第42話 調練視察!

 昼食を済ませた頃、楽衛がくえいの部隊の兵士が調練の開始を報せに来た。

 まだ成虎せいこ龐勝ほうしょうへ渡す兵法を記した竹簡は完成していないが、調練の視察の後すぐに取り掛かれば今日中には終わる筈だ。

 よいは筆を置くと、代わりに祖父の竹簡を持って部屋を出た。


 ♢


 部屋の外は些か日差しが強い。日本のように蒸し蒸しとした不快感はないが、黒い髪をほんの一瞬で温めてしまう気候はまさに初夏の陽気である。


 兵士の男に城外の調練場に案内され、宵はそこで足を止めた。


「軍師殿!」


 馬に乗っていた男は、宵の姿を見付けると馬から飛び降り、目の前に駆けて来て拱手した。楽衛だ。

 遅れて安恢あんかいもやって来て拱手した。


「お忙しい所、お越し頂き感謝します」


「いえ、私が頼んだ事ですのでお気になさらず。何人の調練ですか?」


「ここにいるのは千人です。他の兵達は、各部隊長に任せて内城の外周を走らせています」


 答えた楽衛が右手を上げ兵達に合図を送った。

 すると、兵達は一斉に槍の石突を地面に打ち付け、それに合わせてリズミカルな喊声を上げ始めた。その迫力はゲームセンターやパチンコ屋の喧騒の比ではない。宵は思わず両耳を押さえてしまった程だ。

 調練場は兵達が起こした土煙が空まで舞い上がり日を遮った。


「凄いですね」


 宵の声は兵達の喊声に掻き消されて楽衛には届かなかったようで眉を顰めた。

 宵がどんなに大声で話し掛けても、そのか細い声が喊声に掻き消されてしまうと判断した楽衛は、また手を上げて兵達に合図を送り喊声を止めた。


「凄いですね。私の声が全然通らない。そして、完璧に統率されてます」


「軍師殿にお褒め頂き安心しました。実戦経験は先の賊軍との戦闘のみで、ほとんど新兵も同然。声くらいは出せるようにと指導しました」


「なるほど。それでは、実際に戦闘訓練を見せて貰えますか?」


「もちろん。では、あの角楼へお昇り下さい。高所の方がより全体を見渡せます。本日は歩兵による槍の訓練になります」


 楽衛にいざなわれ、宵は城壁に隣接する角楼へと続く石段を昇った。


「そうだ、楽衛殿。今朝、軍議でお話した“間諜”の件なのですが」


 宵は楽衛の背中に靡く黒いマントを見ながら、間諜のスカウトの相談を試みた。


「ああ。廖班りょうはん将軍が5人程人をやると仰ってましたね」


「それが、廖班将軍に間諜の人選を一任されてしまいまして、兵の中から5人選んで好きに使えと……」


「それはまた難儀ですね、軍師殿。まあ、廖班将軍は自分の昇進を第一に考えるようなお方です。昇進に関わらない事には興味を持ちません。期待はしない方がいいです。私や安恢殿の兵で良ければ、後で使えそうな者を紹介しますので、軍師殿のお眼鏡にかないましたら連れて行ってもらって構いません」


「ありがとうございます! 楽衛殿! 貴方のようないい人がこの軍にいてくれて、本当に助かります」


「何を仰いますか軍師殿。大した事ではありませんよ。それより、ご覧下さい」


 驕ることなく、楽衛は涼しい顔で言うと、角楼の上から見える千人の軍隊を指し示した。


「うわぁ! 圧巻!」


 その光景に思わず驚嘆の声を漏らす宵。

 千人の兵達は、しっかりと正方形の陣形である“方陣”に整列している。一糸乱れぬその隊列はまさに統率の取れた軍隊。問題は、戦闘時の動きである。いくら威勢が良くても、武器の使い方が下手だったり、体力がなかったり、陣形変更時の動きが緩慢でれば戦場では役に立たない。


