第171話 朝廷の監視役

 椻夏えんかを包囲する金登目きんとうもく全燿ぜんようの軍に目立った動きはない。完全に包囲しているというわけでもなく、斥候数人くらいなら、城への出入りは出来る。


 そんな椻夏えんかで策を練る宵のもとに、東の威峰山いほうざん楊良ようりょうから書簡が届いた。

 宵は自室にてそれをふむふむと頷きながら読み終えると、そのあまりに素晴らしい内容に思わずニヤリと笑った。


「瀬崎さん、何かいい事書いてあった?」


 突然声を掛けられた宵は、だらしなくニヤケている口元を手で覆ってその声の主を見た。

 その仕草は女子大生のそれだが、見た目は綸巾かんきんと閻服を身に付けまさに軍師の風貌。竹簡を持っている為、トレードマークの白い羽扇は机に置いてある。


貴船きふね君……! 入る時は声掛けてよ!」


「いや、だから今声掛けたじゃん」


「私の姿を見る前に声掛けないと意味ないでしょ! 別に見られてマズイ事とかはしないけどさ」


「ならいいじゃん。で、それは?」


 プンプン怒る宵を気にもとめずに、貴船桜史きふねおうしは部屋に入ると宵の手に握り締められている竹簡を指さした。


「これね、楊先生からのお手紙。何やら私の考えつかないような秘策を光世にやらせているみたい」


 宵はそう言って持っていた竹簡を桜史に差し出した。


「秘策……?」


 竹簡を受け取った桜史はその内容を確認する。

 自分と同じようにニヤけるかと期待していた宵だったが、少し険しい表情になった桜史を見て、首を傾げる。


「確かに、いい考えだ。けど、失敗したら厳島いつくしまさんただじゃ済まないよ。厳島さんだけじゃない、清華せいかさんも」


「あ……それは……」


 策の優秀さしか見ていなかった宵は、それを実行するのがほとんど経験のない厳島光世いつくしまみつよと清華である事をすっかり忘れていた。策を考えたのは楊良だが、実行するのは光世と清華。しかも現場にいる味方は元軍人の陸秀りくしゅうだけ。すぐに知恵を貸してくれる者はいない。つまり、いざとなれば光世自信が何とかするしかないのだ。


「私は味方に囲まれてるから不安も少ないけど、光世と清華ちゃんは違うよね……命懸けなのに、私ってば……」


 自分の短慮にしょんぼりと声を小さくする宵。

 気まずそうに桜史は頭を掻きながら口を開く。


「ま、でも、いい策である事には違いないし、成功すれば間違いなく董炎とうえんに大打撃を与えられる。そして成功する可能性も高い」


「うん……」


「こうなったからには、俺たちは厳島さんと清華さんを信じるしかない。俺たちは今目の前に迫っている朧軍ろうぐんと全力で戦う。もちろん──」


「兵法を使って」


 グッと拳を握り締めて、宵は力強く応えた。


「それでこそ瀬崎さんだ。……ところで、異国創始演義いこくそうしえんぎの文字は増えた?」


 桜史の問に、宵はまたションボリとして首を横に振る。


「ううん。毎日確認してるけど、全然変化なし。もう最後の達成条件はこの戦を終わらせる事なんじゃないかとさえ思えてきたよ」


「有り得るね。この戦が起こるべくして起こったものなら、終戦が条件……。でも、瀬崎教授がわざと戦が起こるようなお話を作って、孫娘である瀬崎さんを追い込むとは思えないなぁ」


「うん、私も、おじいちゃんが可愛い・・・孫娘を成長させる為とは言え、危険な戦場に行かせるなんて考えられない。戦が起こってしまったのは悲劇だったとして、本来は戦のない閻帝国えんていこくで私を成長させたかったんじゃないかな。だからきっと、戦とは別のところで、私に足りない何かを得て欲しかったんだよ、うん! そうに違いない! 貴船君、私に足りないものって何だと思う??」


