第154話 史登

 ***


牛朗ぎゅうろうが殺られた」


 人気ひとけのなくなった椻夏えんかの街の路地裏で、斬血ざんけつ魏昂ぎこう林定りんていに告げた。


「馬鹿な!? 牛朗の旦那が……殺られた?? 有り得ない!」


 林定は目を見開いて声を殺しつつ牛朗の死を否定した。


「正確に言うと、自力で動けぬ程に深手を負っていた。自決もままならない状態で閻軍に連行され掛けていたのを、俺が矢でトドメを刺した」


「……い、一体、誰が? 牛朗の旦那は斬血での序列は魏昂殿の次だ。閻に牛朗の旦那を殺れる奴などいるとは思えない」


「暗殺技術に長けた牛朗を殺れるのは、同じ暗殺者か、脳筋の戦闘狂、そして、頭のキレる狡猾な軍師さんくらいだ」


 林定は顎髭を揉むように触り眉間に皺を寄せた。


「まさか……」


「そうだ。いたのだ。しかもその3種類の人間がな。おまけに奴らは手を組んでいた」


「……頭のキレる狡猾な軍師ってのは、今回の標的のガキ共だろ? 同じ暗殺者と脳筋の戦闘狂ってのは誰の事だ?」


「“脳筋の戦闘狂”というのは徐檣じょしょうの事だ。俺が救出するつもりだったが、宵を殺す方を優先している間に光世のクソアマに先を越され味方に引き込まれた。光世を甘く見過ぎていたようだ」


