第181話 董星の手紙

 閻帝国~威峰山いほうざん姜美きょうめい陣営


 月明かりが幕舎を照らす。

 真夜中だったが、楊良ようりょう尉遅毅うっちきの軍勢が包囲する中を突破して来た伝令の兵士の報告を聞くと一気に睡魔が吹き飛んだ。


「光世殿が董炎とうえんに捕まった……間違いではあるまいな?」


「はい。確かに董炎の部下の陳緒ちんしょ橋越きょうえつ2将軍に捕らえられるのを確認しました。どうやら尚書令しょうしょれい董月とうげつが監視を任されているようです」


 楊良は頭を抱えた。

 董炎を侮っていたわけではない。ただ、経験の浅い光世に危険な事をさせ過ぎた。塩の秦安しんあんからの搬出は楊良が命じた事。光世が最後まで計略を遂行してくれると信じていたが、考えが甘かったと、楊良は自らの膝を拳で叩いた。


「儂はここから離れられん。儂が秦安へ行く事は出来ぬという事は光世の救出も、董炎失脚の策も、代わりの者を探さねばならんな。さて、どうしたものか」


「楊良殿。実は大司農だいしのう董星とうせい様より書状をお預かりしております」


「董星……」


 その名を聞いて、楊良は光世が大司農・董星を懐柔しているとの連絡を受けている事を思い出した。

 そして、すぐに兵士から書状を受け取り、ゆらゆらと揺らめく蝋燭の灯りを頼りに中身を検める。


『楊良殿。光世は、もし自らの身に不測の事態が起き、塩の計について最後まで事を成せなければ、代わりに楊良殿と連絡を取り合い、計略を完成させてくれと仰せつかいました故、大司農・董星がご連絡するものでございます』


 光世はやはり優秀であった。自らの身に何か起きた時の為に、あらかじめ策を遂行する者を他に用意していた。

 まさか、閻帝国の九卿きゅうけいである大司農の董星に担わせるとは、楊良にも予想出来なかった。


『秦安からの予定量の塩の搬出は完了しております。目下、北の范州はんしゅう呼巣こそうに200万石が集積済でございます。今は丞相を初め、朝廷の目は塩の動きにも、わたくしの動きにも注目しておりません。まさかわたくしがこのような事をするとは思ってもいないからです。その代わりに、光世に朝廷の目は釘付け故、今すぐに塩の動きを辿られる事はありません。しかしながら、一月ひとつき後に、丞相の塩の収支の検査が入ります。そこで200万石の塩の搬出が露見する事になるでしょう。わたくしと言えど、その検査では流石に誤魔化しきれません。露見すればわたくしは死罪を免れぬでしょう。恐らく、光世もわたくしと共謀したと言われ死罪とな可能性が高い。証拠などは必要ありません。丞相が罪だと言えば、それは罪になるのですから』


 長々と文字が記されているが、その美麗な文字故にすらすらと読み進められると共に、その切迫した様子までもが楊良の骨の髄まで伝わって来ていた。


『最終段階実行のご命令があれば、こちらはすぐにでも実行可能でございます。丞相董炎は今の地位にいるべきではありません。今の地位に就く為に、罪無き役人を大勢あやめました。その罪を償わせる為にも、早々に丞相の位を辞し、閻帝国朝廷から退き、然るべき罰を受けるべきなのです。勿論、丞相に任命され今の地位に就いているわたくし自身も、然るべき罰を受ける覚悟がございます。どうか早急にご命令を。策が成らなければ、光世の働きも無に帰してしまいます。鳴国めいこくにはわたくしが参りますから』


 楊良は書状の文字を優しく撫でた。文章の最後には、董星の署名と大司農のいんが押してある。


「ご立派な御方だ。董炎は実の父親だと言うに……」


「おい、この書状は誠のものであろうな?」


「はい、これは光世様の親衛隊長を務める陸秀りくしゅう隊長の指示で私が直々に董星様よりお預かりした書状です。誓って偽装されたものではございません」


「なるほど。光世が捕らえられた事は、椻夏えんかには伝わっておるのか?」


「陸秀隊長が自ら報告に向かいました故、既に伝わっているものと思われます」


 楊良は拱手してはきはきと答える兵士の佇まいを見て、閻の兵士との練度の差に気が付いた。恐らく、かなり訓練された元朧国の兵士。報告にあった朧軍からの投降兵の陸秀の配下の者と見て間違いなさそうだ。