 おもむろに、楽衛は右手を上げた。

 すると、城壁の下で兵達と共に待機していた安恢が楽衛の合図に頷いた。


「槍隊! 敵を突き殺せー!!!」


 安恢の号令で、槍を持った兵達は大声を上げ、その場で前方に何度も槍を突き出す動きを始めた。突き出しては引き、突き出しては引き。それをひたすら繰り返している。この訓練では武器の扱いというよりも、体力や筋力を鍛えているのだろう。

 自分には無理だ、と、宵は男達の逞しい姿にしばし魅入っていた。


 それから30分程、槍で薙ぎ払う動作や、石突を使う型のような動きを休み無しで繰り返した。

 兵達はすっかりヘロヘロになり、ようやく安恢が休憩を言い渡した。


「如何ですか、軍師殿」


 満足そうに楽衛が言った。


「良い動きをしていますね。毎日これを?」


「ええ。槍やげきの調練の他、剣に弓矢、騎兵、戦車の調練もやっております」


「なるほど。基礎は大切ですからね。この訓練に関して私から言う事は何もありません。では、次は“陣形”を見せてください」


 軍隊は集団行動。集団の動きによって敵を倒す。例え一人一人が屈強でも、同じ動きが出来なければ完璧とは言えない。

 宵は“陣形”の調練を最も楽しみにしていた。何を隠そう、宵は“孫子と八陣”というテーマで大学の卒業論文を作成している。

 友人である厳島光世いつくしまみつよには「オタク過ぎる」と引かれたが、教授の司馬勘助しばかんすけにはまだ途中までにもかかわらず絶賛される内容だった。

 果たしてこの千人の兵達はどんな陣形を見せてくれるのか。

 兵法オタク瀬崎宵は、1人胸を高鳴らせた。


しからば」


 ゴホンと咳払いをして、楽衛が大きく息を吸い込んだ。


「攻撃隊形ーー!!」


 楽衛の号令と同時に、角楼に備付けられていた2つの大きな太鼓を兵士が打ち鳴らし始めた。

 すると、休んでいた兵達はすぐに立ち上がり、すぐに横長に広がり始めた。


横陣おうじん!」


 初めて目の当たりにする本物の軍隊が成す陣形。高い所から見るのは、その動きがつぶさに見て取れてとても面白い。


「防御隊形ーー!!」


 さらに楽衛が号令を掛けた。

 すると今度は千人の兵達が各部隊毎に移動して、安恢を中心とした大きな円形の陣形である“円陣”が出来上がった。


「凄ーい!」


 興奮した宵は満面の笑みでパチパチと拍手を送る。無論、太鼓の音に掻き消されて、兵達には届いていないが。


「次は?」


「以上です」


「え?」


 次の陣形を楽しみにしていた宵に、楽衛はキッパリと陣形のお披露目会の終了を告げた。


「え、あの、これだけですか?」


「はい。えんでは古くから“攻撃”と“防御”そして、“待機”の3種類のみです」


 楽衛は平然と言い切った。

 その答えに、宵は唇に人差し指を触れさせ黙考する。

 確かに、閻帝国は兵法のない国だ。兵法がなければ陣形の重要性も低く、大して考えられて来なかったのかもしれない。今まで平和だったが故に、それだけで何とかなっていたのかもしれないが、果たしてこれから朧国ろうこくと戦うに当たり通用するだろうか。

 答えは“否”である。


「すみません! 筆と紙を!」


 宵は近くにいた兵士に言うと、兵士はすぐに角楼を大急ぎで駆け下りて行った。


「急にどうされました? 軍師殿」


 宵の指示の意味を理解出来ない楽衛が問う。


「今から私の知る陣形の全てを図を描いてご説明致します。これからはそれらの陣形が使えるように調練してください。そうすれば、今の軍隊の攻撃力、防御力は格段に上がります」


「是非、ご教授ください!!」


 楽衛は頭を下げ拱手した。

 大学の卒業研究が、まさか実際に役立つ時が来るとは夢にも思わなかった。

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