
「畑中さんのことは、悲しいけど。今はその話しで、言い争いをしても仕方ないだろ。俺たちは何よりもまず、自分たちが生き残ること。それが重要なはずだ。だから、これから先。明日をどうするかについて、考えたほうが良いと思う」
過熱しそうな空気の中で、思い切っての話題転換。
「まぁ。蓮夜の言う通りじゃね? 生き残ることが重要なのは、事実だし。それなら先のことを話し合ったほうが、どう考えても建設的じゃん」
沈黙していた啓太も、話題転換に加勢。話の潮目は完全に、変わったよう感じられた。
「そうですね。少し感情的になりました。今は明日をどうするか。考えたほうが、良いかもしれませんね」
立ち上がった美月は、冷静さを取り戻し着席。ハルノは不服そうに頬を膨らますも、当てどころを失って口を閉じた。
それからは今後についての、話し合いになった。屍怪に遭遇すること。戦闘になることは、必然。避けられないだろう。
「それなら武器が必要なはずだ」
手元にあるのは刀に、夕山が所持する鉄パイプ。あとはハルノと啓太が持つ、モップが二本。
屍怪と対峙するには、どう考えても心許ない装備。そのため世界の武器展示会へ行き、武器を調達することに決まった。
「展示会のあとだけど。俺は
同心北高校。部活があるからと、彩加が向かった場所である。
「同心北高校って、ここから近いの?」
「そうですね。同心北高校でしたら、そこまで遠くないはずです。距離だと三・四キロ。歩いて行ける距離だと思います」
ハルノの問いには、美月が応じ答えた。
「いいんじゃね? どうせ帰り道じゃん。彩加ちゃんも、知らない仲でもないし」
肯定的な意見の啓太は、単に帰り道と話す。しかし実のところ、そうでもない。
同心北高校へ向かうには、北区の市街を進まなくてはならない。それは岩見沢へ帰るに、最短とは言えない道。帰宅を急ぐなら、他の選択肢もあるだろう。
「良いのかよ? 真っ直ぐ岩見沢へ帰るより、遠回りになっちまうぜ?」
直接みんなには、関係のない話。一人で行くことも、やむを得ない。そう考えて話した。
しかし誰一人として反対意見はなく、満場一致で同心北高校へ向かうことに決まった。
「まぁ僕の目的地は、最初から
夕山が住む場所は、北区奥の琴似。向かう先は同じであり、道中都合が良いようだ。
あとは明日。周辺に屍怪がいなくなれば。と思いつつ、事務室の片隅で眠りについた。
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