「椻夏に報告が行っているのならば、光世殿の救出については宵殿と桜史殿が対応する筈だ。心配はないな。よし、董星様に渡す書状を認める。悪いが少しばかり茶でも飲んで待っていてくれ」


「そんな、私は外でお待ちしております故、お気遣いなく」


 困惑しながら断った兵士に、楊良は気にするなと言って部屋の椅子に座らせ、茶の準備を始めた。



 ***


 朧軍~尉遅毅うっちき陣営~


「閻軍は動かんか」


 威峰山いほうざんの麓の帷幕いばくに武将達を集めた大将の尉遅毅は、太い腕を組み、険しい顔付きで武将達に問い掛けた。


「はい。我が軍が威峰山を包囲してから一月以上経ちましたが、内部に潜り込ませた兵の情報からしても、未だ閻軍からは攻撃して来る様子はありません」


 校尉の男が状況を報告すると、尉遅毅はさらにその校尉に問う。


「既に我が軍は2度夜襲を仕掛けた。なのに一向に奴らからは仕掛けて来ぬ。それどころか、我が軍の夜襲部隊を上手く誘い出し、伏兵で叩きよる。こちらは兵を失うばかりだ」


 すると校尉は答えに困りながらも、何とか口を開く。


「将軍……地の利は閻軍にあります……。それに、閻軍にはあの閻仙えんせん・楊良がおります。今までの賊共とはわけが違います。勝てないのも無理はありません」


「何だと? 貴様、大都督は我が軍ならば勝てると思い従軍をお許しくださったのだぞ? 期待に応えるのが真の武人ではないのか? 簡単に弱音を吐くな!!」


「申し訳ございません!!」


 擁護したつもりが、要らぬ叱責を買ってしまい、校尉は頭を下げて他の武将達の影に引っ込んだ。


「山から追い立て、平地に誘い出せれば儂が負ける事はないというのに。このままではいたずらに兵と金と兵糧、そして時間を浪費するだけだ。尉遅太歳おとうとの仇も討っておらぬと言うに……」


 尉遅毅は悔しそうに歯を食い縛る。同時に怒りで顔も真っ赤でその様はまさに鬼のようだ。


 すると、1人の将軍が1歩前に出た。

 他の武将達とは明らかに見た目の違う、赤に近い髪に碧眼、額と目尻には深い皺が刻まれ、整えられた口髭だけを蓄えている出で立ちの男だ。

 尉遅毅が朧国内の異民族討伐の折に一騎打ちにて破り帰順させた蛮族の王、沙南児しゃなんじである。騎射の達人で弓を使わせれば百発百中、接近戦では45斤(約10kg)の鉄蒺藜骨朶てつしつれいこつだ(モーニングスターのような武器)を振り回し敵を鎧兜諸共粉砕する猛将であるが、本来は敵を罠に嵌める戦略を得意とし、罠に掛かった敵をなぶり殺す事を好む残忍な男である。


尉遅うっち将軍。威峰山いほうざんに潜り込ませた兵士からの情報ですが、どうやら敵には短慮な指揮官が1人いるそうです。その者は『鄧平とうへい』という校尉で、常に最前線を守っているそうです」


「鄧平? 尉遅太歳おとうとを斬った校尉だな。そいつが何だと言うのだ? 沙南児しゃなんじ


「鄧平を挑発して山から誘い出すのです。そこを将軍が攻撃すればひとたまりもありません」


「いくら血の気の多い者と言えど、見え透いた挑発に乗る程の馬鹿ではあるまい」


 他の武将達も尉遅毅の意見に同調し頷く。


「それが、いい餌があるのです」


「勿体ぶらずに申せ」


「鄧平は、今は椻夏えんかにいる女軍師の宵に惚れているそうで、それを利用して奴の男としての誇りを傷付けてやるのです。さすれば、怒りに我を忘れた鄧平は、必ずや持ち場を放棄し、山を下りて来るに違いありません」