 急にポジティブになって笑顔を見せた宵に迫られ、桜史は顔を赤らめ思わず顔を逸らす。


「分からない。瀬崎さんに足りないものなんて、もう何もないと思うんだけどな。これは、俺の人生で一番の難題だな。兵法でも解けない」


「私は完璧って事?」


 薄い胸に手を置き、宵は小首を傾げる。


「いや、この世に完璧なものなんて存在しないよ」


「もー! そこは完璧だよ、って褒めるところだよ! てか貴船君、私に何か用だった?」


「あぁ、瀬崎さんが何か悩んでないかなと思って様子見に来ただけ。もうこちらが包囲されてから数日経つけど朧軍に動きがないからね」


「あ、そうなんだ。ありがとう。でも、私はご覧の通り大丈夫! 城内と外の様子見に行くから貴船君も一緒に行こ」


 そう言って宵は微笑むと机の上の羽扇を手に取り、桜史と共に城内の視察の為に部屋を出た。

 宵の隣を歩く桜史も微笑みを返した。



 ***


 閻帝国の都・秦安しんあん


呂大都督りょだいととくへの交渉は上手く言っているのかね」


 朝廷から派遣された将軍の陳緒ちんしょは、光世の部屋にズカズカと入って来るなり居丈高に言った。


「まったく、丞相もこんな小娘如きに我々を監視役につけるなどとは、心配性にも程がある」


 陳緒の隣の将軍・橋越きょうえつは不服そうに腕組みをして溜息をつく。


 溜息をつきたいのは光世の方だが、不満気な態度を見られたら何をされるか分からない。2人の腰に提げられた剣を見て、光世は冷静に拱手する。

 2日前に突然監視役として来たこの2人の将軍。光世は大人しく応じるしかない。


「勿論でございます。すでに何度か書簡のやり取りをしており、呂大都督とはかなり上手く事が進んでおります」


「ほう、それは良い。ならばその書簡とやらを見せてみろ。本当にあるのならな」


 陳緒はナマズのような細くて長い口髭を摘んで言った。細い目で光世を怪訝そうに見ている。

 華奢な体型の陳緒ちんしょとは対照的にガタイの良い橋越きょうえつは腕を組んだまま眉間に皺を寄せ、光世を凝視しているだけだ。


「こちらがその書簡になります」


 躊躇うことなく書簡を渡す光世。陳緒ちんしょはそのナマズ髭を弄りながらもう片方の手でそれを受け取る。

 陳緒ちんしょが書簡を開くと、橋越きょうえつも中の文章を覗き見た。

 書簡の内容を確認した2人はまたもや不服そうに互いに顔を見合わせると竹簡を光世へと返した。


「確かに、これは大都督のいん……。仕事は真面目にやっているのだな、小娘」


「勿論です。陳将軍。何故なにゆえに私が丞相のお膝元であるここ秦安にまで来て手を抜いたりしましょうか。閻帝国の命運が懸かっているというのに」


 光世が答えると、陳緒ちんしょは面白くなさそうにフンと言ってそっぽを向いた。


「お前は元々朧軍ろうぐんの者。秦安しんあんに潜り込み、内部からえんを滅ぼそうとしているのだと、疑わない方が間抜けであろう。だが、忘れるな。妙な事をすればお前を即刻捕らえてやるからな」


 陳緒ちんしょはそう言うと、橋越きょうえつを伴って部屋を出て行ってしまった。


 光世は2人がいなくなったのを確認すると、大きく息を吐いた。

 それと同時に、今度は外にずっと控えていた陸秀りくしゅうが入って来た。顔にはやはり火傷の痕を隠す為の仮面が着けられている。


「ここ最近あの2人がずっとお前を見張っているな。作戦に支障はないのか?」


「ええ、あの2人は今のところ大した問題ではないです」


「そうか。だが、こうして毎日何度もやって来られると、動きが取りづらいであろう」


「心配には及びません。陸秀殿。今あの2人が監視すべきは私じゃなく、大司農だいしのう董星とうせい様。私に目を向けているようでは私の策は破れません。むしろ、董星様から注意を惹き付けられて好都合でさえあります」


「そうか、流石だな。光世」


 光世の足もとには大量の竹簡が転がっている。これらは全て朝廷に関する人事の全てを記載したもの。光世はただ次の動きを待つしかないような時間に、少しでも多く情報を得るように日々取り組んでいた。その甲斐あってか、秦安に来たばかりの頃に比べてだいぶ心に余裕が生まれるようになっていた。


「それに、董炎は監視をつけるのが遅過ぎました。すでに呂大都督とは清華せいかちゃんを通じて3度、書簡を取り交わしています」


「ほう」


「清華ちゃんには常に真偽2対の書簡を携帯させ、万が一の時にも情報が漏れないように万全の体制を敷いていますし、陳緒ちんしょ橋越きょうえつが私の監視についた初日には、その事を椻夏えんかの宵に報告しています」


「抜け目ない」


「私自身が動くその時・・・までには邪魔な監視はいなくなってるんじゃないかな、と思いますよ」


 光世は涼し気な笑みを陸秀へと見せると、茶色の綺麗な髪を払った。


 陸秀は納得して頷くとまた部屋を出て行った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る