第97話 皇帝と宰相
閻帝国の都~
人々で賑わう街の中央に鎮座する絢爛豪華な宮殿に、その男はいた。
2人の下女を背後に付け、大きな団扇で扇がせる。踊り子の美女達に舞を舞わせ、様々な料理を貪り、美酒に酔いながら享楽に耽る。
閻帝国3代皇帝・
覇気のない丸顔と丸々とだらしなく肥えた身体に威厳などはなく、日がな一日豪遊を続ける怠惰な男であるが、頭に被った
「美味い料理だが、もう飽きたな。もっと朕の舌を満足させる料理は作れんのか?」
そばに控えていた料理長の男に蔡胤は悪態をつく。
「も、申し訳ございません。陛下。しかしながら、私が知る限りの料理は全てお出ししました。これ以上は中々……」
「口答えをするな!」
突如激昂した蔡胤は、料理長の男に、持っていた肉の乗った皿を投げ付けた。
「お許しください! 陛下!」
「お前は常に朕が満足のいく料理を作るのが仕事! それが出来ぬのならお前は不要じゃ! お前の代わりなどいくらでもおる」
「お、仰る通りにございます! しからば、数日猶予を頂けませんでしょうか? 必ずや陛下の満足のいくお食事を」
「要らん。お前を待つより他の者に作らせた方が早い。今までご苦労じゃった。下がるがいい」
「そ、そんなお待ちを陛下! 陛下!」
料理長の男に興味を失った蔡胤は、衛兵を呼ぶと問答無用に料理長の男を部屋から連れ出してしまった。
料理長の男が消えると、蔡胤は大きな盃の酒をグビりと一口呑む。
「これも飽きたな」
そう言って今度は酒の入った盃を脇へ放り投げた。
すぐに下女達がそれを片付ける。
「ああ! 退屈じゃ! 朕はもっと美味いものが食べたい!
「ここにおります」
蔡胤に呼ばれた男は、踊り子の女達の脇を通り蔡胤のもとまで来ると拱手した。
董炎。閻帝国の宰相。先帝の代から仕えた忠臣である。19年前、26歳という若さで宰相の座に就き、その卓越した政治手腕により、閻帝国を蔡胤に成り代わり支配する男だ。
「董炎よ。閻の料理は飽きた。他国より新たな料理人を連れて来い」
「連れて来るのは構いませんが、他国は閻ほど様々な食材はなく、陛下のお口に合う料理があるとは思えませぬ。閻にこそ美味な食材があり、腕の良い料理人が居るのです」
「そうなのか? ならば先程追い出した料理人よりも腕の良い料理人を連れて来るのじゃ」
「はっ。手配致します」
「それと、董炎。東の方で起こったという戦は片付いたか? もうかれこれ
戦の話になると、董炎は口を結び踊り子の女達と蔡胤の後ろにいる下女達に目をやった。
蔡胤は察して踊り子の女達と下女達を下がらせた。
「陛下。残念ながらまだ片はついておりません。国同士の戦とは年単位で行われるもの。一月や二月ではとても終息しないのです」
「馬鹿な。この前
「呂郭書はまだ葛州に到着しておりません。
「天譴山の手前……? まだ靂州からも出ていないではないか!? 何をもたもたしておるのだあの男は!」
「どうやら、雨季が明けるのを待っているようですね。雨の中あの大軍で山を越えるのは至難の業ですから」
「何を呑気なことを言っておる! 朕は呂郭書の奴を“大将軍”に任じ、東征大都督として兵符を渡したのだぞ! 雨季だかなんだか知らぬがまともに戦も出来ぬなら解任だ! 他の者を向かわせろ!」
「落ち着いてください、陛下。閻では呂郭書より軍を上手く動かせる者はおりません。あの者が行軍を見合わせたのなら雨季の山越えは出来ないのでしょう。現場を知らぬ我々がとやかく言うものではありません」
「うむ……そちがそう申すのならそうなのであろう」
董炎に諭されると、蔡胤はしゅんとして大人しくなった。
「それに、ご心配には及びません。葛州では、何やら異国から旅をして来た兵法家の女が我々に味方して、朧軍をことごとく打ち破っているようです」
