第7話 二人に訪れた転機

二人は会社に入社して半年が経過し、使用期間が終了を迎えた。そして、それぞれの会社の社員として働いていくことになる。特に大きな動きはないが、彼らにちょっと悩ましいことが起きていた。それは、涼真の会社では入社二年目に海外の支社への出向業務を最低二年間経験することになっており、その期間は五カ国にある海外オフィスのアパートに住むことになるため、明莉とは離ればなれになるのだ。もちろん、まだ同棲していないため、彼女と一緒に住んでいるわけではないが、自分の住居を管理するためにどうすればいいのか分からなかった。しかも、在籍資格は日本の会社に残っているため、こっちのアパートは解約することができない。ただ、出向している期間は会社側で家賃総額の六割は負担してもらえるが、帰国することができるのは年末年始だけでその他の期間は帰国できないため、室内清掃などをどうするか決めかねていた。


 しかも、彼女は自分のアパートから電車で三十分もかかるため、僕の部屋を管理してほしいとも言えない。まして、彼女は独身イメージで活動しているため、そのようなことを頼んだことで、厄介な問題に発展しても困ってしまうのも悩みどころだった。


 一方、彼女は会社にも通勤の風景にやっと慣れてきたときに知りたくないことを知ってしまう。それは、「友人である愛加のお父さんが危篤状態になり、意識が戻るかどうか分からない」という連絡だった。以前にお見舞いに行ったときもなんとか意識を取り戻している状態とどこか息苦しい状態が交互に襲ってきていたとは聞いていたが、まさか意識が戻らなくなってしまうとは思ってもみなかった。


 そして、彼女もまた選択を迫られることになった。それは芸能活動をする上で重要な事務所の問題だった。ある日、彼女の家に通知が届いた。宛名は彼女が所属している事務所からで、中を開けると給与明細と源泉徴収表などの書類が入っていて、その中に封入リストとは別の普通紙サイズの文書が入っていた。そこには目を疑うような内容が書かれていた。その内容は「当芸能事務所は年内を持ちまして大手の芸能事務所に吸収合併されることになりました事をご報告させていただきます。つきましては所属先の変更が必要になりますので、現在使用している名刺、身分証、給与振込先等の使用は十二月三十一日までとさせていただきます。一月一日以降は現在使用している公的書類はすべて使用不可となり、後日、名刺と身分証をご自宅宛てに送付させていただきます。」というものだった。


 実は彼女の所属していた事務所は経営が傾いただけでなく、社長や一部タレントが起こした問題に関するスキャンダルが出てしまったことにより、事務所への信用が失われて、オファーの数が激減してしまったことにより転籍を希望する所属タレントが増加したため、事務所の運営に必要な定数を確保できなくなった事も要因だと感じていた。そして、数週間前に会社に呼び出された際に感じた違和感もまさかこのような状況になる事の前兆だったのかもしれない。しかし、このことをかなり取り込んでいる涼真に話すわけにはいかなかった。なぜなら、彼が彼女の活躍をうれしそうにしていた姿を思い出して、なかなか言いにくかったのだろう。


 そして、年末に二人で会うことになっていたときにお互いの近況を話し合った。というのは、涼真の出向先がアメリカのニューヨークに決まり、彼女も兼業しながら活動したいと考えていた。そんなときに彼の口から「アメリカに行っている間も無料通信アプリでやりとりをしよう。」と言ってきたが、彼女にはある不安な出来事がいくつもあった。それは、最近見知らぬ人からストーカー行為をされているように感じることが増えていった。ある日、出社する際も見たことのない車が彼女のマンションの前に止まるようになり、別の日には彼女が会社を定時で退勤した際に後ろから人の気配と自分に対する視線を感じていた。


 そして、彼女はそのことを事務所と警察に相談したところ、似た手口の行為が彼女の他にも複数件発生していることが分かった。そして、彼女のことを追っていたのはそれらの複数件の犯行手口とは異なっていたため、別件で処理され、毎日私服の女性警官が彼女と共に同伴することになった。その後、男性警官が検証するため、証書に基づいて捜査を始めた。


 数週間かけて検証した結果、彼女はファンの男性に追い回されていたのではなく、週刊誌の記者が彼女の事務所のスキャンダルを撮るために張り込みをしていたのだった。しかし、検察官から彼女には「こういう行為を取り締まるためには肖像権の侵害や私的プライバシーの侵害などの法的に侵害することがなければ逮捕も起訴もできないことになっている」というのだ。しかし、そういう行為は本人もしくは事務所側に同意をもらわなければ掲載することはないため、実際に掲載することは難しいとみられているが、彼女にとっては学生時代にされた同じ事をされた苦い過去を思い出してしまったのだろう。ただ、事務所からは数日前に「こういう行為を撮られることのないように注意するように」という通達が所属者全員にメールで注意喚起されていたのだった。


 お互いに結婚に向けて準備を進めていただけにこれらの出来事は二人の関係に大きな影響を与えかねないと周囲は感じていた。しかし、二人はそのような事案だけを抱えていただけでなく、もっと大きな問題を抱えていたのだった。それは、彼の経済的な問題だった。というのは、彼のアメリカ出向中は日本の本社勤務分の給料は基本給のみでその他の手当に関しては住宅手当が満額支給されるが、その他は減額されるため、給与としては数万円しか支給されない。しかし、彼がアメリカ出向中に支給されるのは二千五百ドル(日本円にして二十七万円)程あるため、彼が銀行に貯蓄し、日本に帰国するときに貯蓄口座へ入金することにしたのだった。しかし、彼にはアメリカへ行くに際して不安なことが日に日に増えていった。不安要素の一つとしては「彼女が自分と会えなくなる事で悲しまないか?」ということだ。今までは会えなくても週に一回は会えていたが、今度は年に一度しか会えない。その他にも彼女が会いたいと言っても簡単に会えるような距離ではないこと、航空券が高額なことなど彼女に経済的な負担や我慢させてしまわないか、休みが日本とは違うため、週末しか会えない可能性もある。だからこそ、出来るだけアメリカに渡航する前に何らかの形で思い出をたくさん作りたいと思っていた。それだけでなく、彼の中で煮え切らない部分があったことで正直なところ彼女との関係に迷いが出ていたのは事実だ。


 明莉も直前に知っただけにショックが隠せなかった。それだけでなく、彼と結婚することを前提に話をしていたのだが、延期しなくてはいけない可能性も出てきただけに彼女の心境の変化も大きなものがあった。そして、彼女は彼の渡航を撤回してもらおうとしたが、それは無理があった。なぜなら、彼にとっても彼女にとっても支え合っていた後ろ盾がなくなるということはお互いにとって支えを失うことと同じ事だ。それだけでなく、彼に会うには時差を考慮しなければならない。そのため、土曜日の深夜か日曜日の深夜しかなかった。それでは彼らにとっては幸せの時間になるのは間違いないが、彼らの夢の大きさを考えると難しい選択を迫られているようにも感じている。


 しかし、お互いにお互いの仕事を頑張らなくてはいけない気持ちが芽生えたのか、遠距離恋愛になってしまうのを承知で頑張ることにした。


 そして、その話が決まった二ヶ月後に彼はアメリカへと出発した。彼女の見送れるように出発日を土曜日にしたのも、涼真らしい配慮だった。彼女は決心を決めたが、どこかまだ迷いが残っていたのか、他の友人が笑って見送っていた横で今にも泣きそうな顔で立っていた。


 これから明莉は日本で、涼真はアメリカでそれぞれの新年度を迎えることになった。これもまた二人の愛情が大きかったことが影響しているのだろう。

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