第11話 作戦開始! 真夜中の渡河
真っ暗闇の中、馬は駆ける。
鍾桂は両手を縛られた宵を自らの前に乗せ、両腕で挟み込むように手綱を握っている。初めに別の兵に拉致された時も同じ状態だったが、今は何故だか安心感がある。それは、鍾桂という男を信用しきっているという事なのだろう。同い年の男。優しく接してくれる男。家族想いで軍律も守れる男。今知っているのはそれだけだが、この得体の知れない世界で心を許すには十分過ぎる要素だ。何よりこの男からは宵に対する好意を感じた。
元の世界でも宵に優しくしてくれる男はたくさんいた。同じゼミの男達とは一緒にいる時間も長く、プライベートでも良くカラオケやボウリングに行ったりして遊んだ。付き合っていたわけではないが、思えばかなり親しく接していた。そういう経験があるからなのか、男と接する事に全く抵抗は感じない。だから鍾桂もすぐに受け入れられた気もする。
「どうしたの? さっきから黙って。ほら
鍾桂に言われて目の前を見ると、真っ暗闇の中に広がる川があった。中国にあるような大河ではなく、向こう岸も近くに見える。どちらかと言うと日本の川の大きさに近い。
「あ……そっか、私も渡るのか……。なんか、怖いなぁ」
自分で提案したのはいいが、いざ川を目の前にすると、得体の知れない異世界の川に船もなしに飛び込む事に恐怖が込み上げてきた。
「大丈夫だよ。俺達は馬で渡るんだし、そんな深くないから。それに、俺がついてる」
「あ、うん。そうだね」
宵が無理矢理笑って見せると、鍾桂は川の手前で馬を止め飛び下りた。
周りの騎馬も一旦川の手前で停止している。暗くて良く見えないが、その数はかなりのものだ。後方には歩兵がさらに大勢で駆けて来ている。まさに宵が好きな三国志のドラマで良く見た光景。ここが異世界で死の危険と隣り合わせという状況でなければどんなに良かった事か。
馬上で後ろを見ていた宵の脚を何かが掴んだ。
「えっ!?」
「あ、ごめん。痛かった? 履物を脱がすよ」
鍾桂は言いながら、宵の左脚を掴み靴を脱がしてくれた。今はストッキングも脱いで生脚なので、直接触られるのは少し恥ずかしい。
鍾桂は左脚の靴を自らの懐にしまうと、反対側に回り込み右脚も同じように靴を脱がせた。
「綺麗な脚だね」
「あ、ありがとう……でもそれセク……いや、何でもない」
興味深そうに宵の生脚を撫でる鍾桂。しかし、この世界にセクハラという概念はないだろうと思い、宵は恥ずかしかったが、鍾桂の好きなようにさせる事にした。
右脚の靴も鍾桂の懐にしまった頃には、周りには先程よりも大勢の騎馬が集結していた。
「騎兵隊! 荒水を渡り切ったらそのまま墨水も渡り切れ! 進めーー!」
何処にいるのか、
「遅れるな! 進めー!」
近くで
「よし! 行くよ! 掴まって」
すると、鍾桂は馬に飛び乗り、宵を左腕で抱き締めながら川へと躊躇うことなく突っ込んで行った。
足はあっという間に水に浸かり、冷たい感覚は宵の膝辺りまで伝わってきた。
隣を泳ぐ騎馬の立てる水飛沫が宵と鍾桂に容赦なく浴びせられる。お陰で結局全身ずぶ濡れになってしまった。
鍾桂はそんな事お構いなしに暗い川を突き進んだ。
♢
2本の川、荒水と墨水を渡り切った騎馬隊はさらに進んで川岸から2里の辺りで停止した。地図で確認した
そこで宵は馬を下ろされた。墨水を見ると、これまた大勢の歩兵が具足を付けたまま川を水を切りながらバシャバシャと渡っている。中には米俵を載せた小舟も何艘か見て取れる。おそらく兵糧を運んでいるのだろう。
「騎兵は廖班将軍と李聞殿が指揮を執っているのですか?」
近くにいた李聞に宵は話し掛けた。
「そうだ。廖班将軍と俺が騎兵。歩兵を
「なるほど。あの、将校さん達はどのくらい戦の経験があるのでしょう?」
「いや。皆素人だ。廖班将軍も含めてな。俺は若い頃に戦の経験はあるが、それももう20年も前の事だ。その間、
「20年の平穏を破り賊が力を付け暴れ始めた……という事ですか?」
「少し違う」
「え?」
神妙な顔で意味深な言葉を口にした李聞の顔を覗き込んだその時、馬に乗った廖班が近付いて来た。
「しっかりついて来ているな、宵。見ろ。全軍は渡河を完了した。素早い動きであろう!」
「ええ、廖班将軍。まさに“兵は神速を
宵が尊敬する三国志の軍師の一人、
「ここまでさせたのだ。この戦に勝てなかったら、斬首より酷い罰を与える。だが、もし勝てたなら、その時はお前の望み通り俺の下で軍師として使ってやろう」
「……あ、はい。ありがとうございます」
宵の本当の望みは自由にしてもらう事なのだが、とりあえず今は死ぬよりは良いだろうと思い、愛想笑いで答えた。
「後は2万本の矢の到着を待ち、賊共がのこのこやって来るのを待つだけか。こういう戦いも中々面白いかもな」
相変わらず上機嫌に廖班は笑う。
李聞も鍾桂もそれに合わせて笑みを浮かべる。
しかし、理不尽な生命の危機に瀕している宵は笑う事など到底出来なかった。
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