第84話 宵に会いたいよ

 嗚咽を漏らし泣き出した厳島光世いつくしまみつよに周りの兵士達の視線が集まる。


「ぐ、軍師殿? どうなさいました?」


 兵士達は突然の出来事に困惑している。


「光世様はご気分が悪いようです。席を外しますので後の事はお任せします」


 すかさず清春華せいしゅんかが光世の顔を隠すように抱き締めると肩を貸し立ち上がらせた。


「おいおい、それは困る。軍師殿が離れられたら誰が我々に指示を出すのだ。夏候譲かこうじょう殿も戦場に出られているのだぞ? 下女の分際で勝手な事を言うなよ」


 兵士は口々に文句を言ったが、清春華は構わず光世をゆっくりと砦内へと歩かせた。


「おい! 下女! 軍師殿を置いていけ!」


「うるさいな! 見て分からないの!? 光世様は今指揮を執れる状況じゃないの! 貴方達軍人なんだから自分達で何とかしなさいよ! 後で徐畢じょひつ将軍に兵士達が光世様をいじめたって言い付けるわよ!!」


「ぬっ……!!」


 普段大人しい清春華に怒鳴られて兵士達は返す言葉もなく立ち尽くす。


「ごめんなさい……春華ちゃん。徐畢将軍と夏候譲殿を砦まで撤退させてください」


 泣きながら光世は言葉を振り絞ると、清春華は頷いた。


「軍師殿の命令です! 徐畢将軍と夏候譲殿は砦まで撤退せよ! 早く!」


「お、おう! 撤退だ! 鐘を鳴らせ!!」


 兵士達はすぐに動き出し、撤退の鐘を打ち鳴らす。


「春華ちゃん、ありがとう」


「いいえ。それより光世様。少しお話が」


 光世は黙って頷くと、清春華に誘われるまま、砦の一室へと向かった。



 ♢


 完全に包囲された徐畢の六花の陣。

 6つの方陣は8つの方陣によって身動きが取れず兵達は戦意を失い槍を構えたまま狼狽えている。


「見たか! 徐畢将軍! これが『伏羲先天八卦ふっきせんてんはっけの陣』。どんなに其方達の陣形が優れていようとも、閻軍の軍師殿の陣形には敵うまい! 大人しく降伏すれば命は取らんぞ!」


 方陣の間から出て来た『楽』の旗を掲げる騎兵の先頭で、敵将が堂々たる佇まいで叫んだ。


「貴様、名は?」


「俺は校尉の楽衛がくえい!」


「校尉だと……俺の陣形は、校尉如きに破られたのか……!」


 徐畢は悔しさのあまり歯を食いしばり楽衛を睨み付ける。が、すぐに息を深く吸って落ち着きを取り戻した。

 死ぬ訳にはいかない。何としてでもこの危機を突破し生き残らなければならない。そう思った徐畢は冷静に周りを見ると、包囲の一点だけ隙間があるのを見付けた。


「降伏は断じてせぬ! 無能な皇帝と悪の宰相は我ら朧国が討伐するのだ!!」


 徐畢が降伏の要請を断ったその時、砦から退却を報せる鐘が鳴り響いた。


「退却……退却する!! 付いて来い!!」


 徐畢は迷わず馬首を返すと、閻軍の包囲が手薄な一点目掛けて駆け出した。

 六花の陣はたちまち形を失い、徐畢を先頭とした縦陣体形となって閻軍の伏羲先天八卦の陣を容易く突破して行った。


 犠牲は思った程多くはない。

 ただ、兵達の士気は大きく下がっていた。

 振り向いたが、楽衛が追って来る様子はない。どうやら初めからわざと逃がすつもりだったと見える。

 同じ頃、夏候譲かこうじょうの軍も砦へと撤退しているのが見えた。

 どうやら夏候譲も無事なようだ。



 ♢


 清春華に連れられて砦内の一室へとやって来た光世は杯に注がれた水を渡された。


「お水、飲んで落ち着いてください」


 いつの間に用意したのだろうか。あまりの手際の良さに驚きながら光世はただ頷いて水を飲んだ。

 喉を冷たい水が通るとようやく周りが見えて来た。

 目の前で清春華が心配そうに光世を見つめる。


「落ち着きました? 光世様」


「うん……ありがとう」


 光世は袖で涙を拭いながら応える。


「良かったです。さ、こちらにお掛けください」


 言われるがままに光世は木の丸椅子に腰を下ろす。その前に清春華は腰を下ろした。


「どうされたのですか? 光世様があんなに取り乱すところを、わたくし初めて見ましたので驚きました」


「……あの……その……」


「言えない事ですか?」


「言えない……」


「“宵”とはどなたでしょうか?」


 口を噤む光世を見兼ね、清春華はついにその名を口にした。


「……え??」


 何故清春華がその名を知っているのか。先程取り乱した時の記憶が曖昧な光世には分からない。


「先程、光世様が仰いました。『宵がいたよと』。どなたでしょうか? どこに居たのでしょうか?」


 清春華は光世の膝の上の両手を握り、俯く顔を覗き込む。


「……そんな事……言ってない」


「わたくしは確かに聴いたのです。敵の陣形を見た光世様は取り乱し『宵が居たと言った』。思いますに、あの陣形を考案したのは閻の軍師。そして……恐らく、光世様は敵の陣形を知っていた」


