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「その幼稚園はずっと前からあるのですか?」

「いや、三年前にできたばっかだよ。それ以来、俺はずっとガキどもの声に悩まされてんだ」

「建設にあたって周辺住民の反対運動などはありましたか?」

「え? さ、さあ……いや、あったような?」


 と、ウロマの問いに鉄男はまた不自然に返答の言葉を濁らせた。反対運動なんて、なかったんだ……。灯美はやはり一瞬で察した。


「では、最後の質問です。石川さん、あなたはその幼稚園の騒音問題について、ご近所の方たちと意見を交換されたことはありますか?」

「いや、そんなことあるわけな……あ、あるに決まってんだろ!」


 と、またしてもしらじらしい答えの鉄男だった。ないんだ、と、灯美はやはり察した。


「なるほど。よくわかりました。あなたの感じている精神的苦痛がどれほどのものなのか」

「おお、そうか! ぴーてーなんとかの診断書を書いてくれるか!」

「いえ、それは無理です」

「なんだとう!」

「石川さんは別にPTSDではないですからね。おそらくは聴覚過敏ですよ」


 ははは、と、ウロマは軽く笑いながら言った。


「チョカクカビン? ふざけんな! お前も俺の耳がおかしいって言いたいのか! ガキどもの声は騒音だろ! 騒音ってのは公害の一種だろ! 社会問題だろ!」

「はい。つまりは公害と呼ぶべき騒音はどの程度かという問題です」

「どの程度?」

「石川さん、この画面をよく見てください」


 ウロマはパソコンのディスプレイを指差しながら言った。見ると、そこには件の幼稚園とその周辺の建物を上から撮影した航空写真が表示されていた。オンライン地図サービスの機能の一つだ。


「な、なんだこりゃ? なんでこんな写真がパソコンで公開されてんだ? スパイ衛星の仕業か? あんたまさか、この一瞬でスパイの秘密機関のデータを盗んだのか?」

「いや、これは普通に誰でも見れる情報ですが」


 いまどき地図サービスで全世界に公開されている航空写真にスパイうんぬん言うとは。さすが七十六歳である。発想がアナクロすぎる。


「いいから、石川さん、これをよく見てください。星夢さくら幼稚園の周りは、いったいどうなっていますか?」

「どうって、地図通りだろ」

「そうですね。幼稚園は大きなマンションと、小さなアパートと、道路を一つ挟んで、一軒の民家と隣接しています。すなわち、周りは民家だらけです……民家だらけなんですよ、ねえ?」


 と、ウロマはあえてその部分を繰り返し、強調した。


「で、石川さんのお住まいはどちらになるのですか?」

「ああ、ここだ」


 と、鉄男はディスプレイの一箇所を指差した。見るとそこは――なんと、一軒家の民家だった。


「ほほう。石川さんのお宅は、この位置なのですか。では、こちらに住んでいる方たちよりは、幼稚園の騒音被害は軽いはずですねえ?」


 ウロマはマンションとアパートを交互に指差しながら言った。確かにそうだ。鉄男の自宅の民家は、マンションやアパートに比べて、道路一つぶん、幼稚園から離れているのだから。


「にも関わらず、こちらの方たちは、幼稚園からの騒音に、何のストレスも感じていない――」

「な、なんでそう決め付けるんだよ! 感じてるに決まってんだろ! あんなにガキどもの声がうるさいんだからよ!」

「いいえ。あなたが僕のところに来られたということは、そういうことなのです」


 ウロマの目が鋭く光った。


「考えてもみて下さい。本当に、石川さんのおっしゃるとおりに、幼稚園から聞こえてくる子供たちの声が、公害レベルと言っていい騒音ならば、このマンションやアパートの住人たちが黙っていないでしょう。何らかの抗議行動を起こしていたでしょう。そして、すぐ近くに住んでいる石川さんにも回覧板などで、それに同調させようとする動きがあったはずです。そして、石川さんはそのビックウェーブに乗るだけでよかった。数は力です。周辺住人たちがそろって抗議すれば、幼稚園もなんらかの対策をとらざるを得ない。すなわち、騒音問題はもっとすみやかに、スマートに解決していたはずではありませんか? それが本当に公害レベルの騒音だったならば」

「う……」


 ウロマに理路整然と問い詰められ、鉄男は返答に窮したようだった。痛いところをつかれたという顔だった。


「結局、あなたが、僕のような怪しげな人物のところに、一人でのこのこやってきたということは、そういうことなのです。本当に、幼稚園からの騒音がひどいものならば、まずあなたの奥さんが、理解者となってくれたでしょう。続いてご近所の方たちが味方になってくれたことでしょう。つまり、こんなところに来る必要はなかった。来れるはずはなかった。ぶっちゃけここは、どーしようもない、デッドエンドな心境の人のみが来れる、穴場のカウンセリングルームなのです。知る人ぞ知る秘境の温泉的な」

「自分で言うか、それを?」


 さすがに鉄男はちょっとあきれたようだった。灯美も同感だった。商売としてどうなんだろう、その認識は。

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