婚姻の鐘と神の盾
「マリー、いつもの頼む」
「はい。頑張ってね、ステちゃん」
「もちろん」
グギギギギギギギギギギギギギギギッ!
三十メートル、オフィスビルでいうならば約九階建て相当に変化してしまったファイアーラット。
その大きさからみても常識で考えて等身大で対処できる相手ではないのが一目瞭然であった。
「始めます」
じっとステファリードを見つめるマリーベルが先ほどの月音と同様に急に歌い始める。
歌声に引っ張られるように周囲の空間から金色の光が蛍のように沸き上がりだし、徐々にステファの体を包み全身を金色に染め上げ始めた。
『え? ええ?! こ、これってリーシャちゃんや月音ちゃんと同じ歌の魔法?』
通信先で驚きの声を上げた沙羅。
『そういえば
マリーの歌はリーシャの子守唄や月音の童歌とは別の愛する戦士を鼓舞する戦歌。
周囲から少しづつ、しかしながら確実に力をかき集めるその歌がステファを金色に染めあげた。
「おいで、子ネズミちゃん」
ステファの挑発を理解したのかファイアーラットがその巨躯に似合わない速度で地をかけ木々を倒してステファへと牙を立てようとした。
だが、ステファが突き立てた双剣にあたると急停止しその間にまるで金属が擦れ合うかのような火花が散った。
マリーの唄が戦場に響き渡る。
「よく見ると可愛い顔してるじゃないか。さぁ、ボクと踊ろう」
剣を切り返したステファがファイアーラットの腹を双剣で袈裟切りにする。
通常の金属では切れない硬さへと変貌したファイアーラットの腹で火花が散り周囲を明るく染める。
体制を切り替えて再びステファに牙を向けたファイアーラットだがそこにはステファの姿はもうない。
姿が掻き消えたことに戸惑うファイアーラット。
「よく見てないと相手を見失うよ、かわいこちゃん」
ファイアーラットの後頭部にステファの双剣の攻撃が叩き込まれファイアーラットが地面にひれ伏した。
そのファイアーラットの背を蹴ってステファが少し離れた位置に立つ。
『相変わらずえげつない強さですね。あの二人』
呆れたようにぼやくアカリ。
『旧ロマーニにおいて戦略魔導機構が起動するまでの時間稼ぎと機構をファイアーラットの攻撃から守っていたのは主にあの二人でしたからね』
さも普通のように返答をしたシャル。
『えっと、怪獣と拮抗してませんか』
ここまで十全な状態での二人の戦い方を見たことのなかった沙羅も同じように呆気にとられた声を出した。
『マリーベルのソングマジックは環境の持つ力を強制的に徴収しステファリードに付与します。一定時間護るだけならあれで十分です』
『ひょっとして勝てちゃうんじゃ……』
『残念ながらそれは無理ですわね。深度三まで上がった怪獣は堅城鉄壁と高速回復を保有しています。それにMP濃度の濃いこの地方ではスタミナが切れることもないので何度でも起き上がってきます。むしろ経験を積みながら更に成長する可能性すらあります』
『そんな……』
そんな姉妹の会話の中、猛然と起き上がり再びステファに襲い掛かったファイアーラット。
「エクスッ!」
飛び掛かったファイアーラットをステファの剣の片方がとらえる。
パンッ!