「……知らない。知ってたら負けない」


「いいえ。知っていました。では何故陣形を知っていたのか。それは、陣形の考案者、つまり、閻の軍師の事を知っていたから。そしてその閻の軍師こそ、光世様がお探しになっていたご友人だった。違いますか?」


 光世は首を振る。


「そんなわけないじゃない。私の友達が、敵の軍師だなんて……もしそうなら、私……」


「例えば、閻の軍師は光世様と同い年くらいで、髪は光世様より少し短めで黒髪。おっとりしていてちょっと優し過ぎる。それと……ああ、そうそう、胸がぺったんこの女の子」


「え!?」


 清春華の話に光世は声を上げて立ち上がる。

 その特徴は紛れもなく瀬崎宵せざきよい。そこまで完全に、まるで本人を知っているかのように特徴を並べられるという事は、清春華は本当に閻の間諜なのではないか。


 そうなれば、清春華は光世の敵。

 光世は懐に手を忍ばせる。

 手に触れたのは護身用に忍ばせていた小刀。

 敵ならば殺されるかもしれない。


 しかし、清春華はただ悲しそうな顔をするだけで襲って来る気配はない。


「春華ちゃんは……閻の間諜なの?」


「何故、そう思うのですか?」


「だって……閻の軍師の特徴を知って……」


 光世はそこまで言うと慌てて口を押さえた。

 清春華はニヤリと笑った。


「わたくしは、適当に言っただけかもしれないのに……当たっていましたか。お心当たりがあるようですね、光世様」


 光世は懐から小刀を取り出し鞘を抜くと清春華に向けた。

 もう何が何だか分からない。思考が追い付かない。閻の軍師の事を知っているという事は、目の前の女は閻の間諜という事で間違いないのか。ならば、何故今それを打ち明けるような事をするのか。この部屋には他に誰も居ない。2人きりだ。自分の正体を明かして光世を殺すつもりなのだろうか。

 光世には清春華の狙いが分からなかった。


「光世様。わたくしは何もしません。そんな物下ろしてください」


「やめて、来ないで! 貴女は何者なの??」


 小刀をブンと一振りして見せる。しかし、清春華は動じない。


「わたくしは……閻の間諜。軍師・宵様の命令で朧国の情報を盗みにここに来ました」


「……え……宵の……命令……?」


 拭いた涙がまた光世の目から溢れてくる。


「そうです。宵様は居ますよ。閻帝国に。間違いなく」


 その言葉で光世は持っていた小刀を落とした。


「良かった……良かった……宵はやっぱり向こうに居たんだ」


 顔を押さえ、両膝を突く光世。

 ずっと不確かだったものがようやく定まった。

 この世界に来てから宵を探す為に軍に身を寄せ、戦に関わった。それは不本意だったが宵を探す為には仕方のない事だった。

 そしてついにこの日、敵同士という最悪な状況であったが見付ける事が出来た。

 瀬崎宵はこの世界に飛ばされて来て、そしてちゃんと生きている。

 それが閻の間諜である清春華の確たる情報により確信出来ただけで、光世の張り詰めた心は一気に緩んだ。


「会いたい……宵に会いたいよ……」


 ぽたぽたと涙が床に零れる。


「光世様は、宵様のご友人なのですよね」


 清春華は光世から距離を置いて立ったまま訊いた。


「そうよ」


 鼻をすすり、涙を拭って応える。

 清春華は溜息をついた。


「何と皮肉な事でしょう。わたくしは、光世様にお会いしてすぐに気付きました。光世様と宵様に似通う雰囲気に。でも、わたくが宵様の事を光世様にお伝えすれば、わたくしが閻の間諜だと露見してしまう。だから……ずっと確かめる事が出来ませんでした。お許しください」


「そう……なんだ。ずっと気にかけてくれてたんだ。……でも、どうして春華ちゃんは今になって自分の素性を打ち明けたの?」


「覚悟を決めました。光世様を宵様のもとへお連れします」


「え……!?」


「共に逃げましょう」


「そ、そんな事、出来るわけない! 私を閻に連れて行くって事!? 敵国なんだよ!? 悪い国なんでしょ!? 閻帝国は!!」


「……それは……」


「私は宵に会いたい。会って助けてあげたいけど、閻帝国にはいけない。そんな事したらまず私が朧軍に捕まって裏切り者として殺される。運良く閻帝国まで行けたとしても、今度は敵の軍師として閻軍に捕まって殺される。私が死んだら……宵を助けられない」


「では光世様はどうされるおつもりですか?」


 清春華は真剣な眼差しで光世に問う。

 光世はほんの少し黙考した。 そしてゆっくりと立ち上がる。


「このまま戦うしかない」


「え……そんな……相手が宵様だと分かっても尚、戦うというのですか!?」


「安心して、春華ちゃんが間諜だって事は私の中だけにしまっておくから」


「わたくしの事はどうでもいいです! 逃げましょう! このままご友人と戦い続けるなんて辛過ぎます。わたくしは宵様も光世様も大好きなんです! お2人が争うのはわたくしが見ていられません! わたくしが逃げ道を作ります。だから……」


「光世嬢! 無事か!? 入るぞ!!」


 扉の外から徐畢の大声が聴こえた。

 ビクッと身体を震わせる清春華を横目に、光世は咄嗟に落とした小刀を拾い懐にしまった。

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