第186話 悪だと判っていても

「父、董炎とうえんが今の地位に就いた経緯は知っているかしら? 光世ちゃん」


 董陽とうようはいつもの親しみやすい可愛らしい笑顔のまま話し始めた。


「はい」


 対する光世は神妙な面持ちで短く答える。


「さすが……と言っても、それを調べた上で父上を引きずり下ろそうとしてるんだものね。普通の感覚の人間なら、父上の過去の罪を知れば排斥しようと声を上げる」


「でも、閻の民は、その事を知らないんですよね?」


「そうよ。だって真相を知っている人間は私達兄妹以外皆、父上が殺してしまったんだもの。だから人々は父上に何の疑問も抱かずに従っているの。大飢饉に見舞われた先帝の時代より、明らかに食糧に対する不安はなくなった。その表側の功績で、人々は父上を有能な指導者として受け入れたわ。私達兄妹が朝廷の重鎮に任命された事にも不満は出なかった。でも……」


 不意に董陽とうようは目を細めた。その美しい顔と桃色の綺麗な閻服えんふくに影が差した気がした。

 突然見た事のない悲しげな表情をする董陽とうようを光世は興味深そうに見つめる。


「私は、父上が今の地位に就く為にした行為は『悪』だと思っている。そして、私達兄妹が父上の悪行を知った上で今の地位に就いている事も……『悪』だと思っているわ」


 意外な董陽とうようの想いに、思わず光世は目を見開く。


「……そうだったのですね……なら、何故、董陽とうよう様は行動を起こさないのですか?」


 董陽とうようは悲しげな瞳を光世に向けた。

 光世はドキッとして目を逸らす。


「行動……。光世ちゃんは私の立場なら何が出来る? 父上に諫言かんげんしてみる? まず相手にされないわ。それじゃあ実力行使して父上を捕らえる? 万が一成功したとして、父上はどうなるかしら?」


「それは……」


「死罪よね? 父上だけじゃないわ。私達兄妹も一族全員殺される」


 光世は返す言葉が見付からずに俯いた。


「私はね、光世ちゃん。臆病で卑怯な人間なのよ。例え罪を犯したとしても、私の家族には死んで欲しくないし、私も死にたくない。だから、自分の口からは何も言わないし、何もしない。私達の行為が悪だと分かっていても、今の閻帝国えんていこくは平和なの。それを自ら壊す行為もまた『悪』ではないかしら?」


「それなら、丞相を排斥しようとしている私を何故すぐに殺さないのですか? 話を聞く限り、私は貴女の敵でしかないと思いました」


 董陽とうようは長い自らの肩に掛かった黒髪を手で払った。


「無駄な殺生はしないわ。げっちゃんの考えと同じ、何か企んでいるのなら、光世ちゃんを捕まえておけばそれを阻止出来る」


「でも貴女は董月とうげつ様と違い、私に董星とうせい様が協力している事を知っています。私を捕らえただけじゃ企みは阻止出来ないと知っています。そうですよね?」


 董陽とうようは小さく息を吐いた。


「私はね、光世ちゃんの事、閻を滅ぼしに来た賊徒には思えないのよ。そうね……むしろ、閻を救いに来たんじゃないか……って思うのよ。だから様子を見ようかなって思ったの。これは根拠も何もないただの私の勘だけどね」


 董陽とうようはニコリと笑った。


「きっと、せいちゃんもそう思ったから貴女に協力してるんじゃないかなって思うわ。私はせいちゃんのように自ら危険を冒す度胸はないけど」


「そういう事でしたか。それで合点がいきました。私を解放すれば、董陽とうよう様が私の協力者だと露見し処罰される。私を放置すれば、いずれ董星とうせい様が私の計略を引き継ぎ閻を救ってくれるかもしれない。だから貴女は傍観を選んだ」


「さすが光世ちゃん。頭良いわね。 私って狡い女でしょ? 失望した?」


「いえ。狡いとも思わないし、失望もしません。家族の命に関わる選択です。たとえ悪でも大切な家族。家族の命を優先したい気持ちは分かります。そしてそれが同時に国を守る事になるのなら、現状を維持する選択もまたありなのかと……。私が同じ立場で同じ選択をするかは……分かりませんが」


