アスティリアの詩穂

 レビィティリアの上層と中層を分ける城壁の上には通路がある。

 守衛などが見回りできるようになっているその通路の上で沙羅さらが外に向かって両手をかざしていた。

 その手には降妖水舞こうようすいぶが身に付けられており、淡く緑が混じった青い色を放っていた。

 その壁の向こう側、中層があった場所には大量の黒い水が瓦礫とともに滞留しており、沙羅の降妖水舞が放つ淡い光と黒い水が拮抗していた。

 そんな攻防の中、一部の水が沙羅の張る守りの壁をすり抜け内側へと複数落ちた。

 それらはそのままにゅるんと真っ黒な顔のない人の姿になり沙羅へと向かい始める。


「行かせないわよ」


 宙を舞う円月型の水の刃が黒い水を切り刻む。


「エアロシールド、強制キャンセル、連続実行、エアロバーストッ!」


 アカリの声とともに発動した魔導の盾マジックシールドが黒い水を全て包んだ直後に突風が巻き上がりすべての水を中層の方へと押し戻していく。

 そのまま沙羅の近くでセーラとアカリが息を整える。


「今の連続技、初めて見たわね」

「即席でみました」

「すごいわね」

「そうでもないですよ。沙羅姉、護り一回変わります、休憩とってください。マルチエアロシールド、術式固定、ループ設定、実行ッ!」

「ごめん、ありがとう、アカリちゃん」


 アカリが魔導を発動すると同時にその場に座り込んだ沙羅。

 セーラが水を入れた容器を沙羅に差し出す。


「今のうちに飲み物も飲んでおいた方がいいわ。これも一緒に食べて、甘いものよ」


 そういってセーラが小さい菓子も一緒に手渡した。


「ありがとうございます」


 沙羅はセーラからそれを受け取ると、まず一口水を飲んでから菓子を口に含んだ。


「おいしいです」

「よかった。リーシャがこういう小さい甘味好きだから時間のある時に作ってるの」


 襲い来る黒い水を背に似つかわしくない姉妹の会話が続く。

 最初のころはびくびくしていた沙羅だったが、この拮抗状態が成立してからすでに数時間、多少は慣れたのか落ち着いた眼で洪水のようなその災厄とその奥、高い位置から見下ろす一人の女性を見やった。


「あの人、なんですよね。そのおねえちゃんが怪異かいいって呼んだ人」

「そういってましたね」


 魔導の発動は続けたままでアカリも会話に混ざる。


「集中しなくて大丈夫なの?」

「沙羅姉と違って私がやってる防御は事前に魔導機構に仕込んだ防御魔導の補強と修繕がメインですからね。一応、この町の人らにも製塩浄水器にセットした魔導が痛んできたら追加で張る様に魔導札を預けてはありますし。焼け石に水でしょうが」