同時に唄いながら両手を勢いよく合掌の形にしたマリー。
マリーの冒険者としてのタレント『ギガステイシス』が五分のクールタイムを経過して再び発動する。
そして時が止まる。
一秒、ステファが『ギガカウンター』をキャンセル。
二秒、ステファが剣の向きを下へ切り替えて滑らせる。
三秒、二刀目の剣をファイアーラットに当てる。
四秒、ステファのタレント『ギガカウンター』が三秒のクールタイムを経過して再発動する。
「カウンターッ!!」
自分が仕掛けた攻撃の力を二倍にされて受けたファイアーラット。
そのまま山腹まで吹き飛ばされ山の中腹にめり込んだ。
タレント、それは深度一のトライのスキルを冒険者カードを経由して貸借する特殊能力。
始まりはどのタレントでもクールタイム五分の日使用回数十回から始まる。
タレントは修練を積むことで強化され、キロ、メガ、ギガとランクが上がるごとにクールタイム、使用回数、威力のどれかを引き上げていく。
そして『完全反射』スキルを貸与するカウンターはその特性上威力を上げることができず、『時間停止』スキルを貸与するステイシスは発動条件の厳しさや威力を上げても秒単位でしか停止時間が増えないことから外れタレントと一般には認識されていた。
だが、その常識を覆した者たちがいた。
S級冒険者チーム<エクスプローラーズ>
それは歴戦の強者であるアルバート・レッドキングと苦楽を共にした冒険者パーティ。
そのリーダーであるアルバートと、カリス教にも所属していたソータがステファ達に身に付けさせたのは極振り一点集中の限界突破タレントと出来合いのもので臨機応変に戦う生存術。
本来であればクールタイムを考えれば成り立たないその戦術を可能にしたのはステファリードの両親譲りの優秀さに合わせてマリーベルが生まれながらに持っていた種族特性であった。
『それでその……なんでマリーお姉ちゃんはソングマジックを使えるんですか』
空気に呑まれつつ恐る恐る聞いた沙羅にシャルが簡潔に答える。
『マリーベルが
『ほう……らいじん?』
『ええ、あの子は昔、私がソータやアルバート達と一緒にレビィティリアの地下で発掘したのです』
地下の遺跡の中、周囲の壁に走るラインが緑色に光る。
軽快な音とともに入口の扉が開くとそこから三名が室内に入ってきた。
「ほう、これか。お前らが宝と呼んでいたのは」
赤い甲冑に赤い盾、燃えるような赤い髪の毛をした冒険者が後方に控える二人に声をかける。
「ええ、生きている遺跡があるという時点で可能性としては十分にあると思っていました」
その部屋は壁全体が光り輝くと同時に中央に据え付けられた巨大なシリンダーが動作し続けていた。
そこには全裸で水槽に入れられた少女が一人浮かんでいた。
その年頃は見たところのままであるならば四、五歳程度。
「アルバート、この子に見覚えはありますか」
「ふむ……確か一度紹介されたことがあるな。名づけをしてほしいといわれたので『マリーベル』と付けたはずだ」
銀髪に紫の瞳の少女がアルバートと呼んだ冒険者に話しかける。
「ではこの子が古代文明の……ソータ、何とかなりそうですか」
部屋に入ってきた三人目の男性、初老を超えた彼がおもむろにマントを翻らせるとその左腕にあるキーボード付きの端末に声をかける。
「なっちゃん、いけそうか?」
『装置自体は極めて正常に稼働しています。バイタル系は……正常ですね。ただ……』
なっちゃんと呼ばれた姿なき声に銀髪の少女が話しかける。
「ただ……なんですの?」
『長期間成長老化を抑制した影響かこの子自身に時間への強耐性が付いています。これはトライと同じでスキルが固着していますね』
なっちゃんの言葉にアルバートが興味の色を瞳に浮かべた。
「ほう……エターナル以外で時間特質もちか。実に面白いな」
面白がるアルバートに対し渋い顔をした銀髪の少女。
「古代文明、蓬莱の王族であるならその住居は先代の霊樹の中。ティリアの力を直接浴びているでしょうからほぼ間違いなくソングマジックが使えるはずです。その上、時間耐性持ちとなると血肉を滋養に食したいと考える輩も出てくることでしょう」
「「だろうな」」
銀髪の少女の独白に二人の男性が賛同した。
『そーなるとレビィティリアに据え付けてあった他の財宝や遺産はこの子を隠すための目くらましだったってことでしょうか』
「おそらくはそうでしょうね」
『見なかったことにして再封印しますか?』
しれっとなかったことにしようとしたなっちゃん。
対する他の三人は興味、困惑、そして感情の読めない表情を浮かべたまま黙り込んだ。
「ともあれ、レビィティリアの調査を進めるためにもこの施設は停止しないといけません。この子は一時、私の手元に引き取ります」
「いいのか?」
赤い眼鏡をかけたソータが銀髪の少女をぎろりと見ながら声をかけた。