「優しいのね、光世ちゃん」


 董陽はまた悲しげな視線を向けたので、光世は首を横に振る。


「でも、もし私の計略が閻を滅ぼすだけのものだとしたらどうするんですか? 私は元々ろうからえんに降った人間ですよ?」


「その時はその時。私は光世ちゃんに賭けたの。貴女に初めて会った時から只者じゃないと思っていたから。まるで、別の世界・・・・から来たんじゃないかとさえ思ったもの」


 不意に核心を突く董陽とうようの発言に、またしても光世は目を丸くする。


「それで滅びるならそれは私達の運命。大人しく受け入れるわ」


 どうやら董陽とうようの発言に深い意味はないようだが、やはりこの女の方こそ只者ではないと、光世は思った。


「さて、話は終わり。今の話はお互い秘密にしましょう」


 董陽とうようは壁から背を離すといつもの笑顔に顔を戻した。光世は「はい」と頷く。


「光世ちゃんがいつまでここにいる事になるのか、私にも分からないけど、げっちゃんは貴女に拷問するつもりはないみたいだし、もちろん殺すつもりもないみたいだから安心して。ふざけた事しそうになったらさすがに怒ってあげるわ……」


「ありがとうございます……」


 あまり嬉しくなさそうな光世の様子を見た董陽とうようは、隣の机に置いてある黒い光沢のある細長い棒を手に取った。


「あら? これは……まさか、拷問されてるの??」


「え?? いや、違います」


 焦る光世の反応を見て、少し董陽とうようは考えると、何か閃いたようにうんうんと頷く。


「全て察したわ。使う? あと四半刻しはんとき(30分)くらいなら私が牢番を止めとくけど?」


「え……あー……いや、私今両手使えないし……」


 残念そうな表情で、光世は後ろ手に嵌められている木製の手枷を見せる。


「あーそっか。大変ね〜。じゃ、ここ置いとくわね。辛いだろうけど、頑張って!」


 董陽とうようは張形を机の上に再び置くと、拳をギュッと握り光世を激励して地上への階段を上がって行ってしまった。

 光世は急いで立ち上がり格子の間から董陽とうようの後ろ姿に嘆く。


董陽とうよう様〜……手枷だけでも外してくれるように言ってくださいよぉ〜! 私こう見えて結構限界なんですよぉ〜!」


 光世の叫びは董陽とうようには届かなかった。いや、届いていたかもしれないが、聞こえない振りをされたのかもしれない。

 少しは待遇面を改善してくれるかと期待した光世は涙目になり、格子に額を付けてズルズルと崩れ落ちた。




 ***


 閻軍えんぐん椻夏えんか


 日は傾いていた。

 上官の楽衛がくえいに叱られた徐檣じょしょうは肩を落として城内を1人歩いていた。


 自分に過ちはないと確信していたのに、それが過ちだと指摘された。

 軍人には向いていない。その言葉が一番心をエグった。

 自身の価値観が揺らいでしまった。

 だが、楽衛がくえいの言葉は心に響いた。父・徐畢じょひつと同じ父親を感じたからだろうか。あそこまで厳しく言ってくれたのは、父と楽衛がくえい、そして、全耀ぜんようだけだ。


「おじさん……」


 不意に全耀ぜんようの顔を思い出した徐檣じょしょうは、ろうの恋しさを感じた。

 喧嘩別れしたままの父の友人。思えば本気で、まるで自分の娘のように心配してくれていた気がする。


「でも、もう帰れないよね……。ろうの武将も兵士もたくさん殺しちゃったし」


 人気ひとけのない路地裏に入った徐檣じょしょうは、1人そんな事を呟いた。


 丁度そんな時だった。

 路地の奥から1人の兵士が近付いて来た。


徐檣じょしょう殿」


「何か用?」


「とある方からのお手紙を預かって参りました」


「とある方?」


「読めば分かります」


 要領を得ないやり取りに、仕方なく兵士から手紙を受け取り中身を検める。


『もしえんの待遇に不満があるのならろうへ戻りなさい。その時は其方が朧軍ろうぐんの将兵を斬った事は咎めない。その気があれば今夜北門を内側より開き松明を振って合図せよ。さすれば糜喬びきょうの部隊が其方を迎えに行く。そこにいれば近い内に其方は金登目きんとうもくに殺されるだろう。だが、我々ならば上手く匿う事が出来る。其方の居場所は、お父上の守ろうとしたろう国であろう。よく考えてくれ。────全耀ぜんよう


 手紙を読み終えた徐檣じょしょうは、それを持って来た兵士に問い質す……つもりだったが、その兵士はすでにその場にはいなかった。

 音もなく姿を消していた。


朧軍ろうぐんの間諜か……」


 呟いた徐檣じょしょうだったが、また手紙に目を落とす。


「おじさん……まだ私の事待ってくれてるんだ」


 徐檣じょしょうは手紙を小さく畳むとそっと懐に忍ばせた。


「今夜か。急がなきゃ」


 徐檣じょしょうはすぐに路地裏から飛び出した。


 日はいつの間にか沈んでいた。

 人気ひとけも殆どない。



 駆け去った徐檣じょしょうの後を、5人の閻兵が静かに追い掛けて行った。

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