「そうか……光世は徐檣を味方に引き入れ、徐檣の武勇を利用し牛朗の旦那を殺させたのか……確か光世と徐檣の顔は瓜二つだったな……そうか、替え玉か!」


「そうだ。賢いじゃないか、林定」


「いや、だが、正面から戦いを挑んだならともかく、牛朗の旦那が音もなく仕事をしたなら、徐檣が死角から飛んで来る毒矢を防ぐ事なんてできないだろ?」


「常人には無理だな。だが、もしお前が光世の護衛をしていたとして、狙われている事を把握し常に警戒をしていたとしたら、牛朗が死角から放った矢を防げるか?」


「警戒していたのなら確実に防ぐ自信はある……。でもそれは、俺が斬血だからだ。ただの兵士には防げ……」


 林定はそこまで言って顔色を変えた。


「魏昂……、まさか、護衛の兵士の中に暗殺者・・・がいたのか?」


「はは、今日は冴えているな、林定。その通りだ。俺は奴の顔を見て思い出したぞ。密かに俺達の邪魔をしていたのはそいつだった。お前は新入りだから知らないだろうが」


「その暗殺者、何という名だ?」


「その者の名は──」



 ***


史登しとう君」


 昼間の街での騒動の報告書の提出や、徐檣の釈放の手続き等を済ませた光世は、李聞りぶんの屋敷の自室で、ようやく寝台に腰を下ろし、護衛の史登を呼んだ。


 夕焼けがかすかに空に残り、星々が暗くなり掛けている空に輝き始めていた。この時間は昼間よりだいぶ気温も下がり、心地よい風が窓から流れ込む。


「はい、光世先生」


 すぐに廊下に控えていた史登が部屋へと入って来た。


「今日は色々ありがとうね。お陰で徐檣を救出できたし、暗殺者も1人倒せた」


「いえ、暗殺者は結局口を割らせる前に何者かによって殺されてしまいました。僕の任務は失敗です」


 シュンとして言う史登。座ったまま、そんな暗い史登の顔を見た光世はニコリと微笑んだ。


「気にしないで。もう1人暗殺者がいる事が分かっただけでも収穫だよ。それに、私もちゃんと生きてるし。任務は成功。つまり、私の策も成功!」


「はい」


 元気が戻ったのか、史登は可愛らしい笑顔を見せて頷いた。


「さ、史登君。ご褒美あげるから、こっちおいで」


「え! いや、いいですよ、別に……」


「それじゃあ私の気が収まらないの。扇子のお礼もそうだけど、私と徐檣を救ってくれたんだから」


 光世の半ば強引な誘いに困惑しつつも、史登は目を閉じて深呼吸した。

 そしてゆっくり目を開けると、不服そうな眼差しを向ける光世を見る。


「今はまだ僕にご褒美はいりません。この戦が終わらない限り、僕が光世先生を守り続ける使命は終わりませんから」


「そうかもしれないけどさ、たまには……」


「いえ、斬血は油断ならない相手です。僕が油断する隙を狙い襲って来るかもしれません。だから、僕がご褒美を貰うのは、この戦が終わった後……それでいいでしょうか?」


「そんな死亡フラグみたいな事言わないでよ……」


「死亡フラグ?」


 寂しそうに呟く光世を見て、史登は首を傾げた。


「あ、ごめん、何でもない。じゃあ、必ず生き残ってよね。もしちゃんと生き残ってくれたら、ご褒美はキミの好きなものをあげよう。私がキミの好きな事をしてあげるでもいいよ? 何がいい? おっぱい揉む?」


 ニヤリと光世がいやらしい笑みを浮かべると、史登はギョッとして顔を真っ赤にした。


「え!? いや、か、考えときます……」


「そう? よーく考えておきなよー」


「はい。では、僕は廊下で見張りを」


「あ、待って、史登君。私に、教えてくれないかな? キミが何者なのか」


 急に真剣な表情と口調で訊ねてきた光世に、面食らったように史登は固まる。


「申し訳ございません。それをお答えするわけにはいかないのです」


「キミが暗殺者の名を知っていたって、徐檣から聞いたよ。どうして、知っていたの?」


「それは……男が……名乗ったので……」


 目を泳がせて動揺する史登。光世は自らの茶色い髪を無意識に触りながら、そんな史登の様子を窺う。


「当ててみよっか。キミが何者なのか」


「光世先生、この話はやめましょう。僕が何者かなんてどうでも──」


「どうでも良くないよ。史登君はもう、私にとって大切な人の1人なんだから」


「……た、大切な人……ですか……」


 史登は一瞬光世の目を見たが、すぐに逸らしてしまう。

 刹那の沈黙。それを光世の推理が切り裂いた。


「“斬血”、なんだよね? 正しくは、“斬血だった”、かな?」


 史登はまた光世を見ると、溜息をついて視線を逸らした。そして、再び視線を光世に戻すと、覚悟を決めた顔で話し始める。


「光世先生には敵いませんね」


「……やっぱりね」


「そうです。僕は朧国の出身。そして、斬血の一員でした。幼き頃に両親を亡くした僕は、10歳の頃に斬血の首領、金登目きんとうもくに引き取られ、暗殺者として育てられ、本格的な暗殺術を学びました。でも、僕は落ちこぼれで人を殺す事を躊躇い、4年間訓練しましたが、結局、斬血の正規部隊には入れませんでした」


「そうだったのね……」


「暗殺者の才能のない僕は、斬血を追い出されました。14歳の頃です。また家のなくなった僕が、行く宛てもなく途方に暮れていた時です。とある方に声を掛けられました。そして、僕はそのままその方に付き従い、軍に兵士として入隊する運びとなったのです。その方の命令により、僕は今光世先生のお命を守る為、付き従っているのです」