 手元で切り替わる魔導を見ながらセーラに返した。

 セーラがフフッと笑う。


「襲ってくてるのは焼け石じゃなくて大水だけどね」


 素直に頷く沙羅とめんどくさそうな視線だけ返してきたアカリ。


「それで、アカリちゃん。実際のとこどれだけ持ちそうなの」


 セーラの問いにアカリが一瞬考えこんでから答える。


「もって十分ですね。沙羅姉には悪いですが少し休んだらまたお願いします」

「はい」


 真剣な表情で頷く沙羅。


「ごめんなさいね。さっきも試したのだけど黒い水の子たちは私の声を聴いてくれないの。レビィも駄目だったしきっと呪いが悪さしてるのね」


 セーラが申し訳そうな表情で二人に謝った。


「通じないのはしょうがないです。むしろ優姉に言われて念のために仕込んでた念仏モドキが効いた方が私にとっては驚きですね」

「あれ、いやらしいわよね」


 アカリがユウに言われて仕込んだそれは極めて単純な仕組みである。

 起動すると蛇女房が最後報われずに死んだり、愛する夫との間にできた子が蛇女房の不手際で死に至るなどといった創作童話を日本語音声で延々流すという代物である。

 その音声はユウ自身がアカリが作った魔導具に吹き込んだものでそのパターンは軽く百を超える。


「あれは、私がその蛇神でも嫌になりますね。しかも高周波と低周波にも載せてるわけですし」

「だからなんでしょ、街の人が装置見張るのも交代制にしてるの」

「ええ。言語は聞き取れてなくてもなんとなく気分悪くなってくるみたいですね」


 二人の会話についていけない沙羅が困ったように小首をかしげて呟いた。


「結局、そのあのおねーさんに対しての悪口を一杯言ってるってことですか」

「そうね」


 さらりと肯定したセーラ。

 沙羅は黒い水の奥にたたずむ詩穂の姿とリーシャのコスプレを引き継いだ女性を見やる。


「いいんですか。その……」

「大丈夫よ。何度か会話したけどあれは詩穂しほじゃないわ。しいて言うなら」


 セーラは一瞬口ごもった。

 再び口を開いて言葉を紡ぐ。


「私とユウちゃんのお母さんね、あれは」


 息をのんだ沙羅。

 アカリがため息交じりにセーラに視線を向ける。


「セーラの母親っていうとたしか重依存したまま死んでましたよね」

「ええ。今考えると家の呪いが私達に付いて一緒にいたというのもおかしな話なのよ。きっとあれは呪いをつけたままの母さんが私たちについて回っていたのね」


 そういって頬に手を当てて苦笑したセーラ。


「だからって詩穂の姿をとらなくても私、今でも母さんのことも愛しているのに」


 外で激しくうねっていた水の動きが一瞬だけ止まり、またうごめく。

 顔だけセーラの方を向いたアカリがセーラを問いただした。


「詩穂さんじゃないのは確かなんですね」

「ええ、間違いないわ」


 アカリのグリーンアイがセーラの瞳を直にとらえる。


「どうして言い切れるんですか。たしか、セーラの白の龍王様と契約内容は『自分と詩穂の大霊界への顕現けんげん』ですよね。大霊界に転移するなら少なくともこっちの世界には呼ぶ必要があると思うんですけど」

「まぁ、契約見たのね。よく見れたわね、私たち四聖が白のあの子と結んだ契約は最重要機密よ」


 軽く肩をすくめたアカリ。


「私、表向きはメティス様の配下の研究部門所属でしたが、正式な所属先は『風の噂ウィスパー』でしたから」

「まぁ、あの子の下だったの。道理で潜り込むのが上手いと思ったわ」


 不思議そうな顔をする沙羅に二人は説明しない。

 風の噂ウィスパー、それはカリス教が抱える諜報、及び情報統制機関の総称である。


「最初から?」

「いえ、最初はバイトです。実家が貧乏貴族だったので生活の足しにしてたんですよ。ロマーニに所属した貴族だってのも本当だったんで龍札たつふだを供与する形で赤龍機構せきりゅうきこうに潜り込んでそっちの情報を中心に流してました」

「あら、じゃぁ終戦後に捕まって拷問受けたってのは嘘なのかしら」

「いえ、それも本当です。あのクソ四聖、さっさと私がバイトしてたの言えばいいものをわざと情報隠したんです。おかげでえらい目にあいました」

「私が言うのもなんだけどごめんなさいね、後遺症とか残ったんじゃない?」


 セーラの問いにアカリが苦く笑う。


「むしろ逆です。やりたい放題やった後でエリクサーをガンガン使われました」

「そ、そう。それはまた」


 私が聞いていた予定とずいぶん違うわね、とセーラが嘆息たんそくする。

 元々は、セーラがカリスに付与した『聖水せいすい』のスキルを利用し、深度の低い怪獣や手ごろな魔獣からMPムーンピースを回収し有用な回復薬や強壮剤を創るという計画だとセーラは聞いていた。

