第181話 董星の手紙
閻帝国~
月明かりが幕舎を照らす。
真夜中だったが、
「光世殿が
「はい。確かに董炎の部下の
楊良は頭を抱えた。
董炎を侮っていたわけではない。ただ、経験の浅い光世に危険な事をさせ過ぎた。塩の
「儂はここから離れられん。儂が秦安へ行く事は出来ぬという事は光世の救出も、董炎失脚の策も、代わりの者を探さねばならんな。さて、どうしたものか」
「楊良殿。実は
「董星……」
その名を聞いて、楊良は光世が大司農・董星を懐柔しているとの連絡を受けている事を思い出した。
そして、すぐに兵士から書状を受け取り、ゆらゆらと揺らめく蝋燭の灯りを頼りに中身を検める。
『楊良殿。光世は、もし自らの身に不測の事態が起き、塩の計について最後まで事を成せなければ、代わりに楊良殿と連絡を取り合い、計略を完成させてくれと仰せつかいました故、大司農・董星がご連絡するものでございます』
光世はやはり優秀であった。自らの身に何か起きた時の為に、あらかじめ策を遂行する者を他に用意していた。
まさか、閻帝国の
『秦安からの予定量の塩の搬出は完了しております。目下、北の
長々と文字が記されているが、その美麗な文字故にすらすらと読み進められると共に、その切迫した様子までもが楊良の骨の髄まで伝わって来ていた。
『最終段階実行のご命令があれば、こちらはすぐにでも実行可能でございます。丞相董炎は今の地位にいるべきではありません。今の地位に就く為に、罪無き役人を大勢
楊良は書状の文字を優しく撫でた。文章の最後には、董星の署名と大司農の
「ご立派な御方だ。董炎は実の父親だと言うに……」
「おい、この書状は誠のものであろうな?」
「はい、これは光世様の親衛隊長を務める
「なるほど。光世が捕らえられた事は、
「陸秀隊長が自ら報告に向かいました故、既に伝わっているものと思われます」
楊良は拱手してはきはきと答える兵士の佇まいを見て、閻の兵士との練度の差に気が付いた。恐らく、かなり訓練された元朧国の兵士。報告にあった朧軍からの投降兵の陸秀の配下の者と見て間違いなさそうだ。
「椻夏に報告が行っているのならば、光世殿の救出については宵殿と桜史殿が対応する筈だ。心配はないな。よし、董星様に渡す書状を認める。悪いが少しばかり茶でも飲んで待っていてくれ」
「そんな、私は外でお待ちしております故、お気遣いなく」
困惑しながら断った兵士に、楊良は気にするなと言って部屋の椅子に座らせ、茶の準備を始めた。
***
朧軍~
「閻軍は動かんか」
「はい。我が軍が威峰山を包囲してから一月以上経ちましたが、内部に潜り込ませた兵の情報からしても、未だ閻軍からは攻撃して来る様子はありません」
校尉の男が状況を報告すると、尉遅毅はさらにその校尉に問う。
「既に我が軍は2度夜襲を仕掛けた。なのに一向に奴らからは仕掛けて来ぬ。それどころか、我が軍の夜襲部隊を上手く誘い出し、伏兵で叩きよる。こちらは兵を失うばかりだ」
すると校尉は答えに困りながらも、何とか口を開く。
「将軍……地の利は閻軍にあります……。それに、閻軍にはあの
「何だと? 貴様、大都督は我が軍ならば勝てると思い従軍をお許しくださったのだぞ? 期待に応えるのが真の武人ではないのか? 簡単に弱音を吐くな!!」
「申し訳ございません!!」
擁護したつもりが、要らぬ叱責を買ってしまい、校尉は頭を下げて他の武将達の影に引っ込んだ。
「山から追い立て、平地に誘い出せれば儂が負ける事はないというのに。このままでは
尉遅毅は悔しそうに歯を食い縛る。同時に怒りで顔も真っ赤でその様はまさに鬼のようだ。
すると、1人の将軍が1歩前に出た。
他の武将達とは明らかに見た目の違う、赤に近い髪に碧眼、額と目尻には深い皺が刻まれ、整えられた口髭だけを蓄えている出で立ちの男だ。
尉遅毅が朧国内の異民族討伐の折に一騎打ちにて破り帰順させた蛮族の王、
「
「鄧平?
「鄧平を挑発して山から誘い出すのです。そこを将軍が攻撃すればひとたまりもありません」
「いくら血の気の多い者と言えど、見え透いた挑発に乗る程の馬鹿ではあるまい」
他の武将達も尉遅毅の意見に同調し頷く。
「それが、いい餌があるのです」
「勿体ぶらずに申せ」
「鄧平は、今は
これまでも
「そう上手くいくものか」
「やらなければ、このまま戦が長引くだけかと存じます。尉遅将軍。挑発するだけならばこちらは大した労力も必要ありません。夜襲を続けて兵を減らすよりは有効かと」
「良かろう。鄧平への挑発は其方に任せる。だが、鄧平の首は俺が獲る。それだけは忘れるな」
「御意」
不気味な程の無表情で、
***
洪州へ入る者の列が延々と連なっている。
入城する際に行なわれる身体検査が厳重になったようだ。
しかし、その入城待ちの列に並ぶ地味な町娘の格好をした
乗って来た馬の手綱を曳き、前の者が進む度にゆっくりと前に進む。
しばらくして清華の番が来た。
衛兵は
2人がかりで兵士の男は清華を取り囲む。
「君、名前は?」
「
「洪州には何の為に来たの?」
「病気の叔父さんに、
清華は当たり前のように偽名を名乗ると、道中で採取したよく分からない葉っぱを適当にすり潰して作った薬を、秦安で調達しておいた高そうな桐の箱にそれっぽく入れて兵士に見せた。
「何の薬? これ」
「喉の腫れと咳を治めるお薬です。叔父さんはもう長い事咳が止まらず苦しそうにしていました。そんな時、秦安に腕の良いお医者様がいらっしゃるとの噂を聞いて、自分で動けない叔父さんに代わり、私が急いで買ってきたのです」
「そうか、何て叔父さん想いのいい子なんだ」
「だけど、ごめんね。今洪州は戦をやっているから、本当に必要な人しか入れてはいけないと言われているんだ。分かるね?」
優しい口調ではあるが、あまりにも仕事熱心な兵士達に、清華は少しばかり苛立ちを感じたが、さらに演技をして見せる。
「私は叔父さんに薬を届けないといけません。今もきっと苦しんでいるから、早く中に入れてください」
子犬のような表情をして見せると、兵士達はすぐに質問を辞めた。
「分かった。じゃあ悪いけど、怪しい物を持っていないか持ち物を調べさせてもらうよ。身体も触るけど我慢してね」
「え……は、はい……。女の子なので、お手柔らかにお願いします」
2人の兵士は清華の願いに返事を返さずに、すぐに清華の閻服の中に手を入れて、隅から隅まで
胸と脚は
「怪しい物はなさそうだ。入っていいよ。叔父さんに早く薬届けてやんな」
兵士達はそう言うと清華を城内へと通した。
「ありがとうございます!」
兵士達に愛嬌のある挨拶をすると、清華は馬に跨り、軽く馬腹を蹴って馬を進めた。
難なく洪州へ入城した清華は馬上でほくそ笑む。
「ふふ、その程度の探し方では『怪しい物』は見つかりませんよ〜だ」
得意気に呟くと、清華は叔父に薬を届ける町娘として厳戒態勢の洪州の街で馬を闊歩させた。
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