「その人は、閻軍の人? それとも……周大都督?」


「すみません。これ以上はお答えできません。ただ、僕もその方も、貴女の味方です。だから心配しないでください」


 史登は申し訳なさそうに唇をかみ締め、また光世から目を逸らした。


「そっか……、ま、キミが強くて頼りになる理由が分かったし、もうこれ以上は聞かないよ。いつか話してもいい時が来たら教えてね」


「はい」


 光世の優しい言葉に、史登の表情も少しだけ緩んだ。



 ♢


 同じ頃、李聞の屋敷の桜史の部屋には徐檣じょしょうがいた。

 斬血を1人始末するのに大きく貢献したという手柄を立てたので、それで徐檣の罪が許されたのだ。

 その司法取引は、勿論光世の策略の内だ。

『徐檣が斬血を捕らえるか殺すかして光世の命を救えば、姜美きょうめい暗殺未遂の罪は赦す』

 その条件を光世は宵と桜史と共に、王礼おうれい李聞りぶんに直談判して認めさせた。

 その成果として、徐檣は牢から解き放たれ、李聞の屋敷の桜史の部屋にいるのだ。

 何故、光世の部屋ではなく桜史の部屋にいるかと言うと、それは斬血の襲撃に備える為だ。

 今、常に護衛がいないのは桜史だけ。光世には史登がいるし、宵には鍾桂しょうけいがいる。

 史登は徐檣と共に光世を斬血から守ったという実績があるので、王礼や李聞からの評価は高い。

 一方鍾桂は、史登と同じくらいの軍歴しかない兵士だが、宵に四六時中貼り付けておける気心の知れた兵士として、副官でありなが、宵の護衛をする事になった。


「徐檣殿は、斬血の事知ってるんですか?」


 よそよそしい口調で、桜史は座敷に正座している徐檣に話し掛けた。

 普段光世が着ている黒の閻服を身に纏った徐檣は、パッと見光世にしか見えない。長い黒髪と目付きが違うだけだ。だが、その瓜二つの容姿のお陰で光世は斬血の魔の手から逃れた。


「いいえ、存じ上げませんでした」


 2人きりになって初めての会話。

 徐檣も何故か緊張したように身体を硬直させ、普段とは違う丁寧な言葉遣いで応じた。

 その態度に、桜史も襟を正す。


「そ、そうでしたか」


「私が軍に入ったばかりだからなのか分かりませんが、斬血などという物騒な組織に聞き覚えはありません。恐らく、朧国でも極秘の組織だったのでしょう。史登が言うには、斬血は金登目の配下の組織だとか」


「金登目は全耀ぜんようと共に、椻夏に迫っているようです」


 桜史の話に、真顔だった徐檣の顔色が変わった。大きな目を瞬かせ桜史を見つめている。


「どうしました? 徐檣殿」


「あ、いえ。続けてください」


「もし、金登目を討つ事ができれば、斬血の動きを止める事ができるでしょうか?」


「さあ……ですが、斬血だろうが、金登目だろうが、私に1対1で敵う者は、今の朧軍にはおりません。斬血が桜史殿を襲って来れば私はそいつを捕まえます。それが光世の命令。もちろん、金登目を殺せと仰るなら、私を戦場に立たせてくだされば、一騎打ちでもして必ずや奴の首をお持ち致します」


「貴女の強さはよく分かっています。ですが、今はここに居て、侵入して来る斬血を捕まえる事に専念してください。もし、私ではなく、宵殿や光世殿が襲われていたら、すぐにそちらへ駆け付け彼女達の命を救ってください」


 穏やかな口調で桜史が言うと、徐檣はまた真顔に戻り、ゆっくりと拱手した。


「私を自由にしてくれた御三方を、私の命を賭してお守り致します」


 荒々しかった徐檣の面影は一切ない。本当に人が変わったように大人しく礼儀を弁えた話し方をする。

 桜史は立ち上がると寝台に腰掛けた。


「貴女の命も大事です。できれば、貴女も死なないように。まあ、徐檣殿なら、心配ないか」


「桜史先生……」


「私は少し寝ます。ここ数日、宵殿と朧軍の侵攻を阻む策を討論していたり、軍備を整えたり、兵の調練をしたりで少し疲れました」


 桜史は布団にくるまると、徐檣に背を向けて横になった。


「お休みなさいませ。桜史先生」


 多忙な軍務に加え、暗殺の恐怖によりしばらくまともに眠る事もできなかった桜史だったが、徐檣がそばに居るというだけで不思議と緊張が解れ、すぐに眠りに入る事ができた。

 それは徐檣が、いつも桜史を気遣い世話を焼いてくれる光世に似ているからなのだろうか。理由はハッキリとは分からない。

 ただ、徐檣と2人きりでも、不思議と居心地は悪くなかった。

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