 だが、アカリやユウたちから聞く限り、後のカリス教はその採取対象をエルフやドヴェルグ、人間に切り替えている。


「前も聞いたけどメティスはよく反対しなかったわね」

「域内の死者の魂魄こんぱくデータは全部大霊界だいれいかいに転写するので問題ないと」

「そういう問題なのかしら」


 なお、セーラもアカリも大霊界の正式な呼び方を口にすることをメティスから禁止されているため、二人とも隠語である大霊界で話を通していた。

 じっと話を聞いていた沙羅の方をアカリが見やる


「すみません、そろそろ限界のようです」

「うん。じゃぁ交代で。お願い、降妖水舞こうようすいぶッ!」


 気力と体力を多少なり回復した沙羅が降妖水舞を振るう。

 先ほどのアカリの魔導の仕組みとは違い、上層を取り囲んだ水の一部が透き通る様に透明になり、上層全体をぐるぐると巡回する形で黒い水から守っていく。


「ふぅ、キッツいですね。まぁ、沙羅姉が疲れてくるとどうしても漏れる部分があるので周期的に休んでもらった方が全然ましなんですけど」

「そうね。ところでアカリちゃん、ユウちゃん、どうかしら」


 先ほどの沙羅と同じように石の上にぺたりと座り込んだアカリがセーラを見上げる。


「どうかというと起きるかどうかですか」

「ええ」

「何ともですね。むしろあれで死ななかったこと自体がびっくりですよ。どちらにせよ私の責任にならないならどーでもいいです」


 投げやりなアカリの言葉にセーラが驚いたような表情をした後で笑った。


「それ、泣きながら緊急手術した子が言うセリフじゃないわね」

「う、五月蠅うるさいですねっ。あれは目に血しぶきが入っただけです」

「それ、大惨事なんじゃないかしら」


 沙羅が集中して防御をする中、アカリとセーラが水の上の怪異を見つめる。


「アカリちゃんはお母さんとの関係ってどうだったの」

「どっちのですか」

「向こうの方かしらね」

「私はそんなでもなかったですね。母子家庭だったのでそれなりです。成人してすぐに病院で死んでしまったので孝行はできませんでしたけど」

「そう」


 こちらに転生した後のアカリは文句を言いつつも実家のために手銭を稼ぐのに腐心していたことを日々の雑談でセーラは聞いていた。


「あなた、いい子ね」

「はぁ!? あんた、中身おっさんになにいってんだ? 私の元上司って風のアイツだぞ」

「それはそれよ」

「急に変なこと言うなよ、ばっかじゃねーの」


 そういいつつ頬を染めて横をむいたアカリ。

 セーラはそんな姉妹の様子を微笑みながら見つめていた。

 魔導王シャルマーを虐殺魔導で殺した張本人だぞ、俺はとかぼやくアカリ。

 そんなアカリを見つめながらセーラは複雑そうな表情を浮かべていた。


「そ、そうだ。さっきの質問答え聞いてませんよ」

「アカリちゃん、地はさっきの口調なのに人に話す時には敬語なのね」

「社会人やってりゃ当たり前でしょうが。それよりさっきの話です。なんであんな回りくどい契約にしたんです」


 ごまされてくれなかったわね、とセーラが頬に手を当てて呟いた。


「詩穂ね、招来できなかったの。この世界に」

「そりゃそういうこともあるでしょうが、それなら願いを『詩穂さんを招来する』にすればよかったんじゃ」

「そうじゃないの。ごめんなさい、私の言い方が悪かったわね」


 セーラはアカリを見つめながら困ったように微笑んだ。


「アカリちゃん、ドサンコって分かる?」

「ええ、まぁ。あまり大きくならない半幻想種の一種ですね。それがどうしたんですか」

「ドサンコの始祖って詩穂だったみたいなのよ」

「はぁ!?」


 感情むき出しのまま驚いた表情で凍り付いたアカリ。

 おっとりとした仕草のままセーラが続ける。


「ずいぶん昔に詩穂もこっちに招来されていたみたいね。龍札は『風子かぜこ』だったそうよ」


 集中しながらも気になるのか沙羅がちらちらと二人の方を見やる。

 アカリは口をパクパクさせたまま硬直していた。


「あの子、見た目は深層のお嬢様風だったけど、その実屋上に上って風に吹かれたり、木に登って私の部屋に入り込んだりする子だったから納得しちゃったわ。ああ、確かに『かぜの子』だなって」