「良いも何も他に選択肢はないでしょう。あなたのとこも例の四聖プロジェクトとやらで忙しいでしょうし……」
「俺なら問題ないぞっ! 蓬莱人なら生まれつき深度一は固いからな、この年からみっちりと仕込めば屈指の冒険者になるだろう」
胸を張るアルバートをスルーした二人。
「悪いが頼む」
「ええ、たしかに」
「おいっ! 俺はこれでも元保護者会の代表だぞ。ちょっとくらいはだな」
「どうせ冒険に連れまわすのでしょう、あなたのことですから」
「はっはっはっ! 当たり前だろう」
そんなアルバートに肩をすくめた二人。
『つくづく冒険馬鹿ですね、アルバート様は』
「褒めても何もださんぞ」
嫌味が通じないアルバートについに他のメンツが黙り込んだ。
『大体にしてどうしてアルバート様はそこまで冒険に固執するのですか』
シリンダーに浮かぶ少女を再度見つめながらアルバートが呟く。
「いつか星の海に母上を連れ出したくてな。今となってはもう叶わぬが」
「あなたが言うとシャレになりません。本気ですか、アルバート」
「無論っ! 付き合ってくれるのだろう、ソータ」
「気が向いたらな。それよりもだ、この全裸の子を連れてどうやって移動するんだ?」
再び黙り込んだ三人。
「今回はトマスには黙ってきてしまいましたしね、正面から運ぶのは難しいでしょう」
銀髪の少女がソータを見つめる
「メティスには素材集めのための狩りと言って出てきてるからな。バレたくないならうちの連中の手はかりれねーぞ」
ソータがちらりとアルバートを見るとすぐに首を振った
「俺に任せろ。肩に担いでダッシュで駆け抜けてやる。なーに見つからねば良いのだ」
『速報、エクスプローラーズのリーダー、全裸の少女を肩に担ぎ実験都市をダッシュで駆け抜ける』
にべもないなっちゃんコメント。
「ぬ、まずいか。いざとなれば月華王に頼んで記憶を改竄すればよいかと思ったのだが」
「そうぽんぽんと人の国の領民の記憶を改竄しないでくださいまし。はぁ……なんとか見つからない様に王都まで戻らないと駄目そうですわね」
ため息をつく銀髪の少女。
「ベヒーモスで穴掘ってもいいが時間がかかるしな」
「レビィティリアの直下にトンネル掘らないでくださいな」
「まぁ、そういうよな」
『レビィテリアごと王都に運ぶという手段も可能ですが』
「勘弁してくださいまし」
なっちゃん共々案を却下されたソータがアルバートの方を再び見た。
「アルバート、釘刺しておくが見つかったらアウトだと思えよ」
「なるほど。そういう縛りなのだな、あい分かった」
「わかってねーだろ」
「わかってませんね」
『絶対分かってませんよ、これ』
口々に文句を言うメンツの前に手をたてて静止したアルバート。
「つまりだ。ちょっとした冒険ってことだろ」
エクスプローラーズの第七期メンバーがいつも通りのアルバートの言葉に肩をすくめた。
肩のない一名を除いて。
『とりあえずアキラに連絡を取りましょうか』
「そうだな」
方針が決まると彼らは再びシリンダーを見上げた。
「ところでアルバート、なぜこの子にマリーベルと名付けたのですか」
「近くの庭でローズマリーを見たからな。それと呼び鈴のベルが目に入ったからそれでいいとおもってな」
遺跡に沈黙が流れる。
「テラでは結婚の際にベルを鳴らす場合もあると以前トライから聞きました。きっとマリーベルという名はそこからでしょうね」
「いや、だからな。ローズ……」
空気を読まず訂正しようとするアルバートの言葉をソータが遮る。
「だろうな。時間耐性持ちにベルというのも存外悪くないしな」
「呼び鈴の小さいベルがだな……」
「「うるさい(ですわ)、アルバート」」
黙ったアルバート。
『アキラと連絡が取れました。近くまで迎えに来てくれるそうです』
「よし、ではこの少女を誰にも見つからない様にロマーニ王都の地下まで運ぶ。全員それでいいな」
二人が頷いたのを見たアルバートが指を鳴らす。
「ミッション、スタートだっ!」
それから五年後、ステファリードとともにマリーベルはエクスプローラーズに参入し第八期メンバーとなった。
「エクスッ!」
少女と化した夫の為、マリーベルは声に合わせて合掌し時を止める。
ギガステイシスをステファにかけたマリーベルの時間も周囲と同様に止まる。
身動き一つとれない中、意識は消えずに情報だけが入ってくる。
そんな静止した時間の中、丁寧な動きで訓練どおり手順をこなすステファ。
そして、再び彼女の時は動き出す。
「カウンターッ!」
通算八回目のファイアーラットの吹き飛ばしが成立。
夫婦が手を取り合って作り上げた『イージス』は月日を得て今日も輝いていた。
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