蔡胤は人差し指をピンと立てて董炎の顔を見る。
「ああ、それは確か、この前朕が“軍師中郎将”に任じた宵という軍師だな」
「左様にございます。兵法の廃れた閻と朧では、兵法を知る者が相手の一手先に行けます。朧にも軍師がいるようですが、宵の兵法は群を抜いているとか」
董炎の話に、不服そうな蔡胤の顔に笑みが戻る。
「うむ、素晴らしい。ならばこちらはさらに多くの兵法家を軍に入れるのだ。その宵とやらの故郷には数多の兵法家が居るに違いない。遣いを送り引き抜いて参れ」
「宵の故郷についてはまだ詳しくは分かっておりません……が、異国に赴かなくとも、閻にも兵法家はおりますよ、陛下」
「それは、もしや……
「はい、その通りでございます。“閻仙・
「かつて閻に居た兵法家の一族の生き残りだったな。だが、そ奴の居場所が分かるのか?」
「生きていれば60近い老人。まだ居場所は掴めてはおりませんが、我々が本気を出せば老人の1人くらいすぐに探し出せましょう。すでに兵を送り靂州、
「おお! さすがは董炎。仕事が早い。だが、本当に見付けられるのか? 朝廷に隠れて山篭りしているなどという噂も聞くぞ?」
「実を申せば、1つ気になる場所があります」
「ほう、気になる場所とな」
蔡胤が興味津々に立ち上がると、董炎はニヤリと笑った。
***
曇天の空の下。
慌ただしい兵達を横目に、
一応投降してきたばかりなので、付き添いと監視を兼ねて宵の下女の
「あ、あの……光世様」
「どうしたの?
「あ、名前なら呼びやすい方で構いません」
もじもじとしながら、清華は俯く。その仕草に光世はハッと閃いた。
「お花を摘みに行きたいのね。行ってらっしゃい」
「はい、すみません。すぐ戻りますから、どこにも行かないでくださいね?」
「分かってるよ。ちゃんと厠でするのよ?」
「わ、分かってますよ! あたしの事何だと思ってるんですか!?」
顔を真っ赤にした清華は頬をぷくっと膨らませながら、急いで厠の方へと走って行った。
1人になった光世は幕舎の陰に腰を下ろした。
宵とちゃんと話せないままに離れてしまった。本当はずっと一緒に居たい。しかし、宵は朧国を倒す事に躍起になっている。光世が世話になった国、他国の民の為に戦っている素敵な国。朧国。自分の第二の故郷とも言える国家に弓を引く事など、光世には到底出来ない。宵と共に居れば、朧国を倒さなければいけなくなる。だから一緒には居れない。
そんな葛藤を、宵と別れてからずっと抱えていた。
清華は光世に寄り添ってくれているが、閻帝国の人間だ。実際のところ、光世ではなく、宵を応援したいに違いない。
生きて敵国である閻帝国に居るが、心は完全に朧国人。1人疎外感を感じずにはいられなかった。
「はぁ……私らしくないよなぁ〜こんな溜息……」
持ち前の明るさも影を潜め、大きな溜息ばかりつく。
「あれ……キミ?」
突然の男の声に、驚いた光世は声の主の方に顔を向ける。
「あ、すみません。今ちょっとその……」
やましい事をしていたわけではないのに、状況を説明する事が出来ず目を泳がせる光世。
「もしかして……宵の友達?」
「……え?」
良く見れば若い男の兵士。光世と同じくらいの歳。軍師である宵の事を兵士であるこの男が“宵”などと気安く呼ぶ事にムッとしたが、それよりも、光世の事を見て宵の友達と見抜いた眼力には少し興味が沸いた。
「あの……」
「えっと……“ニホン”ていう国の人じゃない? そうでしょ??」
「え?? 何で、日本を知ってるんですか!?」
「やっぱり!」
男は嬉しそうにニコリと微笑んだ。
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