「え、えっと、ということは詩穂さんはこっちに来て誰かほかの人と?」

「いいえ。伝承によるとドサンコは一人のお母さんからぽんぽん生まれたとされてたわ。理沙りさの石の方は私が持っていたからあの子はきっと手元に子供がいなくて寂しかったんでしょうね。こっちに来てから一杯産んだみたいよ」


 さも普通のことのように語るセーラが嬉しそうに、そして妖艶ようえんにほほ笑んだ。

 それを見ていたアカリと沙羅は背筋に水を差された気分を味わっていた。


「これだから四聖しせいと付き合うのはやなんだよ」


 ぼやくアカリにいつもの様子に戻ったセーラがフフッと笑った。


「ごめんなさいね。だから詩穂は呼べなかったの」

「正確にはすでに呼ばれていたので招来が成立しなかったんですね」

「ええ、そうよ」


 龍札にはルールがある。

 同じ文字を何度も使うことは可能だが、同じ文字で似たユニークスキルになったとしても完全に同じものにはならない。

 そしてそのユニークスキルによって呼び出される人物が確定される。

 正確には呼ばれる人の魂の形質によって同じ文字でもスキルに差が生じユニークとなるのである。

 そして、龍札で構成されるスキルに厳密に同じものは存在しえない。

 つまり、詩穂がトライとして一度招来されそのユニークスキルが確定している以上、何度トライを呼んでも詩穂は呼べない。

 詩穂は遙かな過去に、セーラはこの時代に招来されたことにより、二人が生きて出会うことが不可能となってしまったのである。


「それで大霊界でってことですか」

「ええ」


 沈黙がその場を包んだ。


「あっ、見てください。なんか黒い水が引いていきますっ!」


 沈黙を破ったのは沙羅。

 二人が沙羅が見ている方向を見やると先ほどまで打ち付けられていた黒い大量の水が一気に引いていくのが見えた。


「げっ、これって」

「まずいわね、来るわよ」


 慌てるトライの二人に対して沙羅は意味が分からず目を白黒させる。

 セーラとアカリがそれぞれ防御のために複数の魔導と神技を発動させた。


「えっ、く、くるって、なにがですか!?」

津波つなみです!」


 アカリの叫びと同時に黒い大量の水が怒涛のように押し寄せ沙羅の護りの水を一気に打ち壊す。

 その黒い水によって三人が時間をかけて敷いた全ての護りが砕かれていく。

 アカリの発動する魔導が沙羅を包むと同時にセーラがアカリを抱きしめた。


「やらせんっ!」


 全てが砕かれようとしたその瞬間、突如空から舞い降りた金色の光が押し寄せていたすべての黒い水を一気に掻き消した。


「優姉っ!?」


 見たこともない衣装を纏ったその少女の背にアカリが声をかけた。

 振り返ったその少女は金髪に赤目、そして蛇が絡みつく一本の杖を手にしていた。

 凍り付いた姉妹たちが首を傾げる。


「「「誰!?」」」


 首を傾げた姉妹たち。

 呪われた黒水が金色の光になって霧散していくなかその少女がニヤッと笑った。


「ワイは浪速なにわの錬金術」


 流れるような天然パーマの長い金髪、鋭く射貫く赤い瞳、流麗ながら小顔なその少女は薄い胸を張って答えた。


「レビィ・サンダースや」

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