 これまでも沙南児しゃなんじは姑息な作戦を進言してきた事があるが、その度に尉遅毅は却下していた。武力のみで押し切って勝ってきた尉遅毅にとって、武力を用いない戦略はもどかしいだけに他ならない。故に小賢しい戦略を提案する沙南児しゃなんじの意見はこれまで聞き入れた事がなかった。


「そう上手くいくものか」


「やらなければ、このまま戦が長引くだけかと存じます。尉遅将軍。挑発するだけならばこちらは大した労力も必要ありません。夜襲を続けて兵を減らすよりは有効かと」


 沙南児しゃなんじの提言に、やはり尉遅毅は難色を示したが、いつもは賛同しない他の武将達が珍しく同調して首を縦に振るので、尉遅毅もついに首を縦に縦に振った。


「良かろう。鄧平への挑発は其方に任せる。だが、鄧平の首は俺が獲る。それだけは忘れるな」


「御意」


 不気味な程の無表情で、沙南児しゃなんじは拱手した。




 ***


 洪州こうしゅう~西門~


 洪州へ入る者の列が延々と連なっている。

 入城する際に行なわれる身体検査が厳重になったようだ。

 しかし、その入城待ちの列に並ぶ地味な町娘の格好をした清華せいかは、平気な顔をして自分の番が来るのを待っていた。


 乗って来た馬の手綱を曳き、前の者が進む度にゆっくりと前に進む。


 しばらくして清華の番が来た。

 衛兵は朧軍ろうぐんの兵士だった。

 2人がかりで兵士の男は清華を取り囲む。


「君、名前は?」


風華ふうかです」


「洪州には何の為に来たの?」


「病気の叔父さんに、秦安しんあんのお医者様に頂いたお薬を届けに来ました」


 清華は当たり前のように偽名を名乗ると、道中で採取したよく分からない葉っぱを適当にすり潰して作った薬を、秦安で調達しておいた高そうな桐の箱にそれっぽく入れて兵士に見せた。


「何の薬? これ」


「喉の腫れと咳を治めるお薬です。叔父さんはもう長い事咳が止まらず苦しそうにしていました。そんな時、秦安に腕の良いお医者様がいらっしゃるとの噂を聞いて、自分で動けない叔父さんに代わり、私が急いで買ってきたのです」


「そうか、何て叔父さん想いのいい子なんだ」


「だけど、ごめんね。今洪州は戦をやっているから、本当に必要な人しか入れてはいけないと言われているんだ。分かるね?」


 優しい口調ではあるが、あまりにも仕事熱心な兵士達に、清華は少しばかり苛立ちを感じたが、さらに演技をして見せる。


「私は叔父さんに薬を届けないといけません。今もきっと苦しんでいるから、早く中に入れてください」


 子犬のような表情をして見せると、兵士達はすぐに質問を辞めた。


「分かった。じゃあ悪いけど、怪しい物を持っていないか持ち物を調べさせてもらうよ。身体も触るけど我慢してね」


「え……は、はい……。女の子なので、お手柔らかにお願いします」


 2人の兵士は清華の願いに返事を返さずに、すぐに清華の閻服の中に手を入れて、隅から隅までまさぐり始めた。

 胸と脚はじかに触られたが、股と尻は流石にくん(スカート)の上から触られて調べられた。


「怪しい物はなさそうだ。入っていいよ。叔父さんに早く薬届けてやんな」


 兵士達はそう言うと清華を城内へと通した。


「ありがとうございます!」


 兵士達に愛嬌のある挨拶をすると、清華は馬に跨り、軽く馬腹を蹴って馬を進めた。


 難なく洪州へ入城した清華は馬上でほくそ笑む。


「ふふ、その程度の探し方では『怪しい物』は見つかりませんよ〜だ」


 得意気に呟くと、清華は叔父に薬を届ける町娘として厳戒態勢の洪州の街で馬を闊歩させた。

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